『メタルヘッド』

『メタルヘッド』

原題:“Hesher” / 原案:ブライアン・チャールズ・フランク / 監督:スペンサー・サッサー / 脚本:スペンサー・サッサー、デヴィッド・ミショッド / 製作:ルーシー・クーパー、マシュー・ウィーヴァー、スコット・プリサンド、ナタリー・ポートマン、スペンサー・サッサー、ジョニー・リン、ウィン・シェリダン / 製作総指揮:ジョナサン・ウェイスガル、ウェイン・チャン、アネット・サヴィッチ、エイリーン・ケシシアン、スコット・アームストロング、ラヴィ・ナンダン、マーク・ベル、マイケル・ロバン、ジェリー・フラックマン、ピーター・フラックマン、イアン・フラックマン、スコット・クルージ / 撮影監督:モーガン・ピエール・サッサー / プロダクション・デザイナー:ローラ・フォックス / 編集:マイケル・サカスカー、スペンサー・サッサー / 衣装:エイプリル・ネイピア / 音楽:フランソワ・テータ / 出演:ジョセフ・ゴードン=レヴィットナタリー・ポートマンレイン・ウィルソン、デヴィン・ブロシュー、パイパー・ローリージョン・キャロル・リンチ、フランク・コリソン、オードリー・ヴァシレフスキ、ポール・ベイツ / 配給:Face to Face×Pony Canyon

2010年アメリカ作品 / 上映時間:1時間46分 / 日本語字幕:山門珠美 / PG12

2011年6月25日日本公開

公式サイト : http://www.metalhead-film.com/

シネマート六本木にて初見(2011/06/22) ※試写会



[粗筋]

 悲劇から2ヶ月を経ても、フォーニー家に明かりは灯らなかった。

 父ポール(レイン・ウィルソン)は日がな一日カウチで過ごし、最近になってようやくグループ・セラピーへの参加を決意した。だが息子のT・J(デヴィン・ブロシュー)はそんな父に苛立ちを顕わにし、売りに出されたフォーニー家の車を追って自動車整備工場まで自転車を飛ばすが、経済力も免許もないT・Jには為す術もない。学校に行けば行ったで、同級生ダスティン(ブレンダン・ヒル)にいびられ、仕返しを試みるものの逆に追い回され、偶然居合わせたニコール(ナタリー・ポートマン)に助けられる始末だった。

 そんな彼らの前に、忽然とひとりの男が現れる。乱れた長髪に薄汚い服装、ボロボロのワゴンにギターや火炎瓶を詰めこみメタルを鳴り響かせて走り回るその男、ヘッシャー(ジョセフ・ゴードン=レヴィット)は何故かT・Jに目をつけ、強引に彼らの家に乗り込んできた。

 父子の困惑をよそに、ヘッシャーはどういうことか祖母のマデリン(パイパー・ローリー)に気に入られてしまい、ほとんど当然のようにフォーニー家に居座ってしまう。そして、未だ心の傷が癒えぬT・Jを、ヘッシャーは予想の斜め上を行く行動で翻弄し始めた――!

[感想]

 メタル野郎が、絶望に打ちひしがれる家族を救う――というと聞こえはいいが、この作品に登場するメタル野郎・ヘッシャーはたぶん、そこまで考えていない。彼の行動を、物語の骨格を抜きにしてひとつひとつ切り出して語れば、ほとんどの人は“無軌道な若者”に彼を分類するだろう。

 どれほど冷静に鑑賞しても、この男の行動には理屈が存在しない。どうしていきなりフォーニー家に乗り込んでいったのか、T・Jに何をさせたいのか、そもそもこの男に何らかの目的意識はあるのか。はじめのうちはそれを考えながら観ているのだが、恐らくほとんどの人には理解できないはずだ。

 しかし、その描写は恐らく意図的なものだろう。言ってみれば本篇の道化役ヘッシャーは、目的意識を一切示すことのない、正体不明の天使のように扱われている。袋小路に嵌って身動きの取れない人々を、強引にそこから引っ張り出し、常軌を逸した状況に落とし込む。たいていの人物は翻弄され、その無軌道な行いに怒り反発を覚えるのだが、しかしそれが一種の活力となって、人々の意識を微妙に揺り動かす。決してポジティヴな活力でもなかったりするが、少なくとも膠着状態を打ち破る効果をきっちり上げているのには感心する――ヘッシャー自身はたぶん何も考えずに感情に赴くまま行動しているだけで、その行動を説明しようとも、それぞれをリンクさせる意志も示さないのだが、そのお陰で物語には一切の説教臭さがない。

 最後、ふたたび襲いかかる悲劇に際して、ようやくヘッシャーは語るが、当人は話を整理していないのが窺える。そして内容も極めて下世話だ。だが、それでも彼が言わんとしていることがうっすらと伝わり、奇妙に説得されてしまう。それまでヘッシャーの行動に呆れ、苛立っていた人も、最後の振る舞いには感動を覚えてしまうはずだ。

 そこには、人物造型においても、事件の描写においても、決して安易に流れない現実志向が効いている。ヘッシャーを除き、本篇に登場する人物は、格別な使命感に燃えている訳でもなければ、何らかの特異な価値観や特技を持っているわけでもない。現実に囚われ、身動きの出来なくなっている人々ばかりだ。そして、そういう状況を簡単に打破できるような、欺瞞のある話運びにもしていない。基本的に、どうしようもない部分は最後までどうしようもないままなのだ。

 しかし、そうして偽っていないからこそ、ヘッシャーの八方破れの言動が痛快に映る。誰しも持っている苛立ちや破壊願望を、どこか憎めない表情のまま行動に移す様には、眉をひそめる人も多いだろうが、そんな人であっても爽快感を覚えずにいられないだろう。無茶苦茶だが、その出所の解らない破天荒ぶりは、いっそ天使のようだ。

 生きる意味を見失い、この先何をすればいいのか解らなくなった、という心境にある人は、とりあえず観てみるといい。相性が合わなければ反感を抱くだけだろうが、しかしそれでも妙な気力は湧いてくるはずだ。

関連作品:

(500)日のサマー

インセプション

ブラック・スワン

告発のとき

メタリカ:真実の瞬間

コメント

タイトルとURLをコピーしました