原作:メアリー・ノートン『床下の小人たち』(岩波少年文庫・刊) / 監督:米林宏昌 / 企画・脚本:宮崎駿 / 脚本:丹羽圭子 / プロデューサー:鈴木敏夫 / 制作:星野康二 / 作画監督:賀川愛、山下明彦 / 美術監督:武重洋二、吉田昇 / 音響演出&整音:笠松広司 / アフレコ演出:木村絵理子 / 録音:高木創 / 音楽:セシル・コルベル / 声の出演:志田未来、神木隆之介、大竹しのぶ、竹下景子、藤原竜也、三浦友和、樹木希林、羽鳥慎一、吉野正弘 / 制作:スタジオジブリ / 配給:東宝
2010年日本作品 / 上映時間:1時間34分
2010年7月17日日本公開
公式サイト : http://www.karigurashi.jp/
TOHOシネマズスカラ座にて初見(2010/07/17) ※初日舞台挨拶つき上映
[粗筋]
幼い頃から胸を病み、近々手術する予定になっている翔(神木隆之介)は、母の祖母の妹にあたる貞子(竹下景子)が暮らす、広い森に囲まれた洋館に身を寄せた。
着いたその日、翔は草むらに不思議なものを見かける。それは、掌に収まりそうな大きさの少女であった。その日の夜、家の中でふたたび少女の姿を目撃した翔は、小人がこの家に住んでいることを確信する。
そんな彼に貞子は、意外な話をした。実はこの家では、翔の曾祖父の頃から小人が目撃されているのだという。曾祖父は小人たちのために、イギリスの人形職人に依頼して、実用可能なドールハウスを作らせたほどだった。
ずっと、住みつく者もないまま、ただ受け継がれてきた精巧なドールハウス。だが、家の人たちは知らない……ずっと昔、まさに翔の曾祖父の代からずっと、この家からちょっとずつものを拝借して暮らす小人の家族が、まだ床下に潜んでいることを。
翔が巡り逢った小人の少女の名はアリエッティ(志田未来)――この古い家に住み続ける小人一家の唯一の娘である。
[感想]
日本屈指のアニメーション・ブランドとして世界的にその名を轟かせているスタジオジブリであるが、未だに宮崎駿以外に定着した監督を持ち得ていない、という悩みを抱え続けている。ジブリもこの問題に無自覚ではなく、『猫の恩返し』や『ゲド戦記』で新しい監督を招き、他の作品でも起用を画策していたようだが、定着には至っていない。
本篇で初めて監督に抜擢された米林昌宏という人物は、ここ数年のジブリ作品に作画、作画監督補という形で携わってきた、生え抜きと言える人材であるらしい。だからなのだろうか、前述の2作品にどうしてもまとわりついた“違和感”がない。作画の点は無論、世界観の構築、ストーリーの方向性に置いても、確かにジブリ作品、とりわけ宮崎駿監督のトーンを感じるのだ。
そもそも企画の段階で原作をチョイスしたのが宮崎駿であり、脚色にも携わっていることを思えば当然のように思われるかも知れないが、実際にはそこまで単純ではない。やはり、その脚本をどう見せるか、背後にある世界観をどう感じさせるか、は監督の手さばきにかかってくる。
この作品の舞台は、『ハウルの動く城』の様にヨーロッパのどこかを彷彿とさせる虚構の世界ではなく、『崖の上のポニョ』の様に実際の日本を思わせながらも魔法の存在が大きく影響している世界でもない。小人が存在する、という以外はまるっきり私たちの知っている現実世界で出来ている、と言っていい。従って、本来ジブリ的な、奇妙だが愛らしい生き物を介在させることは難しいのに、本篇は虫や小動物をうまくそうした生き物に仕立てあげている。宮崎監督ほど完成されてはいないにせよ、この変換の巧みさは見事なものだ。コオロギやダンゴムシが、きちんとジブリ作品に溶け込んでいるのである。
表現の繊細さも、これまでの新しい監督たちと比して際立っている。扱う者が小さくなったとしても水滴の大きさはきちんと現実に添い、小人たちの掌ぐらいのサイズで滴る。彼らにとって、私たちに馴染み深い日常の微かな物音、例えば水道の流れる音や、柱時計の音さえも、間近にいれば轟音のように感じられる。アリエッティが初めて少年・翔に呼びかけられたとき、彼の囁きがさながら地響きのように聞こえるくだりは非常に解りやすくもリアルだ。
だが何より、本篇に他の新しい監督たちと異なるジブリらしさが匂うのは、タイトルロールであるアリエッティの造形であり、彼女の描写のひとつひとつだ。
それどころか、ここまでストレートに魅力的なヒロインは、ジブリ作品において久し振りと言っていい。いるのは自分含む家族3人だけ、他に仲間の存在は確かめられず、あからさまな滅びが忍び寄っているのに、前向きで非常に行動的。軽率な振る舞いもするが、そんななかで果断な冒険に及ぶ大胆さがある。
しかも、きちんと女の子らしさも随所に顔を覗かせている。初めての“借り”に際して、洗濯バサミを髪留めに用いたポニーテイルに赤のワンピースと愛らしい服装を選んだりする。個人的には深夜の“借り”のさなか、翔に目撃された直後、ちょうど拝借しようとしていたティッシュをそろそろと掲げて身を隠す場面が出色と感じた。恐怖と羞じらいの入り乱れた表情と、隠れたティッシュに浮かび上がるシルエットには、本作ならではの色香が滲んでいる。
物語自体は至ってシンプルなものだ。概ね予想した通りに進行し、これといって意外な成り行きを辿ることはない。そのことに物足りなさを覚えるかも知れないが、描写の巧みさ、テンポの良さ、何より“ジブリらしい”と素直に見惚れる世界観こそ本篇の魅力である。
宮崎駿監督作品にあったスケール感に乏しいことが気にかかるが、その一方で、むやみやたらに規模の大きな作品ばかりが請われる傾向は、アニメーション映画の幅を縮めるばかりであり、また優れた作り手の輩出、育成を阻むもののように思えてならなかった。本篇の“美しい小品”という手触りが支持されたなら、それはきっとジブリにとってだけでなく、日本のアニメーション映画の未来にとっても快い兆候である、と考えるのだが、如何だろうか。
関連作品:
『千と千尋の神隠し』
『猫の恩返し』
『ハウルの動く城』
『ゲド戦記』
『崖の上のポニョ』
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