原題:“Army of the Dead” / 監督&撮影監督:ザック・スナイダー / 脚本:ザック・スナイダー、シェイ・ハッテン、ジョビー・ハロルド / 製作:デボラ・スナイダー、ザック・スナイダー、ウェズリー・ボラー / 製作総指揮:ビーガン・スワンソン / プロダクション・デザイナー:ジュリー・バーゴフ / 編集:ドディ・ドーン / 衣装:ステファニー・ポートノイ・ポーター / VFXスーパーヴァィザー:マーカス・タオミナ / キャスティング:ジョン・パプシデラ、キム・ウィンサー / 音楽:トム・ホーケンバーグ aka. ジャンキーXL / 出演:デイヴ・バウティスタ、エラ・パーネル、オマリ・ハードウィック、アナ・デ・ラ・レゲラ、テオ・ロッシ、マシアス・シュヴァイクホファー、ノラ・アルネゼデール、ティグ・ノタロ、ラウール・カスティロ、サマンサ・ウィン、真田広之、ギャレット・ディラハント、ヒューマ・クレシ、リチャード・セトロン、アテナ・ペランプル、アルベルト・ヴァラダレス / ストーン・クオリー製作 / 配給:Netflix
2021年アメリカ作品 / 上映時間:2時間28分 / 日本語字幕:柏野文映 / R15+
2021年5月21日全世界同時配信開始
NETFLIX作品ページ : https://www.netflix.com/title/81046394
Netflixにて初見(2021/5/27)
[粗筋]
《ペイロード》と呼ばれる機密物を輸送中の米軍トレーラーが新婚カップルの乗用車と正面衝突、《ペイロード》が解き放たれた。《ペイロード》は逃亡の機を逸した兵士たちを襲撃したあと、大勢の人間の気配に誘われるように、ラスヴェガスに赴く。
そしてラスヴェガスは、《ペイロード》が撒き散らしたウイルスによって、ゾンビの巣窟となった。アメリカ政府はコンテナを用いて物理的にラスヴェガスを隔離、感染の封じ込めには成功するが、被害の拡大を防ぐために、遂には核兵器の投下を決断する。
爆破を4日後に控えて、ハンバーガー・ショップで働いていたスコット・ウォード(デイヴ・バウティスタ)のもとを、ブライ・タナカ(真田広之)らが訪ねてきた。タナカはスコットに、ある極めて危険な儲け話を持ちかける。
ラスヴェガスにあるカジノ《オリンパス》の地下金庫には、数千万ドルに及ぶ現金が保管されている。だが、今回の感染拡大により収蔵したぶんの現金は消失したものとして、既に保険金が下りている。そのため、金庫に眠る現金は、誰のものでもない状態になっていた。もし金庫を開き、持ち帰ることが出来れば、合法的に自分のものになる。タナカはスコットと、彼が選んだメンバーによって封鎖されたラスヴェガスに潜入、金を回収して欲しい、というのである。
危険極まりない儲け話だったが、スコットはこれを受け入れた。古くからの仲間であるマリア・クルス(アナ・デ・ラ・レグラ)にヴァンダーロア(オマリ・ハードウィック)、脱出に必要なヘリコプターのパイロットとしてマリアンヌ・ピーターズ(ティグ・ノタロ)、ネット動画でゾンビ退治の腕前を披露していたミッキー・グズマン(ラウール・カスティロ)、そして錠前破りの専門家であるディーター(マシアス・シュヴァイクホファー)を迎え入れる。
これに、グズマンが呼び出したチェンバース(サマンサ・ウィン)と、タナカがお目付役として同行を命じたマーティン(ギャレット・ディラハント)の8名が加わったチームは、爆撃を3日後に控えた朝、ラスヴェガスに接した隔離エリアへと赴く。ここには、スコットの娘・ケイト(エラ・パーネル)がボランティアとして頻繁に出入りしていた。ケイトとは近ごろ疎遠になっていたが、スコットは彼女の口利きで、必要があってラスヴェガスを囲うバリケードの内側に向かうひとびとの手引をしているリリー、通称コヨーテ(ノラ・アルネゼデール)に接触、秘密のルートからの潜入を試みる。
果たしてスコットたちは、核爆弾が落とされるまでの3日間で無事に大金を手にして脱出することが出来るのか……?
