『THE LOST 失われた黒い夏』

THE LOST -失われた黒い夏- [DVD]

原題:“The Lost” / 原作:ジャック・ケッチャム黒い夏』(扶桑社ミステリー・刊) / 監督・脚本:クリス・シヴァートソン / 製作:ラッキー・マッキー、マイク・マッキー、シェリ・メリル、クリス・シヴァートソン / 製作総指揮:ココ・プーヴェイ / 撮影監督:ゾーラン・ポポヴィック / 特殊メイク:トロイ・ワトソン / プロダクション・デザイナー:クリス・デイヴィス / 編集:ポピー・グルク / 衣装:リサ・ゲイ・ノーシア / 音楽:ティム・ラティリ / 出演:マーク・センター、マイケル・ボーウェン、ディー・ウォーレス=ストーン、ロビン・シドニー、アレックス・フロスト、エド・ローター、メーガン・ヘニング、シェイ・アスター、トム・エアーズ、ケイティ・キャシディ、ジャック・ケッチャム / 映像ソフト発売元:AMG Entertainment

2006年アメリカ作品 / 上映時間:1時間59分 / 日本語字幕:?

2009年8月27日DVD日本盤発売 [bk1amazon]

DVDにて初見(2009/08/31)



[粗筋]

 レイ・パイ(マーク・センター)という少年がいる。背は低いが、自分を大物に見せたい彼はブーツの底に潰した空き缶を詰め込んで身長を高く見せている。そのことを知っているのは、幼馴染みのジェニファー(シェイ・アスター)とティム(アレックス・フロスト)だけだった。

 いっぱしの悪党を気取ろうとするレイ・パイはその夏、キャンプ場で出逢ったふたりの少女を射殺した。金持ちそうで、女同士全裸でくつろぐ姿がレズに見えたからだ。死ぬまでの様子をじっくり観察し、そのあとジェニファーたちに手伝わせて証拠を隠滅するつもりだったが、ちょっと目を離した隙にひとりに逃げられ、事件は発覚する。

 だが、警察はレイ・パイが犯人であるという決定的な証拠を挙げられず、瞬く間に4年の月日が過ぎた。逃げ出したのち、植物状態で生き続けた少女が亡くなったことを契機に、担当刑事のシリング(マイケル・ボーウェン)は改めてレイ・パイの身辺を探ることを決意する。

 だがここで、シリングにとって気懸かりな出来事が生じた。彼のかつての相棒であり、現在は引退しているエド(エド・ローター)には、孫と言っても通用するほど年の離れたガールフレンドがいる。その彼女、サリー(ミーガン・ヘニング)が、レイ・パイが副支配人を務めるモーテルでアルバイトを始めたのだ。シリングはエドからの懇願もあって、事情聴取のついでにサリーに接触、レイ・パイに用心するよう忠告する。

 当初は「あまり近づかなければいい」と軽く考えていたサリーだったが、勤務初日から彼女に言い寄り、行きつけのダイナーで読んでもいない本の話題で気を惹こうとする姿に認識の甘さを悟り、すぐに辞めることを決意する。

 サリーにすげなくあしらわれたことで激昂したレイ・パイだったが、すぐに「サリーだけが女ではない」と気を取り直す。この頃レイ・パイは他に目をつけている女がいた。最近、引っ越してきたキャサリン(ロビン・シドニー)という少女である。まだハイスクールに通っているが、それまで都会で暮らしていた彼女には、レイ・パイがモノにしてきた他の女――ジェニファーも含まれている――とは違う雰囲気があった。自分の予想も出来ない言動をするキャサリンに、レイ・パイは次第に本気になっていく……

[感想]

 ジャック・ケッチャムは世界を支配する暴力と不条理とを容赦なく描く作風で知られる小説家である。あまりに惨い展開、非情な結末故に、映像化するという話はあまり出ない。出たとしても実現に至らない、というパターンが多いのだろう。

 幸運にも完成に至った本篇は、だが劇場公開ではなく、制約がずっと多いテレビ放送での初公開となったようだ。予め原作を読んでおいた私は、どれほどエッセンスが削られてしまったのか、と幾分不安を抱きながら鑑賞したのだが、案に相違して、さほど違和感はない。それどころか、ほぼ原作通りに作っている、と言っていい仕上がりだった。

 原作のヴォリュームをそのまま2時間程度に詰め込むことは無理なので、当然省略は施されているし、地の文に該当する表現がないために心理もいささか把握しづらい。しかし、抽出した場面や心理描写は的を射ていて、掘り下げたところまでは解らないが、意図するところや方向性の察しはつく。原作で描かれるような残酷なシチュエーションを直接フレームに入れることはしないが、仄めかす形でいちおうは描いており、脚色としては優秀な部類に入るだろう。

 リズミカルにテンポよく綴る演出の呼吸も良好だが、残念ながらそのために、原作にある沈鬱なムードはかなり拭われてしまった。レイ・パイという人物像が備える狂った雰囲気を作品全体に漲らせることには成功しているが、あの閉塞感、逃げ場のない焦燥感といったものを期待していると不満を抱くはずだ。

 また、原作で極めて重要なキーワードとして用いられている、シャロン・テート殺害事件について、クライマックスで軽く触れられているだけなのが少々気に懸かる。本篇の原作は1969年の話であり、この実在の事件は時代性を描く小道具として用いられている一方、クライマックスにおけるレイ・パイのある行動の裏打ちとしても応用されており、物語との関わりは深いのだが、映画ではその点についてほとんど言及していないので、終盤の成り行きにやや唐突の感が否めない。シャロン・テート事件に言及しなかったから、というわけでもなかろうが、基本的に過去の出来事として描かれているのだが、1960年代っぽさがあまり感じられないのも気になる点である。概ねツボを押さえた脚色が為された本篇だが、もう少しここは配慮が欲しかったように思う。

 しかし目立つ欠点はその程度で、あとは原作を非常に尊重し、その魅力を巧みに汲み上げた作品と言っていい。特に配役は巧く、レイ・パイの落ち着きがなく、狂気に一歩足を踏み入れた雰囲気は原作どおりだ。対する刑事達もいいが、レイ・パイに影響を及ぼすことになる3人の少女の佇まいも原作の雰囲気をうまく再現している。こういう言い方は失礼かも知れないが、いずれも美人ではなく、垢抜けないところが残っているのが妙にリアルなのだ。レイ・パイという男が脳裏に描く理想の陳腐さ、世界観の狭さが、やがて彼女たちに対して抱く感情によって、巧妙に浮き彫りにされているのである。

 原作におけるエピローグ部分をばっさりと無くし、その手前のとんでもないところで終わらせているのも、本篇の場合は効果的だ。その残虐性、毒性を留めながらも、エピローグにあったやるせない余韻を省くことにより、映像版にあったテンポを最後まで持続した上で虚無的な印象を残している。

 本篇の道化役たるレイ・パイは、あれほど街を恐怖に陥れ、最後に狂気を迸らせながらも、しかし本質的には小者でしかない。それだけに、『羊たちの沈黙』のレクター博士や『ノーカントリー』のアントン・シガーのように、圧倒的な“悪”のインパクトを期待すると物足りない印象を覚えるだろう。だが本篇はむしろ、そうした相対的にインパクトを欠く悪意であっても、悲劇を齎すには充分であることを示し、そうして訪れた悲劇の虚しさ、寒々しさをこそ描こうとしている。原作に較べて重さは抜けてしまったが、映画としての娯楽性と原作のハードな主題にうまく折り合いをつけて仕上げることに成功した、スリラーの佳作である。

関連作品:

怨霊の森

ノーカントリー

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