『ウォルト・ディズニーの約束』

TOHOシネマズシャンテ、施設外壁の看板。

原題:“Saving Mr. Banks” / 監督:ジョン・リー・ハンコック / 脚本:ケリー・マーセル、スー・スミス / 製作:アリソン・オーウェン、イアン・コリー / 製作総指揮:ポール・トライビッツ、クリスティーン・ランガン、アンドリュー・メイソン、トロイ・ラム / 撮影監督:ジョン・シュワルツマン / プロダクション・デザイナー:マイケル・コレンブリス / 編集:マーク・リヴォルシー / 衣装:ダニエル・オーランディ / 音楽:トーマス・ニューマン / 音楽監修:マット・サリヴァン / 出演:エマ・トンプソントム・ハンクスポール・ジアマッティジェイソン・シュワルツマンブラッドリー・ウィットフォード、ルース・ウィルソン、B・J・ノヴァク、メラニー・パクソン、アニー・ローズ・バックリー、コリン・ファレル、キャシー・ベイカー、アンディ・マクフィー、レイチェル・グリフィス、ロナン・ヴィバート、デミトリアス・グロッセ、デンドリー・テイラー / 配給:Walt Disney Studios Japan

2013年アメリカ、イギリス、オーストラリア合作 / 上映時間:2時間6分 / 日本語字幕:松浦美奈

第86回アカデミー賞音楽部門候補作品

2014年3月21日日本公開

公式サイト : http://www.disney.co.jp/movies/walt/

TOHOシネマズシャンテにて初見(2014/04/18)



[粗筋]

 パメラ・L・トラヴァース(エマ・トンプソン)は、ある人物からの執拗な連絡に悩まされていた。彼女の手懸けた児童文学『メリー・ポピンズ』をどうしても映画化したい、というのである。問い合わせは折に触れ繰り返され、既に20年に亘っている。トラヴァースに頷く意志はなかったが、長いこと新作を発表していない彼女に収入がないことを心配した弁護士は、「話だけでも聞いてこい」と諭し、渋る彼女を無理矢理アメリカに送り出した。

 特別に雇われた運転手ラルフ(ポール・ジアマッティ)がトラヴァースを送り届けたのは、ディズニー・スタジオ――そして、彼女を迎えたのは、“夢の王国”の王たる人物、ウォルト・ディズニー(トム・ハンクス)だった。

 すべて自分の思い通りにしなければ気が済まない男、と言われるウォルトは、噂通りの押しの強さでトラヴァースに迫り、彼女には脚本の読み合わせの段階から口を挟んでも構わない、と言う。

 だが対するトラヴァースも一筋縄ではいかなかった。ウォルトの言質を利用して、脚本家ドン・ダグラディ(ブラッドリー・ウィットフォード)や楽曲を担当するリチャード・シャーマン(ジェイソン・シュワルツマン)とロバート・シャーマン(B・J・ノヴァク)を前にいっさい気後れすることなく、脚本のト書きから注文をつけていく。ウォルトを遥かに凌駕する横暴ぶりに、スタッフはみるみる憔悴していった。

 当初、ミュージカルにすることも認めなかったトラヴァースは、それでも少しずつ妥協しているかに見えたが、本音では未だに映像化を許していなかった。彼女にとって『メリー・ポピンズ』は、金儲けに用いるなど考えもつかないほど神聖なものだった。

 トラヴァースにとって、“メリー・ポピンズ”とは何なのか? それは彼女の幼少時に遡る。トラヴァースの父ゴフ(コリン・ファレル)は、『メリー・ポピンズ』に登場するバンクス氏と同様に、銀行員だった――

[感想]

 率直に言えば、私は『メリー・ポピンズ』という作品があまりピンと来なかった。当時としては極めて独創的なアイディアを盛り込み、実写で可能な限りのファンタジーを構築した点は評価すべきだし、映画史においても意味のある作品だ、と認めるのにやぶさかではないが、ストーリーの面ではどうも納得できない点が多く感じられたのである。しかし世間的には、アカデミー賞では13部門の候補、主演女優・作曲・歌曲・編集・視覚効果の5部門に輝いた名作として残っているのも事実で、それ故に本篇のように、背景を掘り下げる映画が生まれたのだろう。

 とはいえ、どうしても元となる作品がしっくり来ていなかった私は、いまひとつ期待が持てず、ただどういうふうに映画として昇華しているのか、という1点に興味を抱いて劇場に足を運んだのだが――観ておいて正解だった。

