原題:“The Guns of Navarone” / 原作:アリステア・マクリーン / 監督:J・リー・トンプソン / 製作&脚本:カール・フォアマン / 撮影監督:オズワルド・モリス、ジョン・ウィルコックス / プロダクション・デザイナー:ジェフリー・ドレイク / 特殊効果:ビル・ウォリントン、ウォーリー・ヴィーヴァース / 編集:アラン・オスビストン / 助監督:ピーター・イエーツ / 音楽:ディミトリ・ティオムキン / 出演:グレゴリー・ペック、デヴィッド・ニーヴン、アンソニー・クイン、スタンリー・ベイカー、アンソニー・クエイル、ジェームズ・ダーレン、イレーネ・パパス、ジア・スカラ、ブライアン・フォーブス、ウォルター・ゴテル、ジェームズ・ロバートソン・ジャスティス、リチャード・ハリス、アラン・カスバートソン、パーシー・ハーバート、アルバート・リーヴェン / 配給:コロムビア映画 / 映像ソフト発売元:Sony Pictures Entertainment
1961年アメリカ作品 / 上映時間:2時間38分 / 日本語字幕:太田国夫
1961年8月15日日本公開
2011年10月26日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD Video:amazon|Blu-ray Disc:amazon]
第2回午前十時の映画祭(2011/02/05〜2012/01/20開催)《Series2 青の50本》上映作品
TOHOシネマズ六本木ヒルズにて初見(2012/01/16)
[粗筋]
1943年、ドイツ軍はトルコに対する示威行動として、ギリシャ・ケロス島に駐留するイギリス軍に対する攻撃の準備を開始した。戦略的に重要ではないが、袋小路に等しい立地のために、逃げる手段がなく、このままでは2000人の兵士が犠牲になる。
ケロス島攻撃の鍵は、ナバロン島の要塞に建造された、最先端レーザー照準を備えた巨砲である。このために、救援として送りこんだ駆逐艦が砲撃に晒される危険があった。
イギリス軍のジェンセン准将(ジェームズ・ロバートソン・ジャスティス)はケロス島の兵士たちを救出するため、ナバロン島に少数の部隊を潜入させ、要塞を破壊する計画を立てる。メンバーは、立案者であるフランクリン少佐(アンソニー・クエイル)、もと登山家でドイツ語、ギリシャ語にも精通するマロリー大尉(グレゴリー・ペック)、もとはギリシャ軍の将校であるアンドレア・スタブロス大佐(アンソニー・クイン)、化学者で爆破の専門家ミラー伍長(デヴィッド・ニーヴン)、機械を担当するブラウン無線兵(スタンリー・ベイカー)、ナバロンに潜伏する反抗組織リーダーを父に持ち暗殺者として名を馳せるパパディモス(ジェームズ・ダーレン)の総勢6名である。ジェンセン准将は本音では成功を疑問視していたが、兵士たちを救える唯一の可能性として彼らに希望を託した。
フランクリン少佐たちは港でオンボロの小型船を調達し、海路から敵地への潜入を試みる。しかし、着陸寸前で嵐に襲われ、辛うじて作戦実行に必要な火薬類だけは下ろすことに成功するが、岸壁を登る際にフランクリン少佐が負傷してしまった。
マロリー大尉が代わりに指揮を執り、当初の予定通り現地レジスタンスと合流するため、一同は集落を目指す――
[感想]
第二次世界大戦を題材とした映画は多く作られているが、本篇はこのモチーフを冒険ドラマとして用いた作品の、お手本と言ってもいいくらいに完成度が高い。
戦争ドラマと言い条、戦う場面はあまり多くない。海を移動中に哨戒艇と遭遇、漁師を装って騙し討ちを図るくだりや、クライマックスぐらいのもので、あとはひたすらに危険と隣り合わせの潜入工作の様子が描かれるだけだ。
しかし、緊張の高め方、関心の繋ぎ方が実に巧妙で、終始グイグイと惹きつけられてしまう。巧いのはメインとなるマロリー大尉たちの人間関係に仕掛けを施してあることだ。マロリー大尉と旧知の間柄であるスタブロス大佐は、しかし過去の因縁により、戦争が終わったあとでマロリー大尉を殺すことを宣言している。互いの性格を熟知し、息の合ったところを随所で見せながら、両者のあいだには常に緊迫感が漂っている。それに生まれながらの軍人、という雰囲気のあるフランクリン大佐と、功績を上げながら昇格を拒み続けるミラー伍長の友情を二重写しにすることで、細かな台詞のやり取りに重厚なドラマを感じさせる。
負傷したフランクリン大佐の扱いを終盤ギリギリまで引っ張り、理性と打算、感情を入り交じらせて描くあたりは特に出色だ。作中、ちょっとした衝撃を齎すひと幕があるが、その場面の情感を、フランクリン大佐を巡る出来事がより膨らませている。
クライマックスに至っても、装備の不測、予想外に巧妙に立ち回る敵方によって仕掛けが無効化されていくのにもはや何の手出しも出来ないという緊張感を極限まで引き延ばし、最後まで目が離せない。あざといとも言えるが、終始細かな計算と配慮の上に成り立っているので、ただただ唸らされるばかりだ。
この頃の映画としてはリアリティを感じさせる、迫力のある視覚効果も注目すべき点だろう。セットと合成を駆使した嵐の航海、クライマックスの爆破シーンなど、無論、後年の戦争アクションと比べればまだまだ稚拙ではあるが、作品世界に引き込まれた状態であれば、その古さをほとんど意識させないパワーがある。
現地レジスタンスの家族でありながら何故かアメリカで兵役に就いているパパディモスや、ドイツ軍側の人物像にも工夫が凝らしてあったり、潜伏した村で思いがけず心和ませるシーンを盛り込んできたり、と細かな表現もまた粋だ。後年作られるものと似ているようでいて、しかし遥かに渋く味わい深い、いま観ても充分すぎるほどにクールな戦争映画である。なまじ戦争に対する見方がやたら辛くなってしまった現代では、なかなか生み出せない面白さが本篇には横溢している。
……ただ、よくよく考えると、同じアリステア・マクリーン原作による『荒鷲の要塞』と発想、構造が似通っているのが気になるのだが、それはたぶん原作者の問題だろう、うん。
関連作品:
『荒鷲の要塞』
『戦場にかける橋』
『ブリット』
『大いなる西部』
『
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