『アウトロー』

アウトロー [Blu-ray]

原題:“The Outlaw Josey Wales” / 原作:フォレスト・カーター / 監督:クリント・イーストウッド / 脚本:フィリップ・カウフマン、ソニア・チャーナス / 製作:ロバート・デイリー / 撮影監督:ブルース・サーティース / 美術:タンビ・ラーセン / 編集:フェリス・ウェブスター / 音楽:ジェリー・フィールディング / 出演:クリント・イーストウッド、ジョン・ヴァーノン、ソンドラ・ロック、ビル・マッキーニー、チーフ・ダン・ジョージ、ポーラ・トルーマン、サム・ボトムズ、ジョン・デイヴィス・チャンドラー、ジェラルディン・キームス、シェブ・ウーリー、マット・クラーク、ウィル・サンプソン、カイル・イーストウッド、ジョン・ミッチャム / マルパソ・カンパニー製作 / 配給:Warner Bros. / 映像ソフト発売元:Warner Home Video

1976年アメリカ作品 / 上映時間:2時間17分 / 日本語字幕:高瀬鎮夫

1976年8月7日日本公開

2011年7月20日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD Video:amazonBlu-ray Discamazon]

Blu-ray Discにて初見(2011/10/26)



[粗筋]

 南北戦争末期。ミズーリ州の片隅で農家を営んでいたジョージーウェールズ(クリント・イーストウッド)は、北部の“赤足”たちの襲撃を受け、妻子を殺害されてしまう。家族を埋葬したあと、通りがかった南部の義兵団に声をかけられたたジョージーは、彼らと共に南軍に加わった。

 ジョージーの優れた早撃ちの技は敵対する北軍にも轟いたが、戦況を一変させるには至らず、やがて南軍は敗北した。ジョージーの所属していた部隊のリーダー、フレチャー(ジョン・ヴァーノン)も投降を決断し、ほとんどの部下も彼に従ったが、ジョージーはそれを固辞し、アウトローになる道を選んだ。

 フレチャーは北の正規軍のもとに降るが、しかしそこには略奪者として知られる“赤足”のテリル大尉(ビル・マッキーニー)の姿もあった。驚くフレチャーの前で、更に北軍は彼を愚弄するような挙に出る。武装を解除した南部の男たちに、一斉に銃弾を放ったのだ。

 だがそこへ、遠くで様子を窺っていたジョージーが急襲、北軍を散々翻弄したあと、辛うじて息のあった若者ジェイミー(サム・ボトムズ)ひとりを伴ってその場を脱出した。テリル大尉とフレチャーはジョージーを生け捕りにするよう命じられ、テリル大尉は激情に目を爛々と輝かせ、フレチャーはジョージーという男の腕前を知っているが故に暗澹とした心境で追跡に赴く。

 傷ついたジェイミーに気遣いつつ、ジョージーは老獪な手管でフレチャーたちを撒くと、ひとまず南にある先住民の居留区を目指した――

[感想]

 順繰りに追っていくと、クリント・イーストウッド=西部劇、というイメージとは裏腹に、彼が決して正統派の西部劇のヒーローを演じ、正統派の西部劇を作ってきたわけではなかった、というのに気づかされる。テレビドラマとして制作された出世作『ローハイド』はいざ知らず、彼が初めて銀幕でガンマンに扮した『荒野の用心棒』はイタリアで製作され、日本の時代劇を翻案する、という形で狡知に長けた物語を構築し、決して従来の形に嵌らない西部劇になっていた。以降、製作に口出しの出来る立場になってからも、彼の手懸ける西部劇はどこかしら定石から逸脱した印象の強いものばかりだった。

 本篇でも、この作品までイーストウッドが築き、定着させてきたキャラクターのイメージを受け継ぎつつも、意外性のある展開を繰り返す、反骨心の感じられる作りとなっている。にもかかわらず、その佇まい、全体を通しての印象は、却って正統派の西部劇の香気を濃く滲ませている。

