TOHOシネマズ日本橋、エレベーター正面に掲示された『シカゴ(2002)』上映当時の午前十時の映画祭11案内ポスター。
原題:“Chicago” / 監督&振付:ロブ・マーシャル / 脚本:ビル・コンドン / 製作:マーティン・リチャーズ / 共同製作:ドン・カーモディ / 撮影:ディオン・ビーブ、ASC / プロダクション・デザイン:ジョン・マイア / 衣装デザイン:コリーン・アトウッド / 編集:マーティン・ウォルシュ / 作曲:ジョン・カンダー / 作詞:フレッド・エッブ / 音楽監修:モーリーン・クロウ / 音楽監修・指揮:ポール・ボガエフ / オリジナルスコア:ダニー・エルフマン / 原案戯曲:モーリン・ダラス・ワトキンス / 舞台版演出&振付:ボブ・フォッシー / 舞台版台本:ボブ・フォッシー、フレッド・エッブ / 出演:レニー・ゼルウィガー、キャサリン・ゼタ・ジョーンズ、リチャード・ギア、クイーン・ラティファ、ジョン・C・ライリー、テイ・ディッグス、コルム・フィオーレ、ルーシー・リュー / 配給:GAGA-HUMAX / 映像ソフト日本最新盤発売:Paramount Japan
2002年アメリカ作品 / 上映時間:1時間53分 / 日本語字幕:戸田奈津子
2003年4月19日日本公開
午前十時の映画祭11(2021/04/02~2022/03/31開催)上映作品
2021年6月23日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD Video|Blu-ray Disc]
公式サイト : http://www.chicago-jp.com/ ※閉鎖済
丸の内ルーブルにて初見(2003/4/26)
[粗筋]
時は1920年代、舞台は酒とジャズと悪徳が入り乱れる都市シカゴ。主婦のロキシー・ハート(レニー・ゼルウィガー)はレヴューダンサーに憧れていた。薄給の夫に対する失望もあって、有名クラブのマネージャーと知り合いだと吹聴する家具のセールスマンと懇ろになるものの、嘘だと知って逆上、その場でセールスマンを銃殺した。ロキシーを偏愛する夫のエイモス(ジョン・C・ライリー)に強盗を正当防衛で殺したと偽りの説明をし、身代わりに捕まってもらおうとするが、瞬く間に嘘がばれてそのまま刑務所行きとなる。
検事補のマーティン・ハリソン(コルム・フィオーレ)に即刻絞首台行きだ、と脅されて怯えるロキシーは、彼女より前に妹と夫を殺した疑いで収監されていたレヴュー・ダンサーのヴェルマ・ケリー(キャサリン・ゼタ・ジョーンズ)が女看守長のママ・モートン(クイーン・ラティファ)を介して、利き腕だが金に汚い弁護士ビリー・フリン(リチャード・ギア)に連絡を取って無罪を勝ち取ろうとしていることを知り、自分もまたビリーに連絡を取って欲しいとママ・モートンに懇願する。
ビリーから要求された弁護料は5000ドル――平凡な、そして仕事も持たない主婦のロキシーに用意できる額ではない。エイモスが金策に走っても、2000ドルが限界だった。だが、ビリーは「情熱に打たれた」と言って弁護を引き受ける。
無論、金に汚いと言われる男が熱意だけで仕事を引き受けるはずがない。ビリーはロキシーの愛らしい風貌を利用して、マスコミに事件の詳細を嘘をふんだんにまぶして報じさせ、ロキシーを悪徳と悲劇のヒロインとして祭り上げた。法廷戦術の一環でもあるが、同時に弁護料をきっちり回収するための作戦でもあった。数日のうちにシカゴでその名を知らぬもののないスターにのし上がったロキシーは有頂天になる。
一方、スターの地位を追われ無罪を勝ち取るはずの法廷も延期にされてしまったヴェルマは面白くない。不快感を堪えながらロキシーに取り入ろうとするが、簡単にはねつけられてしまう。
だが、シカゴの人々は移り気だった。大富豪の娘として何不自由のない生活を送っていたが、自宅のベッドに女をふたり同時に連れ込んだ夫を愛人もろともその場で撃ち殺したキティー(ルーシー・リュー)という女が刑務所に送り込まれると、話題の焦点は彼女に移りかかった。その気配をいち早く察したロキシーは、とんでもない作戦に出る――
[感想]
