
本篇、スピンオフの放送は終了しましたが、基本、当日までの内容には触れても、先のネタばらしになることはバラさない、という線を守ろうとしていたため、「もしかしてここはドラマで使うのでは?」と思っていたところには言及せずにいたため、ドラマで採り上げられず、ここでも触れずじまいになったネタがいくつかあります。
前に軽く触れたかも、という要素もありますが、思い残しを減らすため、最後にまとめて言及してしまいます。今回もちょっと長め。
セツの原体験。
小泉セツがラフカディオ・ハーンの家で女中として働くようになる際、他の女性たちよりも抵抗がなかったのには、のちにセツ自身も語っている理由があります。
ハーンと出会うより遙か以前の幼少時、実父・小泉湊が小隊長を務める軍隊の訓練を見に行っている。その指導にはフランス人フレデリック・ワレットという人物が加わっていたという。この人が、集まっていた子供に近づいたところ、西洋人を見たことのない子供は皆逃げ出していくなかで、セツだけがひとり残り、ワレットをじっと見つめていた。ワレットはそんなセツの頭を撫でると、彼女に虫眼鏡を渡していった。
稲垣家の両親曰く、とてもいいものなので、自分たちが預かる、と促すのを拒み、セツはずっと手許に置いていた。このときの思い出が、セツに西洋人を受け入れやすい意識を生んだ。
この出来事がなければ、自分はラフカディオ・ハーンと夫婦になることもあるいは難しかったかも知れぬ、、とセツは語っており、ドラマでも描かれるのでは、と期待してましたが――たぶんそうすると、演習の光景を再現せねばならなかったり、その後のドラマ的なサプライズを妨げないための会話がちょっと組み立てづらかった可能性があるので、やむを得ないところでしょうか。
なおこの虫眼鏡は今も残っており、ドラマに合わせるように開催されて、好評により盛大に会期を延長した企画展にて展示されている――はず。
セツの家系は、けっこう凄い。
ドラマにおいては、文明開化と共に解りやすく落魄した松野家に対し、セツの生家であった雨清水家は、大黒柱である傳の奮闘によりしばらく命脈を保っていました。
が、傳と妻めタエだけの場面では、傳が畏まった物言いをする描写があります。このひと幕で、雨清水家よりもタエの実家の方が格上であることが解る。では、いったいどういう家柄だったのか――劇中では深く追求はしていませんでしたが、モデルを考えれば、ごく当然の描写だったりする。
というのも、タエのモデルとなる小泉チエの実家は塩見家、松江藩の中老を務めた塩見小兵衛から繋がり、チエの父・増右衛門は江戸家老を務めていた。番頭であった小泉家よりも由緒のある家柄でした。恐らく、そういう関係性を反映して、ドラマではああした表現をしていたのでしょう。
しかもこのチエの父、小泉セツにとっては実の祖父に当たる塩見増右衛門という人物は、時の藩主・松平斉貴が放蕩を繰り返していたことを諫め、江戸屋敷にて切腹した、という話がある。衝撃を受けた斉貴は松江に帰参、その後、家督を養子の定安に譲り、自らは頭を丸め隠居している。このことは小泉セツが文章として残していて、現在小泉八雲記念館で開催されている企画展の図録や、最近復刻された『思ひ出の記』に収録された『オヂイ様のはなし』に記されています。
ただ、データにある増右衛門の没年と、実際に斉貴が家督を譲った年は2年ほどズレがあるし、調べてみると、最終的には“主君封じ込め”というかなり強硬的な成り行きで譲位が実現しているようですが、いずれにせよ、塩見家は非常に尊敬され、覚悟の自決が主君にとって一大事になるほどの家柄であったのは間違いない。
実際、塩見小兵衛の邸宅があった松江城北側の堀沿いに大きく屈曲した道には今も“塩見縄手”の名が残っています。この通りには、江戸時代の武家の雰囲気を今に残す史跡“武家屋敷”があり、他でもない小泉八雲旧家と小泉八雲記念館があります。セツの文章によれば、大正の時点で塩見家はちりぢりになっていたそうですが、土地にも歴史にも確かに名を留めているのです。
ちなみに、ドラマの中では松野家の家名を残さないことを受け入れた司之介たちですが、史実のほうでは、セツと八雲の次男・巌が母の旧姓“稲垣”を継ぎ、その血筋が現在も残っています。実際には三男一女いたうち、ドラマでふたりを残したのには、そういう未来を仄めかしたものなのかも。
蛇と蛙がナレーションでもいいじゃないか。
ところで、本篇のナレーション、不思議には思いませんでしたか?
