『ゴジラ-1.0』

TOHOシネマズ日本橋、スクリーン3入口脇に掲示された『ゴジラ-1.0』チラシ。
TOHOシネマズ日本橋、スクリーン3入口脇に掲示された『ゴジラ-1.0』チラシ。

監督、脚本&VFX:山崎貴 / 製作:市川南 / 企画&プロデュース:山田兼司、岸田一晃 / 撮影:柴崎幸三 / 照明:上田なりゆき / 美術:上條安里 / 装飾:龍田哲児 / 特機:奥田悟 / 編集:宮島竜治 / 衣装:水島愛子 / 音響効果:井上奈津子 / 音楽:佐藤直紀、伊福部昭 / 出演:神木隆之介、浜辺美波、吉岡秀隆、佐々木蔵之介、山田裕貴、安藤サクラ、青木崇高、田中美央、遠藤雄弥、飯田基祐、阿南健治 / 制作プロダクション:TOHOスタジオ、ROBOT / 配給:東宝
2023年日本作品 / 上映時間:2時間5分
第96回アカデミー賞視覚効果部門受賞作品
2023年11月3日日本公開
2024年5月1日映像ソフト日本盤発売 [amazon]
2024年5月4日Prime Videoにて配信開始
公式サイト : https://godzilla-movie2023.toho.co.jp/
TOHOシネマズ日本橋にて初見(2023/12/12)


[粗筋]
 1945年、敷島浩一(神木隆之介)が操縦する零戦は、大戸島に設けられた守備隊基地に着陸する。特攻兵として離陸したものの、故障のために退避した、と弁解したが、本当はただ臆病風に吹かれただけだった。既に敗色濃厚であることを悟っていた橘宗作(青木崇高)ら整備兵たちはそれを悟りつつも、敷島を強く追求しようとはしなかった。
 その晩、守備隊基地は怪物に襲われた。現地で《ゴジラ》と呼ばれる巨大生物を前に、敷島は恐れを為し、、現場に唯一の強力な火器であった零戦の機銃を撃つことが出来ず、大戸島の人員をむざむざ見殺しにしてしまう。生き残った敷島はそのまま終戦を迎えた。復員船に乗ったその帰途、大戸島唯一の生き残りとなった橘から、死んだ仲間たちの写真類を突きつけられ、自らの犯した罪の重さにおののいた。  ある日、配給で飢えを凌いでいた敷島は、泥棒呼ばわりされ逃亡する女性から赤子を押しつけられる。やがて逃げ延びた女性は、行くところがないといい、赤子とともに敷島の家に居座った。大石典子(浜辺美波)と名乗った彼女もまた戦災により家族を失っており、抱えていた赤子の明子もまた、見知らぬ女性から託された赤の他人だという。敷島には彼女たちを放り出すことが出来ず、奇妙な同居生活が始まった。
 二人を養うため、高収入を求めた敷島は、米軍が東京湾に残した磁気式機雷を除去する仕事を得る。戦艦の金属に反応して爆発するため、任務に用いるのは見た目にも心許ない木造船。危険ではあったが、戦時中は役立てる機会のなかった敷島の射撃技術が活き、敷島は同僚とともに順調に任務をこなしていく。
 生活も安定し、簡素ながら自宅も改築が出来た頃、太平洋では事件が起きていた。海中に巨大生物が出現、一路日本の品川方面へと進行していた。
 この巨大生物によって軍監を破壊された米軍だが、ソビエト連邦との関係が冷え込むなか、迂闊に軍事高度を起こせば宣戦布告と取られかねない。GHQは接収していた重巡洋艦・高雄を特別に返還し、日本政府としての対応を求める。だが、高雄が到着するまでには若干の時間を要するため、巨大生物を足止めする必要がある。
 この貧乏くじを引いたのは、折しも機雷撤去の最中だった、敷島らの乗船する新生丸であった。敷島は、巨大生物が接近する海上に、大量の深海魚の死骸が浮いているのをみて、気づいた――あれは、復員後もなお敷島の心を苛み続ける、大戸島の怪物《ゴジラ》だ、と。


