『ハンナ』

『ハンナ』

原題:“Hanna” / 監督:ジョー・ライト / 原案:セス・ロクヘッド / 脚本:セス・ロクヘッド、デヴィッド・ファー / 製作:レスリー・ホールラン、マーティ・アデルスタイン、スコット・ニーミス / 製作総指揮:バーバラ・A・ホール / 撮影監督:アルウィン・カックラー,BSC / プロダクション・デザイナー:サラ・グリーンウッド / 編集:ポール・トシル,ACE / キャスティング:ジーナ・ジェイ / 音楽:ケミカル・ブラザーズ / 出演:シアーシャ・ローナンエリック・バナケイト・ブランシェットトム・ホランダーオリヴィア・ウィリアムズジェイソン・フレミングジェシカ・バーデン、ジョン・マクミラン / ホールラン・カンパニー製作 / 配給:Sony Pictures Entertainment

2011年アメリカ作品 / 上映時間:1時間51分 / 日本語字幕:小寺陽子

2011年8月27日日本公開

公式サイト : http://www.hanna-movie.jp/

新宿ピカデリーにて初見(2011/08/27)



[粗筋]

 フィンランドの深い森の中で、ハンナ(シアーシャ・ローナン)は育った。周りにいる人間は、父エリック(エリック・バナ)ただひとり。ハンナは、たった一つの目的を果たすために、父から多くの知識と、ある技術を叩きこまれていた。

 しかし、父から与えられる断片的な知識から、日一日と外の世界への憧れを募らせていったハンナは、父をも追いつめるほど“技術”を極めたことを証明すると、父に宣言する。「もう、準備はできた」

 ――ドイツのベルリンにあるCIA支局に勤務するマリッサ(ケイト・ブランシェット)のもとに一報が届いたのは、それから間もなくのことだった。かつてCIAに在籍しながら、計画を破壊したうえに殺人の嫌疑をかけられて逃亡したエリックの固有信号を突如受信した、というのである。マリッサは上層部にエリック抹殺の計画を打診するが、上層部はマリッサの指揮下ではなく、特殊警察に話を委ねてしまう。

 フィンランドの森に潜入した部隊が発見したのは、エリックではなく、ひとり残されていたハンナであった。CIAは彼女の素性とエリックの目的を探るために訊問を行うが、ハンナは「マリッサに逢ったら話す」と言う。

 マリッサは別の女性職員に彼女を名乗らせ、ハンナの反応を窺った。にわかに不安定な様子になったハンナに、スタッフは精神安定剤を投与するべく駆けつけたが、扉が開くと同時に、ハンナは早業で女性職員を殺害、やって来た応援までも瞬く間に殲滅すると、厳重な警備の中を巧みに脱出してしまう。

 地上に出たハンナの目の前には、荒野が広がっていた。ハンナは、父との約束を果たすべく、歩きはじめる――目指すは、ベルリン。

[感想]

 監督のジョー・ライトは『プライドと偏見』、『つぐない』と優れた小説の映像化を立て続けに成功に導いた人物である。前者は未見なので語れないが、後者は長尺で複雑な原作を見事に咀嚼して再構築、文章でしか描けない仕掛けも巧みに映像として練り直していて、驚異的な完成度を示していた。本篇に主演したシアーシャ・ローナンも、この『つぐない』の主人公ブライオニーの重要な時期を好演している。

 そんなコンビの新作であるだけに、アクション映画と言っても、単純明快に収まるはずがない。より幼い『ニキータ』を思わせる設定のヒロインを軸に据えながら、一筋縄で行かない内容になっている。

 この作品、とにかく背景についての説明をほとんど施していないのがまず出色だ。リアル志向でアクション映画に変革を齎し、本篇にも影響を与えている“ジェイソン・ボーン”シリーズでさえ、背景を伝えるためのやり取りや謎解きを組み込んでいるのに、本篇は最小限しか行っていない。明確な背景があり、それを仄めかす描写は無数に鏤められているが、解りやすく再構築するような場面は挿入されていない。ゆえに、話を追いながら推測しない人、流れに身を委ねてしまう人は、終わったところで明白なカタルシスを得られる可能性は低いだろう。

 ただ、そうして背後に埋め込まれた設定を解体しながら鑑賞すると、本篇は非常に味わい深い。特に、タイトルロールである少女ハンナの境遇と彼女の感覚を想像しながら鑑賞すると、その繊細な配慮に気づくはずだ。

