『LIFE IN A DAY 地球上のある一日の物語』

『LIFE IN A DAY 地球上のある一日の物語』

原題:“Life in a Day” / 監督:ケヴィン・マクドナルド、332組342名の共同監督 / 製作:リザ・マーシャル / 製作総指揮:リドリー・スコットトニー・スコット / 視覚効果:ジョナサン・アレンスカ / 編集:ジョー・ウォーカー / 音楽:ハリー・グレッグソン=ウィリアムズ、マシュー・ハーバート / 音楽エディター:ジェームズ・ベラミー / スコット・フリー/You Tube製作 / 配給:MAGIC HOUR

2011年イギリス、アメリカ合作 / 上映時間:1時間35分 / 日本語字幕:岡見文克

2011年8月27日日本公開

公式サイト : http://www.unitedcinemas.jp/lifeinaday/

公式サイト : http://www.youtube.com/user/magichourJPN/

オーディトリウム渋谷にて初見(2011/07/24) ※舞台挨拶つき試写会



[概要]

 2010年、全世界で活用されている動画投稿サイト“You Tube”で、ある呼びかけが行われた。

「2010年7月24日、あなたの日常のひとコマを記録しませんか」

 この呼びかけに応え、投稿された映像は合計4500時間に達した。

 そのなかから、332組342人の“監督”が撮影した映像が、アカデミー賞受賞作の監督であるケヴィン・マクドナルド監督のもと編集、95分にまとめられた。2010年7月24日、同じ日に、世界各地で、どんな人が、どんな生活を送っていたのか――本篇は、映画史に類を見ない、シンプルにして壮大なドキュメンタリーである。

[感想]

 着想そのものがまず炯眼、と言いたくなる作品だ。携帯電話にさえ動画撮影機能が標準で積まれるようになり、その気になれば誰もがちょっとした“映画”を撮れ、その映像を世界に配信することが可能になった時代だからこそ出来る趣向である。どうしてこれをもっと早く思いつかなかったのか、と歯噛みする業界関係者もいたのではなかろうか。

 ただ、この方法がうまく行けば膨大な映像が集まるのは想像に難くないが、同時にそれを扱う大変さも容易に察せられるはずである。実際、概要に記した通り、集まった映像は4500時間に及んだといい、中には冷やかし、一見しただけで使い物にならない、と解るものもあっただろうが、そこから優れた映像、印象的なエピソードを抽出するのは、例えば監督はじめ編集に携わった人々に明白な狙いがあったとしても、相当苦しい作業だったに違いない。

 その甲斐あって、本篇は実に巧くまとまった、良質のドキュメンタリーに仕上がっている。

 変に奇を衒うことなく、基本は一日を朝から夜へと、時系列に添って並べるスタイルにしたことで、世界各地の生活習慣が、大幅に異なるようでいて本質的には一緒だということが窺える。みんな朝は寝床から出て、歯を磨き顔を洗い、朝食を摂る。洗顔の場所が小綺麗な洗面所であったり、鏡は曇り壁にヒビの入ったあばら屋であったりと、生活の水準に差違はあっても、やっていることに違いはない。そのことが興味深いと同時に、観ている者と出演者とのあいだに繋がりを感じさせる。

 他方でいきなり、非日常も飛び込んでくる。全世界からネット経由で映像を募る、という手法からするともっとふんだんにあるように推測されたが、作中で戦場を映したらしきものはほんの僅かしかない――だがそれでも、誰もが日常の暮らしを営む傍らで、剣呑な駆け引きと隣り合わせにいることを窺わせる。何せ、実際に採り上げられた戦地のものと思われる映像は、基地で兵士たちが銃を抱えながらも愉しげに戯れている場面なのだから。この選び方が絶妙だ。

 多くの映像はごく断片的に用いられているだけだが、要所要所では、長めの尺を割かれた映像が存在する。その選択の仕方も秀逸である。

 世界各地から集まった映像、というだけのことはあって、当然のように日本から投稿された映像も採用されているのだが、なかではっきりと印象を残すのは、本職がカメラマンであるという男性とその小さなひとり息子の朝の風景だ。如何にも日本の小さな団地かマンション、という趣の雑然とした部屋で、ベッドから起き朝の支度をする様子を淡々と撮したものだが、そこに母親の姿はなく、父親が子供に、「お母さんに手を合わせて」というシーンが含まれている。短いながらも、背後にあるドラマが透け見える、いい映像だ。

 しかし本篇の巧みなところは、明らかにこれと対を為す意図で、また別の家庭についても長い尺を用いていることである。英語圏の家庭で、こちらは父も母もいるが、子供は何やら拗ねて食事を摂ろうとしない。そんな子供に両親が優しく諭す言葉から窺い知れるのは、母親が何度も重い病を患いながら、どうやらふたたび難局を乗り越えたらしい、という事実である。

 ある家族は、母親を喪いながらもひたむきに生き、別の家庭では病を繰り返し乗り越えその脅威に怯えながら生き長らえている。同様に、同じ日、同じ時間に、まったく正反対の状況に身を置き、感慨を口にする者がいることを、本篇は不意をついて織りこんでくる。このふた組の家族も印象的だが、同様の趣向で私がいちばんハッとさせられたのは、青年が祖母に電話で、同性愛の恋人がいることを告げ、それを祝福される場面があった一方、ずっとあとで「同性愛は病気だ」と語る人の姿を採り上げていることだ。正しい、悪いとは論じない代わりに、双方をそっと、ストレートには対比させられない位置に配することで、余計鮮烈な印象を残す。凄まじい映像の分量に対する誠意の感じられる編集が、本篇をアイディア一本槍の作品に終わらせていない。

 締め括りも見事だ。時系列を辿っているのだから当然だが、ラストは7月24日の夜が描かれる。多くの人々が就寝する姿を捉えるなかで、ひとり、嵐のなかの車で自分を撮影する女性の姿が採り上げられている。彼女がカメラに向かって漏らす心境は、とても普遍的であると同時に、こうして採り上げられた映像すべてを見事に総括している。

 多くの映像を用いているだけに、切り口、捉え方は他にもいくらでもあるだろう。だが、いずれにせよ本篇は、呼びかけに応えて寄せられた大量の映像に報いるだけの、優秀なドキュメンタリーに仕上がっている。

 余談ですが、そんな私は2010年7月24日に何をしていたかというと……こんな感じでした。やっぱり映画観てた……

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