原題:“Le Grand Alibi” / 原作:アガサ・クリスティー『ホロー荘の殺人』 / 監督:パスカル・ボニゼール / 脚本:パスカル・ボニゼール、ジェローム・ボージュール / 製作:サイド・ベン・サイド / 撮影監督:マリー・スペンサー / プロダクション・デザイナー:ウーター・ズーン / 編集:モニカ・コールマン / 衣装:マリエル・ロボー / 音楽:アレクセイ・アイギー / 出演:ミュウ=ミュウ、ランベール・ウィルソン、ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ、ピエール・アルディティ、マチュー・ドゥミ、アンヌ・コンシニ、モーリス・ベニシュー、カテリーナ・ムリーノ / 配給:MOVIE-EYE
2007年フランス作品 / 上映時間:1時間33分 / 日本語字幕:松浦美奈
2009年3月15日フランス映画祭2009にて日本初公開
2010年上半期日本公開予定
TOHOシネマズ六本木ヒルズにて初見(2009/03/15)
[粗筋]
夏のある週末、パリ近郊にある小さな村・ヴェトゥイユにある、上院議員ヘンリ(ピエール・アルディティ)の邸宅に、親類や親しい友人が顔を連ねた。
ヘンリの妻エリエーヌ(ミュウ=ミュウ)は無邪気にはしゃいでいるが、実のところ一同は医師のピエール(欄ベール・ウィルソン)を中心に複雑な関係を築いている。昔から女性との浮気が絶えないピエールは、特に芸術家であるエステル(ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ)と長年にわたって関係を続けており、しかし妻のクレア(アンヌ・コンシニ)とも別れる気はない。
ギリギリで均衡を保っていたかに見えた一同の関係は、その日の晩餐で、一気に緊張が高まった。エリエーヌが偶然に知り合ったという、イタリアの有名女優レア・マントヴァニ(カテリーナ・ムリーノ)を招いたためである。レアはずっと昔、ピエールと交際しており、再会と同時にレアはピエールを誘い、彼も乗ってしまった。
――そして翌る日、悲劇が起きる。邸宅のプールサイドで銃声が鳴り響き、人々が駆けつけてみると、そこには虫の息のピエールと、彼の手を握るエステル、そしてリヴォルヴァーを握りしめたクレアの姿があった。
当然のようにクレアが容疑者として拘束されたが、間もなく意外な事実が判明する。ピエールの命を奪った弾丸はリヴォルヴァーではなく、オートマチックから発射されたものだったのだ。クレアは、落ちていた拳銃を拾っただけだと語るが、では本物の凶器は何処に行ったのか? 凶器の謎と輻輳した人間関係によって、事件は予想の出来ない展開を見せていく……
[感想]
未だに愛読者の多いミステリ作家アガサ・クリスティーの長篇『ホロー荘の殺人』に基づいた映画だが、大きく違っている点がいくつかある。特に大きいのは、クリスティお抱えの名探偵エルキュール・ポワロが登場する作品でありながら、彼の存在を排除したことだろう。
もっともこの『ホロー荘の殺人』という作品、アガサ・クリスティー自身が「ポワロは必要ではなかった」、と漏らしていたという話もある。実際に読んでみると解るが、人間関係のあやに分け入るかのような話運びと終盤の展開は、確かに名探偵というメカニズムを必ずしも求めていない。犯人と別の登場人物の駆け引きか、更に別の人物同士の会話という形で謎をほぐしてもいい内容だった。原作を読んでいる人なら、納得のいく脚色であると思う。
むしろもっと重要な違いは、作品の舞台を現代のフランスに移している点だ。このことだけで、本篇は原作のプロットを終盤手前まで温存しつつも、大幅に趣を違えたものにしている。
人間関係やそこから生じる複雑な感情を丹念に描き、内省的な雰囲気を色濃くしていた原作に対し、この映画版は如何にもフランス映画らしい洒脱なユーモアに彩られている。基本的には微妙な人間関係を匂わせたシリアスな会話が中心だが、深刻な中にもちらりとユーモアを滲ませてくすぐりを入れ、軽妙なムードを演出している。原作の基本的にプロットを温存しながらも、こういう見せ方が出来る、というのを示している印象だ。原作をその通り映像化すべきだ、という主義を貫かれているような方でもなければ、さほど違和感を感じない作りになっている。
しかし、それでも終盤の展開については賛否が割れると思われる。原作はほとんどトーンを変えないまま決着に至るのだが、本篇では原作にない殺人事件を追加し、更にクライマックスでは、この物語の中にあってはかなり派手なアクションが盛り込まれている。殺人事件自体は原作の人間関係を敷衍し、どこか感情的な変化があれば起きても不思議のないものなのでまだいいとしても、さすがにクライマックスについては、寛容な人でも少々困惑を覚えるに違いない。
コージィ・ミステリのような軽さを目指した弊害なのか、複雑な人間関係が織り成すドラマの深みが薄れ、全般に説明不足になった感がある。そのせいか、舞台を移すためなどの理由で細かく差し換えた設定や関係性がうまく噛み合わず、ぎこちない印象を齎していた。
だが、人間の感情に必要以上深入りしなかったからこそ、本篇はフランス映画らしい洒脱さ、いい意味での軽さを保っている。謎解きとしての品格やアイディアは活かしながらも、きちんと“フランス映画”に仕立てたという意味では見事な仕事ぶりだ。プロットの基本的なところを壊していないから、アガサ・クリスティーという作家の持つ才能を改めて証明し、敬意をもちゃんと示している。
重厚な謎解きを期待すると消化不良の気分を味わうが、アガサ・クリスティーという素材を丁寧に咀嚼して仕立てたコージィ・ミステリである、と承知していれば、充分な満足感が得られるだろう。あまり過剰に期待せず、その心地好さに身を浸しに行く、程度の感覚で楽しむべき、肌触りのよい映画である。
なお本篇の日本公開は、アガサ・クリスティーの生誕120周年に合わせて、2010年上半期になる予定だそうだ。気になる方は、今のうちにメモしておくことをお薦めする。
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