 本篇は一種、ミステリめいた語り口で展開していく。序盤から映画化に対して頑なな姿勢を貫くトラヴァースの行動は、そのためにわざわざスタッフに嫌がらせをしているのではないか、と感じるほどだ。あまりに理不尽な要求に、いったい何故そこまで実写化を拒絶するのか、そこまで“メリー・ポピンズ”を自身の中で神聖化するのはどうしてなのか、という疑問が湧いてくる。並行して、トラヴァースの幼少時代と思しいシークエンスが挿入されるが、それがなかなか本筋に絡んでこないので、余計に謎めいてくる。恐らく、作品についての背景を承知しているひとにとっては不思議でもない話を、構成によってミステリ風に見せているだけなのだが、その手管はなかなか堂に入っている。

 その一方で、トラヴァースやウォルト・ディズニーをワガママな人間として憎たらしく描くのではなく、ユーモアもある人物として、決して不愉快に感じない程度の匙加減で表現しているのが巧い。毒舌を吐きまくって周囲を振り回し、関係者にとっては実に厄介な人物だ、と感じさせつつも、トラヴァースの愛嬌もきちんと表現して観る側を楽しませている。実はウォルトもけっこうなワンマンだったらしい片鱗は本篇に窺えるのだが、この物語のなかではトラヴァースのパワーが優っているので、程良く抑えられている格好だ。過剰な行動が嫌らしさではなく笑いに繋がるのは、トラヴァースのメンタリティがイギリス寄りであり、本篇の製作国がイギリスを中心としているが故かも知れない。意外なほど、そのトーンはハリウッドっぽくない。

 嫌味を言うとすれば、“心暖まる交流”の類が全般に唐突である、という点だろうか。実写化は仕方ないにしてもミュージカルは駄目、アニメーションを使うなんてもってのほか――と口を酸っぱくして主張していたトラヴァースだが、完成された作品を観たひとはご存知のように、どちらも採り入れられている。アニメーションについては最後まで微妙な評価をしていたが、ミュージカル部分についてはわりと早い段階で妥協したように見えるのだが、その理由がちょっと伝わりづらい。脚本家や作曲家がトラヴァースに対して配慮し、彼女の意向を汲み取れるようになったから、ではあるのだが、そのトリガーが少々ぼんやりしている。特にトラヴァースとラルフとの関係は、ラストで観客の目許を熱くさせる趣向があるが、両者がそこまで交流を深めるきっかけがあまり描かれていないのが惜しまれる。過去のパートをいささか丁寧に作りすぎて、現代で語るべき部分がやや手空きになってしまったようだ。

 しかしその分、過去篇の描写はシンプルながらも情緒豊かで、本筋のことを一瞬忘れてしまうくらいに響くものがある。一見理想的な家族、だが随所に覗かせる闇がいつしか幸せを蝕んでいく。こうしたくだりが、トラヴァースにとっての“メリー・ポピンズ”が何故あれほど重要なのか、という点に繋がっていくため、もともと無視できない箇所だが、現代がちょっと意地悪なユーモアに彩られているだけに、過去の優しさと息苦しさが切なくなる。父親ゴフを演じたコリン・ファレルの堂々としているが繊細な演技が、このパートに芯を通して、現代にまでしっかりと刺さっている。予め『メリー・ポピンズ』を観ていると、いつしかその場面場面に彼の姿が重なって、意味を深めていくのに貢献しているのだ。

 私にはこの作品は、『メリー・ポピンズ』という作品に対して残る疑問や、間違って下されかねない評価を払拭するために、およそ50年の時を経て製作された“続篇”、或いは“解題”のようなものに映る。実際、本篇を観たあとで『メリー・ポピンズ』の内容を振り返ると、空想的で飛躍のあるストーリーに籠められた意味を感じて、胸の温まる心地がする。

メリー・ポピンズ』の内容にどうしても納得がいかない、何故ああいう作品になったのか、という疑問を抱いているひとも、いちど観ておいて損はないはずだ。確実に納得できる、という保証はしかねるし、それで評価が改まる、とも言えないが、抱いていた疑問を確実にある程度は解消してくれるはずである。個人的には、『メリー・ポピンズ』とセットで観ておくべき作品だと思う――そうして、本篇の原題にはウォルト・ディズニーの名前がなく、“Saving Mr. Banks”ということを顧みていただきたい。これは、そういう作品なのだ。

関連作品:

メリー・ポピンズ

しあわせの隠れ場所』/『真夜中のサバナ』/『スノーホワイト

メン・イン・ブラック3』/『キャプテン・フィリップス』/『それでも夜は明ける』/『ムーンライズ・キングダム』/『キャビン』/『ローン・レンジャー』/『コールドマウンテン』/『トータル・リコール

映画に愛をこめて アメリカの夜』/『市川崑物語』/『エヴリシング・オア・ナッシング:知られざる007誕生の物語』/『ヒッチコック

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