それでも未来は私のもの。


グレープ『グレープセンセーション』

 本日、グレープの最新アルバム『グレープセンセーション』の発売日です。
 なにが凄いって、オリジナルアルバムとしては実に47年振りだ、ということ。さだまさしが今年、デビュー50周年を迎えるのを記念して、キャリアの初期を共に歩んだ吉田政美とグレープを再結成、アルバムのリリースに至ったのです。実際には32年前に、グレープならぬレーズン名義で『あの頃について』というアルバムを発表してますが、あえて本来の名義に戻したところに覚悟を感じる――まあ実際は、50周年で復活するならはっきりと《グレープ》を名乗るべきだ、とシンプルに考えたのではないかと思う。
 長年さだまさしファンをやってますが、さすがにグレープ現役時代には接していないので、私にとっては初めて、リアルタイムで味わうグレープでもある。

 レーズンのテイストではない、さだまさしでもない、けれどさだファンも納得するもの、という厄介なハードルを設けて制作されたこのアルバム、だからこそ当然とも言えますが、最初の歌声はさだまさしではなく吉田政美です。現役時代も歌ってはいましたが、表舞台を退きレコード会社のディレクターを担当するようになったあと、カラオケなんかで歌っていたせいで巧くなった、とはレーズンの時にも出ていた発言ですが、それから30年以上経って、明らかに声が熟れてきた。渋みもあるけれど昔よりも甘くなった感じ。随所で聞かせるハーモニーも、より洗練されてます。
 収録された10曲のうち3曲はグレープの代表作『縁切寺』『無縁坂』『精霊流し』のカバーです。さだまさし単独でもたびたび編曲を改め録音し直している曲ばかりですが、今回はよりオリジナルの雰囲気に近く、けれど洗練された仕上がりになっている。今日日の若いミュージシャンはあんまりやってる印象のないギターのトレモロとヴァイオリンが主旋律を重ねていくくだりの透明感、美しさは本当にグレープならでは。
 残る7曲はすべて書き下ろしです。先日放送された『プロフェッショナル』では、まさにこのアルバム収録曲を制作する際の苦心惨憺ぶりが垣間見えましたが、出て来たものは相変わらずさだまさしらしい着眼点と、変化に富んだメロディ。アガサ・クリスティの小説にあやかった『春を待たず君を離れ』なんてのもあれば、同じ文字をずっと眺めているうちに正誤の認識が出来なくなる現象をタイトルに掲げた『ゲシュタルト崩壊』なんてタイトルもあったり。しかも後者、ときどき発表するコミック調の曲なのかと思いきや、“正しいことと悪いことが解らなくなる”というところにまで踏み込んだ、深い歌詞になっている。
 新曲の中での白眉は、先行して各所で発表、演奏されている『天人菊(ガイラルディア)』だと思います。ライナーノーツによれば、さだまさしが自身の母の姿を回想して書いた曲だそうで、どこか『秋桜』のような趣もある。しかし、歌の視点人物自体の大きな節目を、母の言動を通して描いたあちらに対し、記憶の中にある母の振る舞いからその心象に触れようとするこの曲の眼差しは、経験を積み重ねたからこその滋味がある。見出しにも引用した一文は、曲の中で母親が口ずさむフレーズとして現れますが、視点人物の心に光を灯しながらも、母親の背負った人生そのものがそっと顔を覗かせるようで秀逸です。
 この『天人菊(ガイラルディア)』もそうですが、昨今の主流のように音をゴテゴテと足さず、さだまさしらしいクラシックの素養に裏打ちされた美しい旋律を、フォークデュオらしいコーラス、そしてグレープ唯一無二のヴァイオリンとギターとを軸にしたシンプルな編曲で飾り、全体の印象は清澄でありながら味わい深い。さだまさしの良さは留めながらも、確かにこれは《グレープ》の作品になっている。いいアルバムです。

 ……しかし、先週購入したゴールデンボンバーのアルバムとまるでテイストが違うことに、自分で苦笑いしてしまいました。私のiTunesは最近入手した音源をシャッフルして聴くためのリストが設定してあるのですが、この2枚が混ざるとなかなかカオスです。

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