原題:“The Ballad of Cable Hogue” / 監督&製作総指揮:サム・ペキンパー / 脚本:ジョン・クロフォード、エドマンド・ペニー / 製作総指揮:フィル・フェルドマン / 撮影監督:ルシアン・バラード,A.S.C. / 美術:リロイ・コールマン / 編集:ルー・ロンバルド、フランク・サンティロ / 音楽:ジェリー・ゴールドスミス / 出演:ジェイソン・ロバーズ、ステラ・スティーヴンス、デヴィッド・ワーナー、ストローザー・マーティン、スリム・ピケンズ、L・Q・ジョーンズ、R・G・アームストロング、ピーター・ホイットニー、ジーン・エヴァンス、ウィリアム・ミムス、キャスリーン・フリーマン、スーザン・オコンネル、ヴォーン・テイラー / 配給:Warner Bros. / 映像ソフト発売元:Warner Home Video
1970年アメリカ作品 / 上映時間:2時間2分 / 日本語字幕:?
1970年10月24日日本公開
2009年7月8日映像ソフト日本盤発売 [DVD Video:amazon]
DVD Videoにて初見(2013/11/21)
[粗筋]
タガート(L・Q・ジョーンズ)、ボーウェン(ストローザー・マーティン)と共に砂漠を渡っていたケーブル・ホーグ(ジェイソン・ロバーズ)は、しかし残された僅かな水を奪われ、取り残された。かつての仲間に対する恨みを糧に飲まず食わずで放浪を続けたケーブルは、しかし死の淵で偶然に地面から水が湧いているのを発見、九死に一生を得た。
間もなく街道を発見したケーブルは、通りがかった駅馬車の馭者から、この街道の街と街との距離が長く、休憩する場所がないことを教わると、この地に休憩所を築くことを閃く。
まずは水の湧く場所を発掘し、簡単な井戸を確保して、水を求めに来た者から料金を徴収して稼ぐことにしたケーブルだが、早々にやって来たうさん臭い牧師のジョシュア(デヴィッド・ワーナー)から、横取りされないために登記する必要がある、と言われ、慌てて近くの街へと赴いた。
半信半疑の役人になけなしの金を手渡し登記を済ませたケーブルは、そこで巡り逢った娼婦に目を奪われる。彼女に一夜の癒やしを求めるために、これから立ち上げる休憩所を利用する契約を駅馬車の業者と結んで当座の資金(と、女を買う元手)を得ようと考えたが、業者からは一笑に付されてしまった。しかし、藁にも縋る思いで立ち寄った銀行で融資を認められ、ケーブルは意気揚々と娼婦のもとを訪ねる。
ヒルディ(ステラ・スティーヴンス)という娼婦は、長いこと身体を洗わなかったケーブルの悪臭に顔をしかめながらも彼を歓待してくれた。結果的に追い出されるような事態になったが、ケーブルは満たされた心地で砂漠へと舞い戻る。
ヒルディは恋しいが、街に戻るつもりはなかった。タガートとボーウェンに復讐を遂げるまで、砂漠に留まる覚悟を決めていたのだ――
[感想]
サム・ペキンパー監督といえば、様式美を極めた『ワイルドバンチ』によって、娯楽映画の王道だった西部劇に終止符を打った、と言われる人物であり、『ガルシアの首』『わらの犬』でも西部劇に通じる悽愴なアクション表現と独特の詩情が特徴になっていた。
そうしたイメージで鑑賞すると本篇は、観ているうちに次第に戸惑いを覚える内容である。放浪者たちのリアリティを感じさせる薄汚れた風貌、砂漠の中を彷徨う姿のインパクトは強烈だが、水源を発見してから以降の描写は趣が違う。ときどき緊張感が漂う場面もあるが、あとの展開はおおむね長閑と言っていい。
長閑であると同時に、本篇には銃撃戦とは別のロマンが横溢している。自らの名前を冠した街を拓き、自分を侮っていたひとびとを見返して、美しい娼婦との恋愛を愉しむ。そして表面的には穏やかな日常を満喫しながら、自分を裏切ったかつての仲間に対する復讐心を絶えず胸に宿らせる。そしてその締め括りに至るまで、よくよく並べてみると、男が一度ぐらい脳裏に妄想しそうなシチュエーションばかりだ。
それを、薄汚れた風采の上がらない男が、どこか締まらないままに実現する姿が、妙に様になっている。そもそも西部劇というものが、多くの男の子やもと男の子のヒーロー願望を充足させるではあるが、本篇はもう少し大人の欲望を具体化させたものだ、と言えそうだ。
それ故に、そういう欲望を斜に構えて捉えた姿勢でいると、本篇はとても観るに耐えない代物に感じるかも知れない。ただ、そうやって冷静に切り取れば嘲笑されかねない妄想を、きっちり組み合わせて独自の空間を作りだしてしまっているのは評価するべきだろう。
妄想だけ並べ立てているようでいて、無駄がない。砂漠に水源を見つけ、ひとりで街を築こうとするケーブルに対する近隣のひとびとの反応や、彼と親しくなるジョシュアやヒルディの人物像、そこで語られる物事や思想が、作品全体の独特のムードを作りだし、あのどこか虚無的な締め括りに結びつく。ラストシーンに至って漂う詩情は、そう簡単に生み出せるものではない。
舞台が西部劇というだけで、らしからぬ作品、という印象を受けるが、こうして分析してみると実のところ、サム・ペキンパー監督の代表作『ワイルドバンチ』と意識は一貫している。ある種の男のロマンを具現化したものであり、滅びの美学、と呼ぶべきものが醸しだす詩情を、泥臭くも見事な厚みで表現している。西部劇ならもっと銃撃戦や荒野を旅する姿を描くべきでは、と無自覚にでも考えているひとにはとても腑抜けた作品に映るかも知れないが、これもまた西部劇のひとつの極北と言っていいだろう。
関連作品:
『ワイルドバンチ』
『ガルシアの首』
『ジュリア』
『タイタニック3D』
『ドニー・ダーコ』
『ランゴ』
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