『フランケンウィニー(3D・字幕)』

TOHOシネマズ スカラ座、受付前の階段途中に掲示されたポスター。

原題:“Frankenweenie” / 監督&原案:ティム・バートン / 脚本:ジョン・オーガスト / 脚本原案:レニー・リップス / 製作:ティム・バートン、アリソン・アバッテ / 製作総指揮:ドン・ハーン / 撮影監督:ピーター・ソーグ / プロダクション・デザイナー:リック・ハインリクス / 編集:クリス・レベンソン,A.C.E.、マーク・ソロモン / アニメーション・ディレクター:トレイ・トーマス / パペット・キャラクターデザイン&クリエイト:マッキノン&サンダース / 美術監督:ティム・ブラウニング、アレクサンドラ・ウォーカー / 音楽:ダニー・エルフマン / 声の出演:キャサリン・オハラマーティン・ショートマーティン・ランドー、チャーリー・ターハン、アッティカス・シェイファー、ウィノナ・ライダー / 声の出演(日本語吹替版):吉永拓斗平川大輔湯屋敦子南里侑香赤星昇一郎、壤晴彦、関根航、島崎光、小倉史也、中村一葵、宮本侑芽近藤春菜(ハリセンボン)、箕輪はるか(ハリセンボン) / 配給:Walt Disney Studios Japan

2012年アメリカ作品 / 上映時間:1時間27分 / 日本語字幕:石田泰子

2012年12月15日日本公開

公式サイト : http://disney.jp/FW

TOHOシネマズスカラ座にて初見(2013/01/01)



[粗筋]

 ヴィクター・フランケンシュタイン(チャーリー・ターハン/吉永拓斗)は、科学が得意で機械いじりが大好きな少年である。そのため学校で親しくする友達はいないが、代わりに飼い犬のスパーキーが無二の親友となっていた。

 そんな彼の父エドワード(マーティン・ショート平川大輔)は、我が子の才能を誇らしく思う一方で、もう少しヴィクターに活発になって欲しい、と、地元の少年野球に参加するよう促す。乗り気ではなかったが、エドワードや母スーザン(キャサリン・オハラ湯屋敦子)の気持ちを汲んで出かけたヴィクターを待っていたのは、悲劇だった。

 不慣れながらも何とか活躍しよう、と思ったヴィクターは、一念が通じたのか、大きな当たりを出した。しかし、そのボールを追いかけていったスパーキーが、不注意で車に撥ねられてしまったのである。

 無二の友達を喪ったヴィクターの心痛は甚だしかった。沈んだままだった彼に天啓を齎したのは、新しく赴任してきた科学の先生、ジクルスキ氏(マーティン・ランドー/壤晴彦)である。ジクルスキ先生は、生き物が電流に反応して動く、ということを授業のなかで語った。

 家に帰ったあと、ヴィクターは様々な機材を集めて回り、そして夜には、両親の眼を盗んで動物墓地へと赴き、葬ったスパーキーの遺体を掘り出して、我が家へ持ち帰る。

 ヴィクター少年が暮らす町ニュー・オランダは昔から雨と落雷の多い土地柄だった。その晩も、あちこちで激しい落雷の音が響いている。ヴィクターはそれを、スパーキーのために利用することを考えた。壊れた身体を縫い合わせ、体内に電極を埋め込んで、落雷のタイミングで屋根の上に掲げる。そうして、少年はやり遂げた――スパーキーを蘇らせたのだ。

 とはいえ、いちど死んだ犬が生き返れば、大騒ぎになるだろう、ということぐらいヴィクター少年にも解っている。彼は実験に使う屋根裏部屋にスパーキーを閉じ込めて、秘密を守ろうとするのだが、しかしスパーキーの存在はヴィクターの危惧した通り、思わぬ騒動を町にもたらしてしまう……

[感想]

 3Dアニメーションにせよストップモーション・アニメにせよ、ディズニー製作となれば、子供向けに作られている、と想像するだろう。かのティム・バートン監督といえど、それは同じ――とは言い切れないのは、先行する実写3Dによる『アリス・イン・ワンダーランド』の奇妙な作品世界を見ても明白だが、自らの原点にあたる初期短篇を長篇にリメイクした本篇ではより濃厚だ。

 全般に、日本人の目には海外で作られるアニメーションのキャラクターはいささかグロテスクに映るものだが、本篇はとりわけインパクトが強い。人物のデザインも奇妙だし、メインとなる再生犬スパーキーの造形など、本来“可愛い”と感じるものではない。採り入れられたひとつひとつのモチーフも、往年のホラー映画、特撮映画に知識のあるひとなら唸らされるようなものばかりで、この部分だけクローズアップすれば、どうしてレーティングが全年齢対象になるのか訝しく思うくらいの条件だ。

