原題:“[REC]” / 監督:ジャウマ・バラゲロ、パコ・プラサ / 脚本:ジャウマ・バラゲロ、パコ・プラサ、ルイス・A・ベルデホ / 製作:フリオ・フェルナンデス / 製作総指揮:カルロス・フェルナンデス / 共同製作:アルベルト・マリーニ / 撮影監督:パブロ・ロッソ / 美術:ヘマ・ファウリア / 編集:ダビ・ガラルト / 衣装:グロリア・ビゲル / 音楽:ハビ・マス / 出演:マニュエラ・ヴェラスコ、フェラン・テラッツァ、ホルヘ・ヤマン、カルロス・ラサルテ、パブロ・ロッソ、ダビ・ベェルト、ヴィセンテ・ヒル、マルタ・カーボネル、カルロス・ヴィセンテ / 配給:Broadmedia Studios Corporation
2007年スペイン作品 / 上映時間:1時間17分 / 日本語字幕:岡田壯平
2008年06月14日日本公開
公式サイト : http://www.recmovie.jp/
TOHOシネマズ六本木ヒルズにて初見(2008/06/19)
[粗筋]
……スペイン、バルセロナ。地元ローカルTVの番組“眠らない街”シリーズの撮影のため、レポーターのアンヘラ(マニュエラ・ヴェラスコ)とカメラマンのパブロ(パブロ・ロッソ)は夜の消防署にいた。
通常はひたすら待機が続き、出動する場合も火事よりはペットや閉じ込められた人の救出などそれ以外の仕事が多いという消防署の夜は退屈な時間が続く。突如響き渡った警報にも、ふたりは特に緊迫感を抱くことなく、予めマイクを取り付けてもらっていた消防署員のマヌー(フェラン・テラッツァ)とアレックス(ダビ・ベェルト)に同行して現場に赴いた。
通報があったのは一軒のアパート。一階のエントランスには住人たちが詰めかけ、到着済の警官と何やら騒ぎ立てている。どうやら上階の老婆が突如騒ぎ出し、「殺してやる」という剣呑な叫びも聞こえてきたが、扉に鍵がかかって開かない状態であるらしい。撮影を止めろ、と言う警官に抗い、アンヘラとパブロは消防署員ふたりと警官とにくっついて上階へと向かった。
こじ開けた室内では、老婆(マルタ・カーボネル)が寝間着を血で汚し、凝然と立ち尽くしていた。異様な風体に動揺しながらも、警官の一人が「助けてあげるから」と近づこうとすると――何と老婆は警官に襲いかかった。驚異的な力で押し倒すと何箇所にも噛みつき、更に血を流していく。もうひとりの警官とマヌーが負傷した警官を抱えどうにかエントランスへと逃れたものの、上階からは悪魔じみた咆哮が響き続けていた。
居合わせた研修医ギレム(カルロス・ヴィセンテ)が、このままでは出血多量で死ぬ、と訴え即時の搬送を訴えるが、知らぬ間にアパートの扉は外側から封印されていた。煌々とした照明の向こう側から、警察と思しき何者かがスピーカー越しに無慈悲に言い放つ。
「建物は封鎖した。検疫官が調べるまでのあいだ、中に留まってもらう。情報は中にいる警官に提供するので、彼の指示に従うように」
エントランスに詰めかけた住人、そして偶然に居合わせてしまったアンヘラたちもパニックに陥る。どうにかして脱出しなければ、と喚き立てる中、上階から悲鳴が響き渡り――エントランスに重々しい落下音が響き渡る。
悲鳴。それは、上階に留まっていたアレックスであった。床に躰を叩きつけたアレックスの頭の下に、みるみる血溜まりが拡がっていく……
[感想]
広告ではP.O.V.という洒落た表現が用いられているが、要するに、事件なり物語なりの渦中にあるカメラが捉えた映像をそのまま提示する、という趣向で作られた映画である。少し遡れば『ブレアウィッチ・プロジェクト』という名作があり、最近でも広告戦略の段階から話題を振りまいた『クローバーフィールド/HAKAISHA』があったが、本篇はやはりある定番の主題を、現場に持ち込まれたカメラで撮影した、という設定によって描いた作品である。
あるジャンルやお約束の主題にこの方法を持ち込めば必ず面白くなる――というわけでもない。なまじ現場に入っているぶん、ナレーションは無論のこと説明的な台詞を組み込むだけで違和感を生じるため、観客を置き去りにしない程度の情報を与えるためには想像以上に工夫が要り、洗練された語り口が求められるのだ。凡手が扱えば、自分の首を絞めかねない。
その点、本篇は実に見事な仕上がりだ。そもそも監督のひとりであるジャウマ・バラゲロは『ダークネス』『機械じかけの小児病棟』と、ホラーのお約束を充分にわきまえながらもひとひねりもふたひねりも加えて、更に一般の観客でも解り易い語り口を備えた、昨今のホラー映画界においても屈指の才覚を示してきた人物である。それ故に却って過剰な期待を抱いていないかが不安だったが、完璧に応えてくれている。情報の取捨選択も構成も無駄がない。