 従来は設定や語り口そのものに仕掛けていたひねりを、モチーフ自体はより定番に近づけたことが、その理由のひとつとして挙げられそうだ。『荒野の用心棒』ではふたつのグループを自由に行き来して荒くれ者どもを翻弄する狡猾さを備えた主人公に扮し、自身の監督作では初となる西部劇『荒野のストレンジャー』に至っては、主人公の秘める“謎”が究極のレベルにまで突き詰められてしまったが、本篇はむしろ非常にオーソドックスだ。北軍のゲリラによって妻子を殺され復讐心を滾らせ、早撃ちの名手として名を馳せた、血塗られているが従来以上にヒーローらしい人物像になっている。

 逃亡者となって目指すのは南、途中で河を越え先住民の居留地に逃げ延びる、という趣向、行く先々で様々な人々と巡り会い状況が変化していく、という筋も、大枠だけ抽出すれば凡庸だが、合流する人々のキャラクターは定石通りではない。文明に染まり技術を失いながらも知性的な年老いネイティヴ・アメリカンに、手籠めにされ奴隷同様に扱われていた若い女ネイティヴ、家族を失い我が子が営んでいた牧場へと逃げ延びようとする老婦人とその孫、そしてかつては銀鉱で栄えながらも今はすっかり衰退してしまった町の住人たち。そうした時代背景と合致し、西部劇においてはしばしばその姿を垣間見ることはあっても、主要登場人物としてここまで主人公と密接に絡むのはあまり多くないはずだ。しかも、最後には一団を為すのだから、その映像はなかなかにシュールである。

 そして、表現そのものも、これまでの作品と比べて急激に洗練された。人物の動きを丹念に、明快に追い続けるカメラワークと色遣い。そこここに鏤められた、己の境遇を笑い飛ばし、互いの立場の違いをも笑い飛ばすユーモアの数々。どこかドライで厭世的な印象さえあったこれ以前の作品群よりも情感を濃く滲ませた台詞は力強さを増し、胸に残る。

 基本的に言葉数が少ないのも相変わらずなのだが、本篇の場合、途中で加わるネイティヴ・アメリカンの老人がしばしばジョージーウェールズの言葉を代弁するだけでなく、肝心の場面で彼には非常に珍しい長広舌を振るったりもして、影を留めながらも“謎めいた”というイメージとは一線を画しているのも興味深い点だ。旧作よりも過去がはっきりとし、人物像が明瞭だからこそ、一連のドラマでの振る舞い、彼を迎える意外な成り行きが、余計に胸を熱くさせる。

 格好良さ、一種の冷酷さもきちんと維持しながら、そうした良質の西部劇が持つ味わいを蘇らせている、そこが何より素晴らしい。西部劇の王道を踏まえた上で扱いや決着するポイントをずらし、逆に正統派の匂いを醸しだす、という意味では、『大いなる西部』に通じる仕上がりとも言えそうだ。

 そもそも監督としての第1作『恐怖のメロディからして、彼自身の定着したイメージと決して一致しない、渋い仕事ぶりに資質を光らせていたが、それでもまだまだ稚拙なところはあった。だが本篇でクリント・イーストウッドは、遂に“監督”として完成されたのではないか、という気がする。本篇から16年後の1992年、『許されざる者』でアカデミー賞の栄誉にようやく輝いたイーストウッド監督だが、もし本篇の直後にあの作品を撮っていても、同じレベルの評価を得られたのではないか、とさえ思う。手にした脚本を、自分が主人公を演じられる年齢になるまで温存していたという話だが、その堂々たる“余裕”も、本篇のような作品を完成させたが故の自信から来ていたのかも知れない。

関連作品:

恐怖のメロディ

荒野のストレンジャー

許されざる者

荒野の用心棒

夕陽のガンマン

続・夕陽のガンマン

奴らを高く吊るせ!

真昼の死闘

シノーラ

ライトスタッフ

大いなる西部

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