 しかし、バートン監督の他の作品もそうであるのと同様に、本篇のキャラクター、映像は不思議なほどにキュートだ。不気味な造形の登場人物たちにもすぐに慣れてしまうし、グロテスクだがユーモアに彩られたやり取りがすぐに微笑ましく思えてくる。

 最たるものが、実質的なタイトル・ロールであるスパーキーだ。犬……とは言うが、私たちの知っている犬、映画に登場する可愛らしい犬と並べてみて、違和感のある風貌である。妙に鼻は尖っているし、眉毛らしきものまでついていて、体格はずんぐりむっくり。蘇ったあとのつぎはぎだらけの姿もすごいが、しかし生前から基本的なスタイルは変わりない。どちらかと言えば不細工なほうなのに、やたらと愛らしい。

 それは、安易な表現で恐縮だが、やはりキャラクターに注ぐ“愛情”の深さがものを言っているのだろう。序盤、生きているときのスパーキーの、風貌こそユニークだが、その行動がとても愛らしく映るのは、犬好きが知っている、犬の愛嬌を感じさせる仕草が丁寧に盛り込まれているが故である。いささか賢すぎるのはまあお約束としても、ヴィクターの足許にまとわりつく仕草、一所懸命に歓心を買おうとする健気さは、ヴィクターならずとも抱き締めたくなる。あまりに生前の姿が愛おしすぎて、悲劇のシーンでは、飼い犬を失った経験があるひとであればもらい泣きしかねない。ヴィクターの手によって蘇ったあとの振る舞いが愉しいのも、生前の描写がしっかりしていればこそであるし、いわば“怪物”になっても、犬である、という本質を見失っていないが故である。

 そしてこの愛情は、“怪物”たち――というより、往年のホラー、特撮映画に登場したようなモチーフの盛り込み方にも如実だ。主人公の一家の姓が“フランケンシュタイン”なのは当然、お隣に住む少女の姓が“ヴァン・ヘルシング”、そして事態を悪化させる同級生が“エドカー・E・ゴア”なんて色々と織り交ざった名前だったりするあたりもさりながら、化学教師の真っ直ぐすぎる偏屈さ、ヴィクターたちに敵対心を燃やす同級生ナソルの、特撮映画に出て来るマッド・サイエンティストを見習うかのような言動も愉しい。日本人としては、やはりヴィクターの同級生であり、終盤の展開に寄与するキャラクターが“トシアキ”という名であるのがちょっと嬉しくなるところだが、クライマックスで彼が作りだしたものが判明したとき、嬉しさはちょっとどころではなくなるはずだ。だから日系人だったのか、とひどく納得させられる。

 もし往年のファンが不満を抱くとするなら、そうして引用したモチーフが初心者向けの極めて解りやすいものばかりである、ということだろうが、実はそれこそティム・バートン監督が本篇を子供向けのレーティングに留める最大の理由ではないか、と私は邪推している。つまり、本篇に魅せられた子供たちが、何らかのきっかけで本篇の元ネタに関心を持ち、接する機会を得るように仕向けているのではないか、と考えているのだ。

 象徴的なのは、結末である。恐らく、“良識がある”と思いこんでいるひとであれば、この一歩手前で物語を止めて、道徳的な主題を覗かせてしまう。そこをあえて一歩踏み込んでしまうことで、こうした題材を扱う映画に潜む、クリーチャーなりフリークスなりの持つ優しさ、快い魔力を感じさせてしまう。この結末に触れたあとなら、恐らく往年の特撮映画に対して、ただ“怖いもの”という認識しかなかった子供でも、接し方が変わってしまうに違いない。

 そうだとすれば、ティム・バートン監督の狙いはある意味、悪魔的とも言える――それも、人に優しく、愛すべき悪魔だ。

 つまるところ、極めていつも通りのティム・バートンの世界である。そして、彼の世界観の備える魅力を解りやすく、かつ深く味わわせてくれる作品でもある。

 ……しかしこの作品、いちおうは科学の持つ有用性と危険とを表現する、という意図もあるようだが、にしては現象が恣意的で突飛すぎる。作中、ヴィクターに天啓をもたらす科学の先生が口にする「科学は魔法とは違う」という台詞は、ひどく浮いた言葉にも思えるが、しかし一種の自虐的なユーモア、とも取れそうだ。

 どちらにせよ、そういう破綻もまた、往年のB級特撮映画の魅力と重なる点である。たぶん、ティム・バートン監督は解ってやっているに違いない――とても愉しそうな笑顔とともに。

関連作品:

ティム・バートンのコープスブライド

シザーハンズ

チャーリーとチョコレート工場

アリス・イン・ワンダーランド

ダーク・シャドウ

リンカーン/秘密の書

オテサーネク

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