個人的には、本篇で軸となるある趣向については、原因や発展の仕方、見せ方などに独創性が付与できなければもう避けて欲しいと思っており、いくら主観撮影の新機軸を採り入れていてもやはり辟易していたのだが、しかしよく考えてみれば、あえて冒険をしなかったのは正解だろう。
というのも、この主観撮影の手法は前述の通り、説明を組み込むのが非常に難しい、というより確実に違和感を招くので御法度と言っていい。また視点が固定されているために、本篇のようなレポーターや被撮影者など、カメラが意識して追っている以外の人物は断片的にしか映らない、描けることが大幅に制約される難しさがある。そう考えれば、観客に先の展開を想像させて恐怖や緊迫感を齎すのであれば、お約束、定番と呼ばれる要素を軸にするのが賢明なのだ。その意味では、下手にマニアックな要素を持ち込まなかったことも評価できる。
話の流れの中であえて決着をつけていない謎や、普通ならお約束として明かされる部分について触れていないのも絶妙だ。昨今、このシチュエーションは定番であるために、普通ならどうにかして防ぐ方法を考えそうなものだが、しかし実際にはその場に居合わせた人間の統制が取れるはずもなく、パニックの中でひたすら生き延び、脱出することを考えるのが精一杯だ。そんな中で、解き明かされてしまうのが不自然な部分についてはあえて排除している。その匙加減が巧みだ。
そうして、背景や襲われている事態の本質については不明のまま、危険だけがひたすら山積していき、挙句に辿り着いた場所で提示される“秘密”が実に圧巻である。その位置づけや見せ方については、マニア的な心情から少々首を傾げざるを得なかったが、イメージ自体の鮮烈さと、それをカメラに収めるために用いた趣向が見事だ。撮し方については別の映画でも幾度か用いられているが、しかし中でも本篇は特に洗練されている。まさにこのタイミングで使ってこそ活きてくる、と唸らされるほどだ。
『クローバーフィールド/HAKAISHA』ではカメラの持ち主と、カメラに収められていたカートリッジに特殊な設定を付与することで、パニック主体の展開にドラマを持ち込んで映画としての体裁を整えていたが、本篇はそういう工夫をあえて導入せず、撮影された順番通りに、レンズが目撃し撮影者たちが体験したことをほぼそのままで提示しながら、説明不足に陥ることなく、撮影者たちと同じ情報を観客に齎し、ストーリーを成立させている。その一貫した姿勢は、『クローバーフィールド/HAKAISHA』以上に洗練されている――それだけに、途中で登場人物が示唆した映像の巻き戻しを再現してしまったこと、ラストにひとつ余計な部分を付け足して破調にしてしまったのが惜しまれるが、しかしこの2箇所ぐらいしかないのだから大した破綻ではない。
上記の2作品でバラゲロ監督の名前を記憶しているような人であれば、私と同様、本篇に対して大きな期待を抱いているに違いない。そんな過剰になりがちな期待に、本篇は見事に応えている。取捨選択の結果として尺は77分と短めだが、緊張の連続する本篇にはこのくらいがちょうどいい。そんなところまで配慮の行き届いた、傑作である。
ちなみに本篇のジャウマ・バラゲロ監督の、これに先行する作品は『機械じかけの小児病棟』ではなく、スパニッシュ・ホラー・プロジェクトという企画の一貫で制作された『悪魔の管理人』という作品である。本編を観たあとでこの作品を振り返ると、幾つかのニュアンスが似通っており、まるで本篇のパイロット版的な位置づけで作られたような気がしてくる。そういうことを抜きにしても、こちらもまた侮りがたい作品なので、本篇で監督の名前を記憶する気になった方はこちらもチェックしていただきたい。
共同で監督しているパコ・プラサもこのジャンルでの造型は深いようで、生憎と私は未見だが、同じスパニッシュ・ホラー・プロジェクトの一篇『クリスマス・テイル』を手懸けているとのこと。併せてそちらを鑑賞してみるのも一興だろう――ていうか私自身観なければという思いに駆られているのだが。
……それにしても、ひとつだけ気になって仕方ないのは、アパートの住人に日本人の一家が紛れ込んでいたことだ。まるで出稼ぎのような風情で汲々とした生活を送っている雰囲気に描かれているのだが、彼らはバルセロナでいったい何をしていたのだろう……?
コメント
おお、お越しになってたならお声がけしてくださればー
なんだったらごいっしょできたのに。
や、ちょっと考えはしたんですが、ほんとーに終了時間が早くて、昼休みにも入っていないかも、と思ったのでやめておきました。体力的にも仕事的にも、早めに帰っておきたかったのもあるので……
次に近くに伺ったときにはとりあえずご一報します〜。