『武士の家計簿』

『武士の家計簿』

原作:磯田道史武士の家計簿加賀藩御算用者」の幕末維新』(新潮新書・刊) / 監督:森田芳光 / 脚本:柏田道夫 / 撮影:沖村志宏 / 照明:渡辺三雄 / 美術:近藤成之 / 録音:橋本文雄 / 編集:川島章正 / 音楽:大島ミチル / イメージソング:manami『遠い記憶』(TOY’S FACTORY INC.) / 出演:堺雅人仲間由紀恵中村雅俊松坂慶子草笛光子、西村雅彦、伊藤祐輝、藤井美菜、桂木ゆき、大八木凱斗、嶋田久作、ヨシダ朝 / 制作プロダクション:株式会社エース・プロダクション / 配給:Asmik Ace×松竹

2010年日本作品 / 上映時間:2時間9分

2010年12月4日日本公開

公式サイト : http://www.bushikake.jp/

TOHOシネマズ西新井にて初見(2010/12/11)



[粗筋]

 江戸時代末期の物語である。

 加賀藩で代々財政の管理を担当する“御算用者”として勤めている家系である猪山家だが、8代目の直之(堺雅人)はとりわけ“算盤馬鹿”と称されるほどで、行きすぎているほど数字にかけては生真面目な質であった。先代で、初めて知行取りとなった信之(中村雅俊)が呆れるほどの没頭ぶりになかなか縁談も実を結ばなかったが、ようやく嫁を取ることになる。

 相手は町同心である西永与三八(西村雅彦)の娘、お駒(仲間由紀恵)。算盤以外に取り柄がなく、出世の芽も期待できない自分のもとでもいいのか、という直之の問いに、お駒はいちど「イヤと申したらどうします?」とおどけてみせてから、「貴方の生きる術の中に、私も加えてください」と頭を下げる。そうして、直之はようやく所帯を持った。

 だがその頃、直之は出世の芽がないどころか、ある問題を抱えこんでいた。御蔵米の勘定役を任されていた直之は、ちょうど飢饉の折、農民たちのためにお救い米を供出する算段をしたが、彼が弾き出した数字と、実際に供出された米の量が合っていないことに気づく。安易な帳尻合わせを忌み嫌う直之は、どの段階で米が減ったのかを正確に計算しようとするが、そのために上役に目をつけられてしまった。よりによって初めての子供を授かったその日に、直之は能登転勤を言い渡されてしまう。

 しかし、窮乏した農民たちが決起し、各地で騒動を起こしたことで、お救い米の横流しが発覚、直之の上役をはじめ、関与した者はすべて処罰され、御算用者の陣容も大幅に入れ換えられることとなった。その中で直之は、監査役が弾き出したのとまったく一緒の帳簿をつけていたことで、圧力をかけられていた事実が上に認められ、左遷は撤回、それどころか殿直属の取次役に取り沙汰される、という異例の出世を遂げたのだった。

 武家社会の珍妙なところは、体面を保つためと称し、昇進した方が却って出費が嵩むことである。我が子直吉(大八木凱斗)が4歳になり、袴着の祝いを行う段になって、直之は我が子の晴れ着を用意する余裕もないほど我が家の家計が火の車になっていることを初めて知った。実家に借りる、というお駒の提案を制して直之が打ったのは、当時としては異例の打開策であった……

[感想]

 時代劇映画は『たそがれ清兵衛』の登場を境にだいぶ変わってきた、と感じる。何だかんだでチャンバラや、せいぜいコメディタッチで描かれる程度が関の山だったが、侍の日常生活を掘り下げ、生々しく描くことで新しい時代劇像を造り出したこの作品が契機で、藤沢周平の小説の映像化もさることながら、新しい試みを盛り込んだ時代劇映画が製作されるようになった、と感じる。本篇もまたその流れの中にある、新しいタイプの時代劇と言えそうだ。

 この物語は、実際に幕末に実在した加賀藩の侍・猪山直之とその息子・成之が残した家計簿に基づいている。原作者が古書店で発見したこの興味深い歴史資料から下級藩士の生活風景を読み解いた新書版の作品を、再構成して映画化したわけである。

