原題:“Doctor Zhivago” / 原作:ボリス・パステルナーク / 監督:デヴィッド・リーン / 脚本:ロバート・ボルト / 製作:カルロ・ポンティ / 製作総指揮:アーヴィッド・グリフェン / 撮影監督:フレディ・ヤング / プロダクション・デザイン:ジョン・ボックス / 美術:テレンス・マーシュ / 衣裳:フィリス・ダルトン / 編集:ノーマン・サヴェッジ / 音楽:モーリス・ジャール / 出演:オマー・シャリフ、ジュリー・クリスティ、トム・コートネイ、アレック・ギネス、ジェラルディン・チャップリン、リタ・トゥシンハム、ロッド・スタイガー、エイドリアン・コリ、イングリッド・ピット、シオバン・マッケンナ、ノエル・ウィルマン / 配給:MGM / 映像ソフト発売元:Warner Home Video
1965年アメリカ作品 / 上映時間:3時間20分 / 日本語字幕:岩本令 / PG12
1966年6月18日日本公開
2010年6月2日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD Video:amazon|Blu-ray Disc:amazon]
第2回午前十時の映画祭(2011/02/05〜2012/01/20開催)《Series2 青の50本》上映作品
TOHOシネマズ六本木ヒルズにて初見(2011/04/26)
[粗筋]
19世紀末のロシア。革命の気運が高まり、不穏さを増すモスクワに、ユーリ・ジバゴ(オマー・シャリフ)は暮らしていた。
幼くして両親を失い、親類の家に引き取られたユーリは長じて医学を修め、一般診療の分野で働くことを望んでいた。引き取られた家の娘トーニャ(ジェラルディン・チャップリン)と愛し合っていたユーリは、いずれ彼女と所帯を持つつもりでいたが、意外な顛末により、その感情を揺さぶられる。
ある晩、教授に伴われ、ユーリは助手として急診を行うことになった。呼び出したのは教授の友人である有力者コマロフスキー(ロッド・スタイガー)という男。彼が懇意にしていた仕立屋の女主人がヨードチンキを大量に飲み自殺を図ったのである。教授とユーリの治療でどうやら彼女は持ち直し、そのことを伝えるために仕立屋の娘ラーラ(ジュリー・クリスティ)を探したユーリは、ラーラとコマロフスキーが親密なやり取りをしている姿を目撃した。
やがて訪れたクリスマスの夜、パーティの席上で、ラーラは婚約者パーシャ(トム・コートネイ)から預けられていた拳銃をコマロフスキーに向け、引き金を引いたのだ。幸いにかすり傷で済み、醜聞が露見することを怖れたコマロフスキーが告発を望まなかったためにラーラもあとからやって来たパーシャに連れ帰られた。
コマロフスキーは手当をしたユーリに、「ラーラはお前に譲る」と嘯いたが、その後ユーリはトーニャと、ラーラはパーシャと結婚し、すれ違うこともなく2年の時が過ぎる。だが、そのあいだに発生した戦争と革命が、やがてユーリとラーラを引き合わせた――
[感想]
今となっては珍しい3時間越えの大作『アラビアのロレンス』のスタッフと一部キャストが再結集、ふたたび手懸けた3時間超の作品である。
尺が長いからと言って面白いとは限らない、むしろ凡手が扱えばひどく退屈な作品になりかねない傾向にあるものだが、そう考えると本篇はほとんど奇跡的な傑作だ。『アラビアのロレンス』に劣らない、それどころか更に完成度は増している。
ただ、漫然と物語に浸りたい、何も考えずスペクタクルの奔流に身を浸したい、と思って大作を観るような人には間違いなく向かない作りである。恐らくそういう人は、なかなか状況の把握出来ない序盤には歯痒さを覚えるはずだ。冒頭では、ダムで働きにやってきた女性に対し、ソビエトの重職にあると思われる人物が妙に厳しい態度で質問する。そして、彼のナレーションを背景に、タイトルにもあるジバゴという人物の過去が語られるが、それが語り手の現在とどのように結びついていくのも解らなければ、過去のなかでの人間関係もなかなか把握出来ない。それが解りにくい、という理由で早いうちに見切りをつけてしまう人がいる可能性もある。
だが、そうして極端に絞り込んではいるが、その分描写は的確で、実に掘り下げ甲斐がある。描写を解釈し、物語へとじわじわ入り込んでいく人であれば、本篇は相当に惹きつけられるはずだ。そして、それぞれが崇高な理想であったり、明確な信義のもとに動いていてもままならない現実、決して互いの幸せに繋がらない状況が次第に伝わるようになり、細かな描写が深い情感を帯びていく。その成熟した筆捌きは、歴史的大事件を背景にしつつも派手な見せ場がないという特殊な作りにも拘わらず、物語が進むほどにその展開に力強さが増していく、という効果を上げているのだ。
このダイナミックさに寄与しているのが、極北の国を舞台にしているからこその、特徴的な光景の数々である。放置されるあいだに家屋が氷で覆われた様子、凍てついた湖のうえを、氷を踏み割りながら進む様子、そして夜の広野を、光に群がってきた狼たちが鳴き騒ぐさまなど、それぞれの前面に展開されるドラマと相俟って、鮮烈な印象を残す。『アラビアのロレンス』と同様に、この土地だからこその映像がふんだんに、しかも意義を持って盛り込まれているのが見事だ。
自然の厳しさも運命の不条理さも克明に描き出しながら、だが本篇は不思議なほどその奥底に優しさが流れている。序盤こそ鬼畜めいた所業で憎しみの対象となる人物が、終盤で示す人としての矜持。誰もが幸せになることを信じて振る舞っていたはずが、いつしか恐怖の対象に変貌していた人物の、直接は描かれない最後の行動の清々しさ。そして、タイトル・ロールであるドクトル・ジバゴと、彼が愛したふたりの女性の、切ないような優しさ。そうしたものの積み重ねの果てに、ふたたび物語は冒頭、現在に戻り、一連の出来事が積み重ねられた向こう側に、あまりにささやかで、そして胸に響く結末を用意する。
この物語に登場する多くの人間は、基本的には普通の人々だ。題名が“ジバゴ医師”なので、医療ものを期待しそうなところだが、医師であることは彼の人生を翻弄した要素に過ぎず、その意味では決して多大な才能に恵まれていたわけでもない。そんな彼が運命に振り回され、凡人が生きていくことの難しさをまざまざと描き出しながらも、しかし最後まで貫きとおされた優しさが、最後に救いと、快い余韻を残す。前述の通り、解りやすいとは到底言い難い語り口のために、万人に受け入れられることはないだろうし、より壮大な『アラビアのロレンス』のほうが今後も支持されるのでは、と思われるが、その成熟した表現と、観終わったあとに暖かな充実感を留める本篇を、私はより高く買いたい。
関連作品:
『ネバーランド』
『ウルフマン』
コメント
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