『アメリカン・マーダー:一家殺害事件の実録』

『アメリカン・マーダー:一家殺害事件の実録』本篇映像より引用。
『アメリカン・マーダー:一家殺害事件の実録』本篇映像より引用。

原題:“American Murder : The Family Next Door” / 監督:ジェニー・ポップスウェル / 製作総指揮:ジェームズ・マーシュ、ジョナサン・スタッドレン / アーカイヴ・プロデューサー:ジェームズ・R・M・ハント / 編集:サイモン・バーカー / 音楽:ナイニータ・デサイ / 配給:Netflix
2020年アメリカ作品 / 上映時間:1時間23分 / 日本語字幕:市川尭之 / PG12
2020年9月30日世界同時配信
NETFLIX作品ページ : https://www.netflix.com/watch/81130130
Netflixにて初見(2020/10/17)


[粗筋]
 8月13日、ニコール・アトキンソンという女性からの通報によって、警察はこの事件に初めて介入した。
 前夜、ニコールと行動を共にしていたシャナン・ワッツは体調不良を訴えていた。翌日、病院に行くという彼女を気遣い、ニコールは朝からメッセージを送っていたが、一切返信はない。家を訪ねても人気がないのだという。苦慮した彼女は、警察に通報したのである。
 警察もこの状況で許可なしにドアをこじ開けることは出来ない。家の所持者であるシャナンの両親の許可を取ろうとしたところ、シャナンの夫・クリスと連絡が取れ、彼の許可を得て一同はようやく屋内に立ち入った。
 明らかに様子はおかしかった。携帯電話は置き去り、難病の経歴があったシャナンは処方薬を持っていたが、それも置きっぱなし、2人の幼い娘の姿もない。具体的な犯罪の痕跡は見いだせなかったが、警察は行方不明事件として捜査に乗り出す――


[感想]
 この作品の特徴であり、最大の焦点は、全篇が“本物の映像”で構成されている点だろう。
 本篇中に、映画として新たに撮影された映像はほとんどない。メッセージの入力画面やその背景などは別途撮影している可能性もあるが、たとえば冒頭には失踪したシャナン・ワッツが事件前夜に帰宅する際の防犯カメラ映像が引用されているし、翌日のニコールからの通報を受けて出動した警官が身体に装着したカメラの映像も使われている。取調室のカメラや、事件を報道するニュース番組の映像、更には現場検証など、すべてが実物で構成されている。
 この趣向によって、再現映像やインタビューなどでは伝わりにくい、現場や事件当時の社会の空気まで感じさせる作品となった。
 携帯端末やネットワークの普及、技術発展は生活を便利にした一方で、個人情報の扱いを繊細にした。疾走したシャナン・ワッツは前々からSNSを活用、自身の生活の様子や率直な悩みをアップしていたが、事件はそこに潜んでいた嘘や欺瞞も必然的に暴いてしまった。それ自体は誰にでもある虚栄心に過ぎなかったが、アップした情報に潜ませた細かな嘘が、のちに陰謀論となって彼女や彼女の家族に対する批判、中傷に発展していった、という事実にも本篇は言及している。
 こうしたネット上にアップされた映像の数々も、何事もなければ、それはありふれた承認欲求の発露に過ぎなかった。だが、事件が起きたことにより、映像に含まれていた嘘、些細な虚栄心までが晒され、こんどは無関係な第三者たちの好奇心の好餌となる。
 ただ、こうした鬱々となるようなプロセスについて、本篇ではくどくどと言及することはしていない。シャナンと娘ふたりが発見され、容疑者が被告となり裁かれるまでの期間にそういう事態もあったことに短く触れるだけだ。
 それは本篇の焦点が、そうした極大化した野次馬根性よりも、シャナンたち一家や彼女たちを見舞った惨劇が決して珍しいものではなく、ありふれたものであった、という事実を強調することにあったからだ、と思われる。
 実際、その露出の仕方や展開は現代的な要素が無数に見いだせるが、事件の本質や解明に至る経緯は凡庸すぎるほどに凡庸、と言っていい。傍目には幸福な家族、しかし周辺の証言を重ねていくほどに露わになる軋轢。最終的に判明する動機もそうだが、発覚に至る経緯も、傑出した捜査官の活躍や名推理によって解き明かされるのではなく、恐ろしく古典的な手法に因っている。事件の解決の意外性を期待していると、ただただ拍子抜けの感を味わう。
 しかし、そのあまりにも凡庸であるが故に、本篇の出来事が他人事に感じられない、というひとが多いはずだ。本篇で行方をくらましたシャナンは、SNSでの露出ぶりや友人のやり取りが日本人にはいささか赤裸々すぎるようには映るが、そこで吐露する悩みは決して珍しいものではなく、共感を覚える、或いは親しみを感じる女性は多いだろう。他方で、犯人の無思慮、無計画ぶりも、ある意味ではとてもありふれたもので、こういう人物が凶行に走ってしまったことに慄然とせざるを得ない。もちろん、似たような境遇でも殺人を犯さなかったひともたくさんいるだろうが、その一見遠すぎる隔たりが、実は薄皮一枚で接していることを本篇は暗示している。
 推測するに、本篇の製作背景じたいは、事件の発覚や犯人の逮捕後に巻き起こった無責任な憶測や根拠のない陰謀論、バッシングの数々に対する一種のカウンターだったのではなかろうか。一部の人々が邪推したような陰謀や悪意があったわけではなく、どこにでもあるような意識の掛け違い、周囲や誰かに対して幸せを繕ってみせる虚栄心、そういったものがもつれた結果として事件は起きた。そしてそれは、決して特異な事情ではなかった。
 この作品がほとんどの映像を、映画のために撮影されたものではなく、当事者たちが生活の中で記録したものや、通常の手続きにおいて撮影されたものを用いているのも、その手法自体ばかりでなく、描かれているものの同時代性、普遍性を象徴させたかったが故なのだろう。決して他人事ではないし、こうした悪夢は決して自分から遠いところで起きているわけでもない。


関連作品:
アングスト/不安』/『屋根裏の殺人鬼フリッツ・ホンカ
東京暮色』/『ROMA/ローマ
ゴーン・ガール』/『白ゆき姫殺人事件』/『search/サーチ(2018)

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