[感想]
もはや映画界における定番のモチーフとなった感のある“ゾンビ”だが、ほんの20数年まではそこまで一般的ではなかった、と記憶している。実質的な始祖であるジョージ・A・ロメロ監督の『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』に端を発する3部作は存在し、その影響でゾンビを採り上げたフィクションも多々生み出されていたが、まだまだマニアのあいだでだけ楽しまれている印象だった。
この流れを一変させたのは、厳密にはゾンビではないが、感染者のゾンビに近しい生態と社会批判的なスタンスを踏襲したダニー・ボイル監督作『28日後…』と、スペインから現れた主観視点撮影スタイルの傑作『REC(レック)(2000)』、そしてザック・スナイダー監督がロメロ監督の『ゾンビ』を現代的にリメイクした『ドーン・オブ・ザ・デッド』の2作品、と私は考えている。
この3作が一種のエポックとなった最大の要因は、“走るゾンビ”というものを大衆に許容させた点にある。もともとが屍体、既に腐敗などが進み肉体の機能を失っている、と考えられるが故に、基本的にゾンビは動きが遅いもの、として描かれてきた。しかし、ダニー・ボイル監督はいわゆるゾンビではなく、新種の感染症としてゾンビに近い特性を与えることで、見境なく襲いかかる感染者に“走る”ことを許した。他方でザック・スナイダー監督は、次第に腐敗していくことや感染が周囲の人びとをも敵にしていく恐怖、といった基本を抑えつつ、肉体的には強化される、という解釈を施して、ゾンビそのものの捉え方、表現を膨らませる素地を作った。
この2作品以降、かつてはマニアが低予算で撮るのが主立ったゾンビ物は、『ワールド・ウォーZ』のような大作も製作されるようになり、『ウォーキング・デッド』のように長年に亘って支持を受けるドラマシリーズまで出てきた。2000年代に入って、晩年のジョージ・A・ロメロが堰を切ったように相次いでゾンビ物を発表したのも、こうした発展に刺激を受けてのことではないか、と私は想像している。
そういう流れを生んだひとりであるザック・スナイダー監督だが、『ドーン・オブ・ザ・デッド』以降、いわゆるゾンビ映画は撮っていなかった。カルト的名作『ウォッチメン』を契機にDCエクステンデッド・ユニヴァースの舵取りに携わり、DCヒーロー映画の監督と製作を手懸けたが、その最初の総決算となるはずだった『ジャスティス・リーグ』撮影半ば、家族の不幸を契機に、映画の世界と距離を置くようになる。そんな監督が、ようやく現場への復帰を決意、初めて臨んだのがゾンビ物だったのは、原点回帰という意味で必然的な選択だったのだろう。
だが決してその作り方は『ドーン・オブ・ザ・デッド』の焼き直しや二番煎じではない。監督は自ら脚本にも携わった本篇で、『ドーン~』以上の創意工夫を凝らし、ジャンル映画でありながら、その枠から逸脱した面白さを生み出そうと考えたようだ。
『ドーン~』同様に“走る”ゾンビである、という程度はまだ序の口で、本篇は更に、閉鎖空間となったラスヴェガスのなかで、ゾンビのあいだに階層までも生じさせている。感染源から何世代目にあたるか、で階級が生じる、という発想は、吸血鬼ものではしばしば用いられる趣向だが、ゾンビで試みたのは咄嗟に例が思い浮かばない。
劇中《アルファ》と呼称される上位のゾンビたちは、ある程度の知性を持ち合わせている。それゆえに、潜入の手引をしているコヨーテは彼らのお目こぼしに預かる方法を知っているし、《アルファ》たちの振る舞いにもしばしば何らかの意図、感情を窺わせるものになっている。これは、シンプルなゾンビ物ではなかなか生まれない風変わりなドラマを形作るのに役だっている。
だがその一方で、原理主義的なゾンビ映画愛好家にはだいぶ受け入れがたい世界観、描写となっているのも事実だ。ゾンビが溢れ閉鎖空間になったラスヴェガスで、置き去りにされた現金を狙う、というシチュエーションだけでも充分にゾンビ物として優れた着眼なのに、余計な設定を足しすぎて煩雑にしている、という批判もあるだろう。現に、2時間半というこのジャンルにしては長すぎる尺は、キャラクターの多さに加え、設定を観客に周知させるための描写に尺を割かざるを得なかったことも影響した、と推測する。
もうひとつ物足りないのは、特殊な設定を多数加えたことで、ゾンビ者ならではの馴染み深い趣向をあまり積極的に用いていない点が気になる。具体的には、人間側のメンバーでゾンビに傷つけられた者が出ることによる葛藤や悲劇があまりない。むろん、ここぞ、というタイミングでは用いているし、時として過激な方法で問題を解決する場面もあって、この設定のゾンビ物だからコソの面白さは引き出しているが、全般に荒々しくて、情緒がない、という見方も出来てしまう。私は本篇のやり口はなかなかに大胆で気に入っているが、たぶんゾンビ好きの誰もが気に入るわけではあるまい。
また一部、恣意的にゾンビの修正を歪めている場面があるのも引っかかる。私が気になったのは、金庫破りのくだりでゾンビを利用するシーンだ。屈折したユーモア自体は楽しめるものの、ゾンビの性質を考えると、決して登場人物の思い通りになるはずがないのに、都合よく動いてしまっている。せめてもうひと工夫をして説得力を増して欲しかったところだ――もちろんそうすると更に尺は長くなる。だからこそ、設定を増やしすぎている点は余計に批判の対象になってしまう。
