『人生はビギナーズ』

『人生はビギナーズ』

原題:“Beginners” / 監督&脚本:マイク・ミルズ / 製作:レスリー・ウルダング、ダテーン・ヴェネック、ミランダ・ドゥ・ペンシエ、ジェイ・ヴァン・ホイ、ラース・ヌードセン / 共同製作:フラン・ギブリン / 撮影監督:カスパー・タスセン / プロダクション・デザイナー:シェーン・ヴァレンティノ / 編集:オリヴィエ・ブッゲ・クエット / 衣装:ジェニファー・ジョンソン / キャスティング:コートニー・ブライト、ニコル・ダニエルズ / 音楽:ロジャー・ネイル、デイヴィッド・パーマー、ブライアン・レイツェル / 出演:ユアン・マクレガークリストファー・プラマーメラニー・ロランゴラン・ヴィシュニック、カイ・レノックス、メアリー・ペイジ・ケラー、キーガン・ブース、コスモ / 配給:PHANTOM FILM×KLOCKWORX

2010年アメリカ作品 / 上映時間:1時間45分 / 日本語字幕:松浦美奈

第84回アカデミー賞助演男優賞受賞作品

2012年2月4日日本公開

公式サイト : http://www.jinsei-beginners.com/

TOHOシネマズシャンテにて初見(2012/03/19)



[粗筋]

 グラフィック・デザイナーであるオリヴァー(ユアン・マクレガー)の父・ハル(クリストファー・プラマー)が亡くなった。オリヴァーは、自分たち家族が暮らしていた家を片付けると、飼っていた犬のアーサー(コスモ)を引き取る。

 ハルは晩年、妻のジョージア(メアリー・ペイジ・ケラー)が亡くなった半年後に、突如ゲイであったことを告白、自らの本能に正直に生きはじめた。ゲイのグループに参加し、アンディ(ゴラン・ヴィシュニック)という若い恋人を作り。以前よりも活き活きとしたその姿に、オリヴァーは戸惑いさえ覚えていた。

 父が亡くなったあと、以前以上に生真面目に仕事に取り組むようになっていたオリヴァーを、友人たちは強引に仮装パーティへと連れだす。フロイトの扮装をしたオリヴァーがカウンセリングの真似事をしていると、咽頭炎で声が出ない、という女性が現れた。不思議と惹かれあったふたりは、そのまま連れ立って会場をあとにする。

 彼女の名はアナ(メラニー・ロラン)、フランス出身の女優で、ニューヨークを拠点としながら、オリヴァーの暮らすロサンゼルスなど各所を撮影のために行き来している、という。価値観や来歴に共通点が多く、ともに時間を過ごして心地好い彼女に、オリヴァーは久々に恋愛感情を覚えていた。

 だが、そんなオリヴァーの脳裏にちらつくのは、自分が幼い頃の両親の姿だった。ごく普通の、幸せな夫婦のようでいて、どこか空虚な振る舞いは、オリヴァーに「人の心を理解する難しさ」を深々と刻みこんでいた……

[感想]

 年老いた父親が突然ゲイであることを告白し、新たな人生を謳歌したのちに亡くなった――というのは、本篇の監督であるマイク・ミルズの実体験を踏まえているらしい。

 だから細かな描写に説得力があるのは当然とも言えるが、私的で独りよがりなものにならず、ある程度エンタテインメントとしての味わいを保持しているあたりに、映画監督としての節度とセンスが滲む。終始、監督自身を反映したオリヴァーの視点で綴られ、あまりその外側に踏み込むことのない語り口は、とても個人的だが実感が色濃く、それでいて日常生活のなかで、回想というかたちで簡単に現在と過去とのあいだを跳躍する感覚を、非常に細かな編集で再現することで、心地好いテンポと、自然さを巧みに表現している。冒頭に記したシチュエーションを除けば決して波乱に富んだ物語でないだけに、この語り口こそ作品の魅力を担っている、と言っていい。

 そうして紡ぎ出されるのは、他人を理解することの難しさであり、ひいては“普通”に生きることの難しさだ。実の父親であるにも拘わらず、オリヴァーはカミングアウトされるまでゲイであることを知らなかった。幼い頃、両親の振る舞いに感じていたぎこちなさの源がそこにあることに気づき、必然的に母の言動にも今更ながら想いを馳せずにいられなくなる。そして、そんな両親の姿が影響して、恋人と長続きしない自分自身について惑い、新たに巡り逢った愛するひととの接し方に悩む。

 オリヴァーの立ち位置は一見風変わりだが、幼い頃から現在に至るまで繰り返される、人間関係を築くことへの悩み、苦しみは、決して特異なものではない、と感じられる。小さいときは母の幾分突飛な行動に驚かされ、長じてはゲイである本質に立ち戻った父の活き活きとした姿に翻弄され、現在はアナとの距離感に悩む。身近な人々との交流にも惑う様子が綴られるあたり、オリヴァーの生真面目さ、不器用さはいささか行き過ぎているようにも思うが、しかし真剣に考えれば考えるほど、実際にはこういう悩みは尽きないのだ。ちりばめられた彼の人生の断片に、誰でもどこかしら共鳴するところを見出すのではなかろうか。

 そうして浮き彫りにされた、特異なようでいてごく有り体な生き方のなかで、人々が見せる表情の愛らしさがとても印象に残る。どちらもいい大人なのに、ぎこちなく互いを探りあうようなオリヴァーとアナの触れ合いはまるで学生のようだし、恋人アンディが現れたときのハルの表情は瑞々しくさえある。ハルの妻ジョージアの無邪気な振る舞いやオリヴァーの友人の毒舌にさえも優しさが滲み、本篇で綴られることはいずれも煩わしく重苦しいが、しかし不思議と快い。無言で含蓄のあることを囁く飼い犬アーサーもまた然りだ。

 本篇の結末は決して曇りないハッピーエンドではないのだが、それでも余韻が優しく穏やかなのは、何もかもが拓けたわけではないけれど、正直に己の姿を受け止め、先に進もうとする意志が窺えるからだろう。本篇の原題“Biginners”は作中、私の記憶ではまったく用いられなかったフレーズなのだが、それ故に最後の最後にタイトルとして示された瞬間、す、っと腑に落ちる感覚がある。75歳にして新しい人生に赴いた父ハルも、固定観念に縛られ人間関係に踏み込めずにいたオリヴァーも、みんな生きることの初心者だ。始めることに、遅いも早いもない、という主題が、とてもシンプルに響いてくる。

 ……実のところ、主人公であるオリヴァーの年齢設定が自分に近く、どうも冷静に観られた気が余りしないのだが、それでもこれがとても真摯に、生きること、死ぬことと向き合いながら、優しい重さを纏った良品であることは保証してもいいと思う。生きることが窮屈で仕方ないと思っている人でも、本篇を観たあとは、少し気が楽になっている……かも知れない。

関連作品:

フィリップ、きみを愛してる!

ドラゴン・タトゥーの女

イングロリアス・バスターズ

ミルク

50/50 フィフティ・フィフティ

コメント

タイトルとURLをコピーしました