[感想]
 ハリウッドが、その巨大さと攻撃力ゆえに被害を及ぼしながらも、自然の均衡を保とうとする“守護神”とはての《ゴジラ》像を蘇らせたのに対し、本邦では『シン・ゴジラ』によって、伝説の第1作が示した“災厄”としての《ゴジラ》像に回帰した。そして、誕生から70周年を迎える2024年に先駆けて、日本においてふたたび創造された《ゴジラ》もまた、この路線を踏襲した。
 正直、当初は色々と思うところはあったが、早いうちに告知された終戦直後の日本にゴジラが現れ、零からやり直している日本がマイナスになる、という大まかな概要で、唸らされてしまった。『シン・ゴジラ』は《怪獣》という超現実的な存在がもたらしうる影響を、東日本大震災という体験を踏まえた災害描写のリアリティで補強、主要登場人物の得意分野を巧みに活かしたアイディアと展開で、現代における《ゴジラ》という脅威を見事に描ききったのに対し、本篇は焦土と化した日本に《ゴジラ》を叩きつけることで、戦争ドラマの延長に物語を位置づけた。
 主人公を、任務を全うできなかった特攻隊員に設定したのがまた絶妙だ。優れた技術を持ちながらも、臆病さ、強い生への執着によって逃亡し、挙句、逃げこんだ大戸島でも、出没したゴジラに怖じ気づいて機銃の引き金を引けず、基地の兵士たちを見殺しにしてしまう。戦争に駆り出され、最前線まで投入されながら、職務を果たせずじまいだった、という自責の念は、恐らくこの当時、戦場から辛うじて生還した日本人の多くが抱いていた感覚を濃縮したものだ。この自責の念に囚われ、未だ終戦を迎えていない敷島の前に、《ゴジラ》はいわば過去の象徴として襲来する。《ゴジラ》との対峙は、敷島の物語として眺めたとき、必然なのだ。
 面白いのはそこから、日本人が《ゴジラ》と対決するに当たって、終戦間際ならではの様々な制約を受けながら、それぞれが戦争に対して抱く遺恨を晴らすような構図になっていることだ。国際情勢を背景に、日本のみで対処しなければいけない難局だが、だから姑蘇の意義を見出し、掲げられた大命題は観ていて痺れるものがある。未だ復興を果たさないなかでの《ゴジラ》襲来は“泣きっ面に蜂”という俚諺では物足りないほどだが、これ以降のクライマックスには、道具立てが生み出した熱いドラマがあり、ロマンがある。
 そして、特撮のクオリティも申し分ない。個人的に、山崎貴というクリエイターは監督としては難がある、とずっと感じていて、今回もシナリオはともかく場面の繋ぎ方やテンポに引っかかりを覚えていたのだが、CGのクオリティは極めて高く、本篇も見事な仕上がりだ。《ゴジラ》という人智を超えた脅威のスケール感、もたらす影響の壮絶さが実感でき、クライマックスでは異色の海上作戦を素晴らしい迫力で描き出している。製作費が圧倒的に豊富なハリウッドの超大作を押さえ、第96回アカデミー賞視覚効果部門を獲得したのは、海外における《ゴジラ》人気の高さも寄与している、と個人的には考えているが、日本の決して大きくない予算枠のなかでこの質を成し遂げたことも大きいだろう。
『シン・ゴジラ』を観たときは、現代における《ゴジラ》という存在を表現するうえで理想解だ、と感じ、このあとに続くのは難しい、と思った。しかし本篇は、現代ではなく、オリジナルよりもやや遡った時期に物語を設定することで、新たな理想解を見出した。ハリウッドは、ヒーローであった時代の《ゴジラ》にオマージュを捧げ、ご当地のモンスター《キングコング》と組み合わせたユニヴァースにすることで、新たな可能性を拡張し続けているが、原点回帰に舵を切った日本においても、《ゴジラ》という題材はまだまだ可能性を秘めているのかも知れないと、そう信じさせてくれる作品である。
 だからたぶん、まだまだ《ゴジラ》の世界は終わらない。


関連作品:
ゴジラ(1954)』/『シン・ゴジラ』/『GODZILLA ゴジラ(2014)』/『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』/『ゴジラvsコング
リターナー』/『ALWAYS 三丁目の夕日』/『ALWAYS 続・三丁目の夕日』/『ALWAYS 三丁目の夕日’64』/『BALLAD 名もなき恋のうた』/『SPACE BATTLESHIP ヤマト』/『friends もののけ島のナキ』/『STAND BY ME ドラえもん』/『寄生獣』/『寄生獣 完結編
大名倒産』/『HELLO WORLD』/『峠 最後のサムライ』/『万引き家族』/『99.9 -刑事専門弁護士- the movie』/『大河への道』/『検察側の罪人
日本のいちばん長い日<4Kデジタルリマスター版>(1967)』/『終戦のエンペラー』/『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』/『PERFECT DAYS

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