なんで、蛇と蛙、という捕食者と被捕食者の関係にある生き物が仲良くナレーションしているのか、と。
実はこれも『思ひ出の記』に根拠があります。
八雲は生き物が好きで、劇中にもあるように虫籠で鈴虫を飼ったりしていた一方、庭の蓮池に住み着いた蛇を「こちらに悪意がなければ決して悪い事はしない」と、自分の御膳から食事を分けて、庭に住む蛙を食べずに済むように仕向けていたのです。
だから、トキと八雲が暮らす家の庭には、蛇と蛙が共存するし、穏やかに受け入れてくれる家族を見守っていても不思議ではない。ナレーションのキャストが発表されたとき、なるほど、と思った次第。
本篇最終回でトキが、手に止まった蚊を打たなかったのも、もちろんヘブンの「蚊に生まれ変わりたい」という願いが頭にあったのがいちばんでしょう(これも八雲の文章などに出典があった、と記憶してるんですけど、出所辿れず)けれど、この時点で生き物、それも庭にいる生き物を殺めるはずなどなかったのです。
2人の旅がもう少し観たかった……。
ほとんど文句のなかったこのドラマですが、個人的にひとつ残念だったのは、実はかなりあっちこっち遠出をしていたハーンの足跡までは拾ってくれなかったことです。
たぶん劇中で、トキを伴い遠出していたのは出雲くらい――おんなじ県内じゃん、と思われるかも知れませんが――っていうか、私も現地を旅行する前はそう思ってましたが、松江と出雲は宍道湖の東と西なのでそこそこある。しかしハーンは松江滞在中に、隠岐や焼津などにも赴いている。この2箇所なんか、あまりにも強い印象を残したせいで、銅像や記念館があるくらいです。
なので、ドラマにおいても、その姿が描かれないかなー、と期待していました。で、当時の雰囲気をどのように再現するのか、興味があったのです。
しかし、実際に出てきたのは出雲大社だけでした。
まあ、それこそ当時の雰囲気を再現するには、よっぽど当時の雰囲気を留めたロケ先を発見するか、わざわざセットを組まなければいけないわけで、松江の城下町だけでも既にだいぶ負担が大きかったはずですから、そこは致し方ない。
だいたい、そういう意味で言えば、出雲大社の本殿内部で撮影が実施されているだけでもけっこう凄いことなのです。実際、ラフカディオ・ハーンは許されて本殿に通されていた記録がありますし、小泉セツの養母が出雲の神職の系譜だった、というのも事実なので、製作者にしても、ここだけは何としても本物で撮りたかったところでしょう。
以上です。
……頭から鑑賞し直したら、また気づいてしまうことがありそうな、それほど丁寧に作られたドラマでしたが、とりあえずリアルタイム鑑賞のあいだに気づいたことはだいたい触れられました。とりあえず満足です――そしていよいよ、もう次の話が観られないことが寂しく思えてきましたが、次の松江訪問で渇を癒してきます……いつだろうな。
参考文献
小泉節子『思ひ出の記』(ハーベスト出版)
ラフカディオ・ハーン/池田雅之[訳]『新編 日本の面影』(角川ソフィア文庫)
同上 『新編 日本の怪談 I・II』( 同上 )
小泉凡/木元健二[聞き手]『セツと八雲』(朝日新書)
企画展『小泉セツ ラフカディオ・ハーンの妻として生きて』図録(小泉八雲記念館)


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