 幼少時から森に籠もり、暗殺者としての英才教育を施されてきた彼女は、サヴァイヴァルの技術に優れ、様々な必要を考慮して多くの言語も修得している(作中、実際に使う場面はないが、日本語でさえ知悉していることを匂わせる台詞がある)が、電気も届かない場所で暮らしていたために、当然だが電化製品を直接目の当たりにしたことがない。ハンナが最初に迷い込んだ家で、蛍光灯を「初めて見た」というばかりでなく、電気式ケトルに驚き、住人が点けていったテレビから鳴り響く銃声に動揺を顕わにする様は、緊迫した物語の中でちょっとしたユーモアになっていると同時に、ハンナの生活ぶり、一般人と乖離した知識、経験を窺わせる。

 同じ年頃のイギリス人少女ソフィー(ジェシカ・バーデン)とその家族との交流は、やや変化球でハンナの人間性や感情を仄めかしていて、なお興味深い。保守的な傾向にあるソフィーの父(ジェイソン・フレミング)と開放的な母(オリヴィア・ウィリアムズ)、それにソフィーとのあいだで繰り広げられる性の価値観の議論に困惑する、というくだりは解りやすい方だが、そのなかでさり気なく触れられる、家族という関係性のなかに自然に存在する認識を初めて知るあたりは、あとでその意図に気づくとハッとさせられる。これ以上詳述はしないが、とにかく非常によく脚本が練られているのだ。

 それはハンナの父エリックと、彼が執念的に狙っていたマリッサにしても同様だ。彼らが互いに命を狙う関係になった背景について、本篇の中では最低限の情報しか提示しない――というより、実際に起こすであろう行動、起きた過去以外は描写していないので、全体像を掴むのは難しい。ただ、マリッサがエリックを執拗に狙う心理の背景は、隠し金庫に保管していた過去の“計画”の資料を、何らかの役に立てるのではなく焼却し、ハンナにとって祖母にあたる人物を訪ねたときの行動に、一見事務的で冷淡な振る舞いをするマリッサの激情が見え隠れし、他方でエリックは、ハンナのためにしていた準備の内容と、終盤、再会したときに、ある事実についてまったく言い訳しないことに、人間的な感情を垣間見ることが出来る。

 随所で見せるアクション、追跡劇の迫力や描き方がシンプルながら鋭く、ケミカル・ブラザーズのノイジーな音楽とも相俟ってスピード感に溢れているだけに、ドラマ部分が単純明快でないことに、爽快なアクションを求めて劇場に足を運ぶ観客には恐らく不満に感じられるだろう。まして、何処か地味なクライマックスのやり取りは大いに物足りなく思えるはずだ。

 だが、これも全篇通じて貫かれる、含意に満ちた表現であると考えると、唸らされる描写が多々鏤められている。注目すべきは、父がハンナの最終目的地に指示したのが、グリム童話のモチーフを展示した“グリムの家”という場所である、という点である。無駄なことは多く教えていなかった感のあるエリックであるから、ハンナに唯一手渡していたと思しい娯楽の本がグリム童話であったことから、ハンナが直感的に目的地を判別しやすいように設定したと考えられるが、しかしその描写は非常に象徴的だ。特にクライマックス、かつてはトロッコが走っていたと思しいオオカミの口を模したトンネルから、敵が現れるくだりなどは。

 しかし、とりわけ秀逸なのは、ハンナの最後の台詞である。作中、ある場面で口にした台詞を繰り返しているだけだが、随所で語られた彼女の背景、そして彼女が経験し、学んできたことの数々と照らし合わせて考えると――この台詞はじわじわと突き刺さる。

 アクション映画ならもっと単純明快に、観終わってスカッとしたい、という想いはあるだろうし、それは私も否定しない、というよりそういうのも大好きだ。しかし、それだけで済ませない、本篇のような作品も充分に価値がある。

 本筋において、余計なものを一切描かなかったのと同様に、本篇はいわゆるエピローグに該当する場面はおろか、話のあとを憶測させる材料さえ提供しない。それ故に、ハンナに巻き込まれる格好になったある人々のその後が気にかかり、モヤモヤした想いを抱くだろう。ただ、それは本来、どんなアクション映画にも考え得る状況なのだ。そういう感覚を、恐らくは意識的に本篇は観客に齎している。そういうところまで含めて、実に容赦のない、奥行きに富んだ作品である。

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