正直、どう感想を述べていいのかも解らないくらいに完成度が高い。前評判通り、掛け値無しのエンタテインメントである。
ごちゃごちゃとしているようだが、基本となる筋立ては単純でかなりオーソドックスだ。登場人物はみな欲得ずくで動き、狙っているものは富と名声のみ、と目的意識もストレート。なんの教訓も得られないが、行動理念が解りやすく一番卑近であるだけに、話を受け入れやすいしかなりえげつない展開にも抵抗を感じない。
では描写が単純かというと、そうでないのがまたポイントになっている。悪徳弁護士ビリーが初登場シーンでは「愛」を切々と歌い上げてみるのがいい例で、ウイットに富んだ仕掛けが細部に見出されるのだ。何より判決間際の駆け引きはそれまでの描写を巧みに反映しており、なかなかに痛快。
創意に満ちたミュージカル場面の素晴らしさは言うまでもないが、1920年当時のシカゴの猥雑な雰囲気を鋭く描き出した現実場面も印象深い。
強いて言うなら、全編が高いクオリティに保たれているためにやや平坦な印象があり、見方によっては少々飽きが来ることが欠点だろうか。自分でも言いがかりに等しいと思うが、実際そう感じたので仕方ない。
出演者で一番素晴らしかったのは、やはりアカデミー助演女優賞に輝いたキャサリン・ゼタ・ジョーンズだったが、他の出演者も決して悪くない。どうしてもブリジット・ジョーンズのぷくぷくした愛らしさが最初に思い浮かぶレニー・ゼルウィガーはきっちりと肉を削ぎ落とし、髪型といいスタイルといいマリリン・モンローを思わせるセクシーさと愛らしさを体現しているし、リチャード・ギアの計略に長けた弁護士っぷりも堂に入っている。
が、個人的には本来脇役である女看守長を演じたクイーン・ラティファの豪快さと、ロキシーの夫を演じたジョン・C・ライリーの哀れっぽさが印象的だった――詰まるところ、脇に至るまで殆ど手抜かりがなかったのでした。
――と、ここまでが、2003年に日本で初めて封切られた際に鑑賞した私が書いた感想である(粗筋も当時書いたものをそのまま流用した)。近年に比べるとわりあいあっさりした書き方をしているので、もうちょっと丁寧に書き直そうか、とも思ったが、敢えてそのまま残して、今なりの所感を付け加えることにした。
この頃はまだミュージカルにほとんど接していなかったので、割合素直に受け入れてしまっていたが、本篇のミュージカル・パートの切り分け方は実に巧い。現実から急にイメージを強調したようなセットに切り替わることで、普通にドラマの枠内でミュージカルに移行するより、受け入れやすくさせている。牢獄をイメージしたセットで、魅惑的な衣裳をまとった女囚たちが踊るくだりや、話題を攫いつつあるロキシーに乗っかろうとヴェルマが必死にアピールする場面など、通常のドラマパートから鮮やかな転換をして自然に観客をミュージカルの空間に誘っており、その巧みさに唸らされる。
そして、女性達がかなり魅惑的な姿で踊っていて、色気もあるのに決して卑猥な印象を与えないのが凄い。パフォーマンスの躍動感と、決して煽情的に陥らない演出故だろうが、この絶妙な匙加減も、欲得ずくで展開していく物語から適度に俗っぽさを和らげている。
もともとのブロードウェイ・ミュージカルの質が高い、というのもあるだろう。しかしこの映画版の成功は、場面転換の演出がミュージカルが苦手な人の抵抗を小さしていることが大きかったようにも思う。当時のショウビジネスのドロドロとした本質をきちんと汲み取りながら、ミュージカルならではの華やかさ、昂揚感も味わわせてくれる。
『ラ・ラ・ランド』の成功を境に、ミュージカル映画もコンスタントに製作され日本に届くようになってきた。しかしそうした潮流の始まりは、実は本篇あたりにあるのかも知れない。
関連作品:
『SAYURI』/『パイレーツ・オブ・カリビアン/
『恋は邪魔者』/『ディボース・ショウ』/『運命の女』/『TAXI NY』/『めぐりあう時間たち』/『リベリオン』/『ペイチェック 消された記憶』/『カンパニー・マン』
『オール・ザット・ジャズ』/『雨に唄えば』/『ムーランルージュ!』/『ジャージー・ボーイズ』/『ラ・ラ・ランド』/『グレイテスト・ショーマン』
コメント