 基本的に戦どころか武芸とも無縁の“御算用者”という職掌の人物が中心であるだけに、幕末という、江戸期で最も血腥い時期を舞台にしているにも拘わらず、アクション・シーンはほぼ皆無だ――いちおう剣術は嗜んでいるので、序盤に少しだけ稽古の場面が挿入されているが、如何に武芸の才能がないかを示すための挿話といった趣だ。物語はほぼ終始、直之の職場である城内か、猪山家の中で繰り広げられる。

 本篇はごく大雑把に、3つのパートに切り分けられる。猪山家の家風と、新しい家族が築かれていくまでを描いた導入部に、予告篇などでも大きく採りあげられている、家計再建の四苦八苦を描いた中盤、そして直之とその子・直吉=成之の関係を軸に描かれた終盤だ。

 全体を通して鑑賞すると、祝いの席の料理に凝らした工夫や、思い切った借金返済の方策
といった、家計に関する部分は、意外にもあまり大きく描かれている印象を受けない。本篇の焦点はむしろ、家風を継承する、という、親子を中心にした家族の営みそのもののように思えるのである。

 序盤でさえそうなのだ。御算用者、という現代の人間にとってあまり馴染みのない、しかし時代を問わず軽視できない役割に就く人物の姿を描きながら、その職務を代々果たす猪山家の親子の、似ているようで違うお役目に対する姿勢が浮き彫りにされている。

 注目すべきは、お救い米の不正について、上役に指摘した際の直之の反応だ。現代と照らし合わせても意外ではないが、袖の下や横流しが横行し、帳尻が合わないことは決して珍しいことではなかったらしい。御算用者は代々それをやり過ごしてきたのだ、と上役に説明され、直之は「父もですか」と、衝撃の面持ちで質す。上役は明確に応えないが、その態度に何かを察して直之は項垂れる。

 結果として、我を通した直之が報われることになるのだが、この場面と、幼い直吉が有無を言わさず算術と書を叩きこまれていることに疑問を口にする場面、そして変革の時代に突入して、成長した直吉=成之(伊藤祐輝)が出征する加賀藩の軍に加わるべく旅立とうとする際の直之とのやり取りが、奇妙に重なり合って映る。

 それぞれの気性や時代背景によって形は異なるが、いずれも我が子が父の生き方、ひいては家風に疑念を抱いた瞬間の描写なのだ。直之の場合は、その時点で父・信之がやや一線から下がった位置にいること、それ以上に信之の性格がかなり楽天的であることもあって――そもそも本当に信之が不正を見過ごしていたのか、そこも明確に描かれていないので――諍いには発展しないが、この反応そのものが、のちの直之の我が子が見せる表情を思わせる。

 そうした細かな描写に、猪山家という現代の目から見ると新鮮な、だが江戸時代には各地に存在したはずの“御算用者”という役職を代々引き継ぐ家の姿が形作られていく。そういう前提があるから、動乱の時代を経て、生活様式が変わったあとになって提示される、父亡き後の成之の佇まいが際立って印象に残る。

 本篇はそうしたように、現代においては職人の家ぐらいにしか見出されない、家風を踏襲する様を描いた作品、として鑑賞すると実に興味深い。決して武芸や戦、政治ばかりでない武家の姿を垣間見せる物語として、非常に整った作品である。

 ……とは言い条、少々残念に思われるのは、成之のナレーションをあてることで、本篇を過剰に成之視点の物語にしてしまったことだ。家風の踏襲を描いた作品として眺めるうえでも無論のこと、逼迫した家計を救済するための工夫を描いた映画としても、本篇を終始成之の眼で描いてしまったことはマイナスに働いている。彼の成長した姿で締めくくるのはいいが、その後ろ姿を見せるだけで、語りはいっそ廃した方が、より彼らの生き方を鮮明に記憶に残せたのでは、と思われる。

 だが、問題点はそのくらいで、映像的にも演出的にも、役者の質も高い。ユーモアも随所に鏤められていて、大きな事件がないにも拘わらず2時間、退屈することなく当時の空気に身を浸すことが出来る良品である。

関連作品:

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コメント

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