『ブロンコ・ビリー』

ブロンコ・ビリー [DVD]

原題:“Bronco Billy” / 監督:クリント・イーストウッド / 脚本:デニス・E・ハッキン / 製作:デニス・E・ハッキン、ニール・ドブロフスキー / 製作総指揮:ロバート・デイリー / アソシエイト・プロデューサー:フリッツ・マネス / 撮影監督:デヴィッド・ワース / 美術:ジーン・ローリー / 編集:フェリス・ウェブスター、ジョエル・コックス / 音楽:スティーヴ・ドーフ / 音楽スーパーヴァイザー:スナッフ・ギャレット / 出演:クリント・イーストウッド、ソンドラ・ロック、ジェフリー・ルイス、スキャットマン・クローザーズ、ビル・マッキーニー、サム・ボトムズ、ウィリアム・プリンス、ダン・ヴァディス、シエラ・ペチャー、ウォルター・バーンズ、ビヴァリー・マッキンゼイ、ウッドロウ・パーフリー、パム・アッバスダグラス・マクグラス、ハンク・ウォーデン、テッサ・リチャード、アリソン・イーストウッド / 配給:Warner Bros.

1980年アメリカ作品 / 上映時間:1時間56分 / 日本語字幕:高瀬鎮夫

1980年8月16日日本公開

2009年9月9日映像ソフト日本盤発売 [DVD Video:amazon]

DVD Videoにて初見(2012/02/07)



[粗筋]

 アントワネット・リリー(ソンドラ・ロック)は急いでいた。30歳までに結婚しないと、幼い日に死んだ父の遺産を引き継ぐことが出来なくなるのだ。そのために、金目当てで近づいてきたジョン・アーリントン(ジェフリー・ルイス)と急遽結婚するが、ニューヨークに戻る途中、レンタカーが故障、やむなくモーテルに滞在しているあいだにジョンは遁走、アントワネットはひとりで取り残されてしまう。

 そんな彼女を拾ったのが、ブロンコ・ビリー(クリント・イーストウッド)を座長とする“ワイルド・ウエスト・ショー”一座である。折しもビリーは、自身のカウボーイ・ショーの助手となる女性がなかなか定着しない悩みを抱えており、着の身着のままのアントワネットを一時的に助手として雇うことにしたのだ。

 元々は、ニューヨークにいる義母アイリーン(ビヴァリー・マッキンゼイ)に連絡するための小銭を借りるためにビリーに縋っただけのつもりだったアントワネットは、ビリーの自己中心的な振る舞いに憤りつつも、なかなか義母とのあいだに連絡がつかず、他に頼るあてもないために、従わざるを得ない。ビリーの仲間たちはそんな彼女に、ビリーを理解するよう諭すが、アントワネットはなかなか納得しなかった。

 一方その頃、義母アイリーンはニューヨークでヤキモキしていた。旅先でアントワネットが消息を絶ったことで、自分に遺産が転がり込んでくるのでは、という期待を抱きはじめたのである。間もなく、メキシコへと逃げだそうとしていたジョンが逮捕され、彼がアントワネットの宝石類を所持していたために、アイリーンの弁護士はジョンにある取引を持ちかける……

[感想]

 各所に掲載されている粗筋や出演者の情報などから、てっきり『ダーティファイター』の焼き直しのような代物と思いこんでいた。ある意味ではその通りだったのだが、やはりイーストウッド監督、単純にそれだけで終わってはいない。

『ダーティファイター』は存在感充分だったオランウータンや、主人公を追うバイカー集団がいい味を出してコメディ風味を色濃くしていたが、本篇はコメディを抑え、より人情味を強調しようとしているのが窺える。粗野だが情に厚いビリーと彼の仲間たちに、金目当ての人間に囲まれ屈折したまま成長してしまったアントワネットが絡むことで、やや浮世離れした彼らの関係性、絆をゆったりと浮き彫りにしていく過程は、『ダーティファイター』よりも渋味があって心地好い。

 もうひとつ、本篇には作中人物のような、この頃すでにすっかり古びてしまった西部ショーを題材として、芸能の分野に携わる人々の哀愁や、信念といったものを意識的に描き出そうとしている気配が感じられる。子供たちを前にして徹底して“ヒーロー”であろうとするブロンコ・ビリーの姿や、後半に入って、ある人物が離脱せねばならない窮地に陥ると、その空白をどう埋めるか、ということに議論する様などが印象的だ。

 とりわけ、彼らが西部ショーに身を投じる人々である、という設定ならではの、クライマックス近くで描かれるひと幕が面白くも切ない。時代遅れのスタイルでも、彼らなりに誇りを持ち、そのものになり切ろうと足掻いているのを、うまく象徴している。

 大筋ではほとんど予定調和のストーリーではあるのだが、ヒロインであるアントワネットの、お嬢様だがすれた人物像、そして彼女の背景がほんのひと匙、意外性も含む味わいを加えているのが興味深い。この設定、流れであれば普通頼るだろうところをあえて避けた上で、しかしいちばん自然な着地を選んでいる。無論これでも充分に安易なのだが、安易そのもの、という印象を抱かせない工夫を軽くでも凝らしているのが、イーストウッド監督らしい。

 それにしても、本篇を観ていると、このあたりからイーストウッド監督が自身の老いを強く意識しはじめたのでは、と思える。だから以前よりもストレートに近い人情ものを採りあげ、しかもソンドラ・ロックという当時の私的なパートナーでもあった女優を続けて起用している。心なしか、少しずつ穏やかなマンネリへと作風を変化させようとしていたかのようだ。

 実際にはこのあと、ソンドラ・ロックとは泥沼の訴訟を経て訣別、イーストウッドはアクションやサスペンスに回帰したのち、21世紀に至って監督としての最盛期を迎えている。映画人として自身のスタイルや立ち位置を充分に理解しながら変化、成長をしてきたイーストウッドの、過渡期における迷いと諦念のようなものが本篇からは窺える。イーストウッド作品に興味のない人にはさほど見所はないと思われるし、この境地を掘り下げた後年の作品を観たほうが早いだろうが、その変遷を辿るうえでは無視できない作品だろう。

関連作品:

ダーティファイター

アウトロー

ガントレット

グラン・トリノ

トゥルー・グリット

リアル・スティール

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