『ダイアナの選択』

『ダイアナの選択』

原題:“The Life Before Her Eyes” / 原作:ローラ・カジシュキー『春に葬られた光』(Village Books・刊) / 監督:ヴァディム・パールマン / 脚本:エミール・スターン / 製作:ヴァディム・パールマン、エイメ・ペロンネ、アンソニー・カタガス / 製作総指揮:トッド・ワグナー、マーク・キューバン、マーク・バタン / 撮影監督:パヴェル・エデルマン / 美術:マイア・ジェイヴァン / 編集:デイヴィッド・バクスター / 衣装:ハラ・バーメット / 音楽:ジェームズ・ホーナー / 出演:ユマ・サーマンエヴァン・レイチェル・ウッドエヴァ・アムーリ、ブレット・カレン、ガブリエル・ブレナン、オスカー・アイザック、ジャック・ギルピン、ジョン・マガロ、モリー・プライス / 2929プロダクションズ製作 / 配給:DesperaDo×日活

2008年アメリカ作品 / 上映時間:1時間30分 / 日本語字幕:古田由紀子 / PG-12

2009年3月14日日本公開

公式サイト : http://www.diana-sentaku.com/

シネスイッチ銀座にて初見(2009/04/11)



[粗筋]

 ダイアナ(エヴァン・レイチェル・ウッド)、17歳、女子高生。世を拗ねた、破天荒な言動で母親(モリー・プライス)を困らせている。異性経験は豊富で、煙草も薬も嗜む彼女だが、親友のモーリーン(エヴァ・アムーリ)はまるで対照的な人柄だった。生真面目で敬虔なカトリック、晩熟で同級生に憧れているもののまだ経験はない。

 それでも、留守の家に忍びこんで勝手にプールを利用したり、薬物の使用がばれて実技の練習が出来ないダイアナのために手ずから自動車の運転を教えてくれたりと、モーリーンは奔放な親友に根気よく付き合っていた。出逢ったのは高校に入ってからだったが、間違いなくふたりは親友同士だった。

 その日も、平穏で退屈な1日が繰り返されるはずだった。遅れ気味で登校して、授業のチャイムを無視してトイレに入り雑談にふけっていたダイアナとモーリーンは、突然聞こえてきた耳慣れない騒音に戸惑い、やがてそれが銃声と悲鳴だと気づいて慄然とする。銃声は次第に近づいてきて、やがて女子トイレの扉を蹴破り現れたのは、ライフルを構えた同級生、マイケル(ジョン・マガロ)だった。

 殺さないで、と懇願するふたりに、マイケルは苛立ったように「殺すのは一人だ」と返す。そして、過酷な問いを投げかけてきた――どちらを殺す?

 ……成人したダイアナ(ユマ・サーマン)は、知的で優しい夫ポール(ブレット・カレン)と、自分によく似た娘エマ(ガブリエル・ブレナン)と共に幸せな家庭を築きながら、ふと考える。あのとき、どう答えるのが正しかったのか、と……

[感想]

 先頃公開された『パッセンジャーズ』もそうだったが、本篇もまた“衝撃の真相”そして“観ていない人に結末を話さないでください”と注文する類の映画である。たとえ肩透かしや失望を味わう結果になったとしても、そういう作品はなるべくチェックしたい質なので、この作品も鑑賞したのだが――やはり、“衝撃の真相”という意味では物足りない。

 迂闊な書き方をするとあっさり真相を察することが出来るような話なので詳述はしにくいのだが、率直に言って本篇のアイディアでは、すれた観客を引っかけるのは難しいだろう。仮に見抜けなかったとしても、“衝撃”というよりは肩透かしに近い印象を受ける可能性が高い。

 ただ、その“衝撃の真相”を支えるための伏線の張り方はごく丁寧で、『パッセンジャーズ』よりも筋が通っている。結末を観たあとで検証すると、その構成や盛り込む伏線の量においても繊細な配慮を施しているのに気づくはずだ。だから、観終わってから感心する、ということには繋がるのだが、しかし話が決着した時点での衝撃や興奮、強烈な感動には至らず、そういうものを期待して観ると恐らく不満を抱くだろう。

 本篇はむしろ、一風変わった語り口で綴られる“青春映画”として味わうべきだと思う。自らを省みて、無邪気さを懐かしみ、愚かさを嘆く、その姿の哀しさ、痛々しさ、切なさの表現という面において、本篇は非常に優秀だ。主人公・ダイアナの言動の一つ一つが過去と未来とのあいだで反響していく描写など、そのひとつひとつが無自覚に映るだけにいっそう澄んだ痛ましさを際だたせている。

 17歳のダイアナをエヴァン・レイチェル・ウッドと、成長したのちのダイアナをユマ・サーマンとが、決して似た面立ちでないことも、本篇の場合は有効に働いている。エヴァン・レイチェル・ウッドは残酷なまでの無邪気をストレートに瑞々しく演じる一方で、ユマ・サーマンは過酷な経験を引きずって褪せた美貌を体現し、勝ち得たはずの幸せに戸惑い却って心の安定を失った女性を穏やかに繊細に演じきり、両者のコントラストが個々の出来事をより印象づけている。

 如何せん、青春映画として論じようとすると結末の仕掛けに抵触してしまい、たとえ“衝撃の真相”に期待せずに観るとしても興を削いでしまうのは否めず、深く語ることが出来ないのが歯痒い。いずれにせよ、過剰に結末の衝撃に期待を寄せるのではなく、騙されるつもりで素直に鑑賞した方が胸に沁みる作品である。

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