少々辛めの書き方をしたが、しかし個人的にあまり不満は抱かなかった。ザック・スナイダー監督らしい完成度の高いヴィジュアルと、シチュエーションを活かした個性的でユーモアのある描写がとにかく楽しいのだ。
もともと映像のクオリティは高い監督だったが、今回は撮影監督も兼任し、自らカメラを構えている。恐らくこの監督は、どんな映画を撮るときも完全なイメージが頭の中に出来ており、それに基づいて作品を設計している。自分で撮影も実施したことで、監督自身が持っているヴィジョンがより正確に表現出来ているのだろう、リアリティとともに端整な絵作りになっており、視覚的な充足感が並ではない。
また、この設定ならではの展開やイベントに沿ったユーモアが利いている。ゾンビ映画だけあって、基本的には緊迫感のある展開が続くのだが、そこに不意に差し込まれる擽りが絶妙な緩急を生んでいる。
これらが特に活きているのがオープニングだ。プロローグのあと、いかにもラスヴェガスらしい陽気な曲をバックに描かれるゾンビたちの襲来。裸で逃げ惑う男を追うゾンビ化したサンバのダンサー、背後で惨劇が起きているのにジャックポットに浮かれるギャンブラー、現場で救出作戦にあたっていたスコットたちがやたらと小気味良くゾンビを始末する様に至るまで、監督のヴィジュアルセンスとユーモアが絶妙に融合しており、ゾンビ好きならこのくだりだけでハッピーな気分になれるはずだ――このオープニングが最高すぎるが故に、余計に本篇の過剰な設定が気になってしまう傾向もあるのだが。
好みが分かれる、しかもゾンビというモチーフをどう愛好しているかによって評価も大幅に割れてしまうが、ザック・スナイダーという監督の作家性が存分に示した作品である。
……それにしてもこの作品、ザック・スナイダー監督が現場から遠ざかってしまった背景を知っていると、主人公であるスコットと娘ケイトとの関係性が意味深に映る。
監督が突如として映画を撮らなくなったのは、監督自身の娘が自殺したことがきっかけだった、という。どんな事情で自ら死を選んだのか、といった事情までは確かめていない――公表されていないのかも知れないし、されていたとしても無理に詮索する気はないのだが、本篇で描かれる父子の断絶や終盤の選択には、監督自身の現実と、苦しい胸中が象徴的に織り込まれているように思えてならない。
ゾンビ映画、といえば、極めて馴染み深いシチュエーションがひとつある。多くのゾンビ映画では中盤あたりでいちどは用いるはずなのだが、本篇はそれを敢えて飛ばしているように映った。しかしそれは、この父子関係の結末のために、温存していたのでは、と勘繰りたくなってしまう。
作り手が自らの辛い経験を作品に採り入れるのは、その鬱屈を解消するための方法として間違ってはいない。しかし、もしあのクライマックスがその表れだとしたら、率直に言って、一抹の不安を覚えてしまう。
Netflixで本篇を鑑賞すると、連続して製作の舞台裏を追ったドキュメンタリーが流れはじめる。そこでザック・スナイダーが見せる表情は明るく、復帰した現場を愉しんでいるようにも見えるが、躁鬱症状の現れのようにも感じられるのだ。
杞憂であってくれればいい。いすれにしても、今後は無理に巨大なフランチャイズに臨んだりせず、自分のペースで、自らのセンスを発揮出来る題材をじっくりと描いて欲しい。
関連作品:
『ドーン・オブ・ザ・デッド』/『300<スリー・ハンドレッド>』/『ウォッチメン』/『ガフールの伝説』/『エンジェル ウォーズ』/『マン・オブ・スティール』/『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』/『ジャスティス・リーグ』
『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』/『ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち』/『特攻野郎Aチーム THE MOVIE』/『カウボーイ&エイリアン』/『クローバーフィールド/HAKAISHA』/『ワルキューレ』/『デンジャラス・ラン』/『ナイブズ・アウト 名探偵と刃の館の秘密』/『ワンダーウーマン』/『47RONIN』/『それでも夜は明ける』/『アンダーワールド 覚醒』
『ゾンビ [米国劇場公開版]』/『ランド・オブ・ザ・デッド』/『ダイアリー・オブ・ザ・デッド』/『サバイバル・オブ・ザ・デッド』/『デイ・オブ・ザ・デッド』
『REC(レック)(2000)』/『28日後…』/『恐怖城 ホワイト・ゾンビ』/『ゾンゲリア』/『バタリアン』/『サンゲリア』/『バイオハザード』/『ミュータント』/『グラインドハウス』/『ショーン・オブ・ザ・デッド』/『アンデッド』/『ワールド・ウォーZ』/『カメラを止めるな!』/『デッド・ドント・ダイ』/『ブラインドネス』/『ドゥームズデイ』
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