『ベルファスト』

TOHOシネマズシャンテが入っている建物外壁にあしらわれた『ベルファスト』キーヴィジュアル。
TOHOシネマズシャンテが入っている建物外壁にあしらわれた『ベルファスト』キーヴィジュアル。

原題:“Belfast” / 監督&脚本:ケネス・ブラナー / 製作:ローラ・バーウィック、ケネス・ブラナー、ベッカ・コヴァチック、テイラー・トーマス / 共同製作:セリア・デュヴァル / 撮影監督:ハリス・ザンバーラウコス / プロダクション・デザイナー:ジム・クレイ / 編集:ウナ・ニ・ドンガイル / 衣装:シャーロット・ウォルター / ヘアメイク・デザイナー:吉原若菜 / キャスティング:ルーシー・ビヴァン、エミリー・ブロックマン / 音楽:ヴァン・モリソン / 出演:ジュード・ヒル、ルイス・マカスキー、カトリーナ・バルフ、ジェイミー・ドーナン、ジュディ・デンチ、キアラン・ハインズ、ララ・マクドネル、コリン・モーガン、ジョシー・ウォーカー、オリーヴ・テンナント / TKBC製作 / 配給:PARCO×ユニバーサル映画
2021年イギリス作品 / 上映時間:1時間38分 / 日本語字幕:牧野琴子 / 字幕監修:佐藤泰人(東洋大学・日本アイルランド協会9
2022年3月25日日本公開
公式サイト : https://belfast-movie.com/
TOHOシネマズシャンテにて初見(2022/4/9)


[粗筋]
 1969年8月15日、バディ(ジュード・ヒル)の日常は、呆気なく崩壊した。かねてからカトリックに敵意を募らせていたプロテスタントが暴動を起こし、カトリック信徒の住宅や商店を襲撃したのである。バディの一家はプロテスタントだが、周囲のカトリックの人びととも親しみ、強硬派の意見には賛同していなかった。襲撃こそ受けなかったが、眼下で暴力が繰り広げられ、流れ弾に怯える日々を過ごすようになった。
 バディが伸び伸びと遊んでいた道にはバリケードが設けられ、派遣された軍隊と自警団が睨み合う危険な場所に変わった。昔馴染みのバリー(コリン・モーガン)からカトリックの排除に参加するよう要求されたお父さん(ジェイミー・ドーナン)は、地元で働くことが難しくなり、ロンドンで出稼ぎをするようになった。留守のあいだ、バディと兄ウィル(ルイス・マカスキー)の面倒や、溜まっている滞納金の支払いなど、すべてを背負い込むことになったお母さん(カトリーナ・バルフ)は苦悩する。
 一触即発の空気のなか、それでも日常は続く。バディの通う学校も授業は継続していた。バディはクラスでいちばんの成績を収めるキャサリン(オリーヴ・テンナント)に憧れ、席替えで彼女の隣に座れるよう勉強に励んだりした。どうしてもキャサリンに届かず悩むバディに、おじいちゃん(キアラン・ハインズ)はちょっとしたズルを教える。
 対立は依然として収まらず、日々悲しいニュースが報じられた。バディの家でも、お父さんの長引く出稼ぎで夫婦の間に不和が生じはじめた。いよいよ危険さを増していく街の姿に、ここで生まれ育った一家は、やがてある決断を迫られることになる――


[感想]
 物語そのものはフィクションだが、アイルランドで宗教の対立が激化、ベルファストにて1969年8月15日から暴動が頻発した事件は事実だ。当時、まさにベルファストで幼少時代を過ごしたケネス・ブラナー監督が自らの体験をベースに撮った作品だという。
 実際には、主人公バディと同世代の子供も犠牲になった事態だったが、少なくとも劇中で凄惨な場面を直接描くことはない。それは、作り手が予め設けた節度なのかも知れないが、しかしそうすることで、バディの生活が両親や近しい人たちによって“守られている”のを感じる。バディが目撃していないからこそ、この作品のなかで街を襲う事態は完全には描かれていない。それが物足りない、と考えるひともいるだろうが、この表現そのものが、主人公を囲む大人たちの優しさと努力が窺える。
 むろん、当時のベルファストを巡る状況は大人にとっても決して容易なものではなく、劇中でも両親が過酷な現実に追い込まれていくさまを主人公は目撃する。父は過激派に属する昔馴染みから暴動に与するよう要求され、地元で働けず出稼ぎに赴く。留守を守る母は、しばしば困らせる子供たちの面倒ばかりではなく、滞納税の分納に頭を悩ませる。子供が見ているのも知らず、言い争う夫婦の姿には、もともと火種を抱えていたこの地で暮らす難しさが象徴されるかのようだ。
 だかそれでも、バディの周囲にいる大人たちの言動には繊細な配慮を感じる。バディが悲劇の核心を眼にしていない、というのはもちろんだが、勉強や恋に悩むバティに直接投げかける言葉には、ユーモアとともに優しさ、気遣いが溢れている。父や祖父が口にする、少しおどけながらも確かな勇気をバディに与える言葉、それよりもしばしば厳しいけれど、確かにバディを支える母や祖母の物言い、表情が忘れがたい。
 特に印象深いのは、劇中でバディが恋の相手と最後に言葉を交わしたあと、投げかけられた問いへの父の答えと、ラストシーン、直接ではなく、遠くから投げかける祖母のエールだ。父はとても当たり前で、しかし実現のなかなか難しいことを真摯に、かつユーモアも添えて快く息子に贈る。祖母の言葉には、悲愴さとともに秘めた決意、力強さが滲み出て、いっそ勇ましい。
 あくまで子供の目から見た物語故に、大人たちが実際よりも逞しく、格好良く映る、という見方もあるが、それを踏まえても本篇における大人たちの言動は素晴らしい。過酷な世界にあってもこうありたい、という理想が、本篇には確かに存在していて、それが観る者に快く映る。
 オスカーに輝くのも納得の優れたシーンと台詞によって形作られた作品だが、しかし映像や編集、音楽の選択、構成も絶妙だ。恐らくセット自体は大作映画とは比較にならないコンパクトなものだと思われるが、子供の目線であればこその広がりと小ささも同時に体感させる。モノクロの映像が醸し出す懐かしさと、色彩がないからこその瑞々しさも印象的だ。監督と同じくベルファスト出身、物語の当時である1960年代後半から活動していたヴァン・モリソンが中心となって手懸けた音楽のムードも、物語の繊細さや力強さを増幅している。映画としての強度が極めて高い。
 本篇に窺えるのは、ケネス・ブラナー監督が、決して楽な環境ではなかった時代を通して感じた郷里への深い愛であり、惜しみない敬意だ。過酷な時代を背景にしながらも、自らを育んだ小さな世界への想いが、本篇をシンプルにして豊かなものにしている。確かな痛みもあるけれど、だからこそ宝石のようなきらめきを得た、忘れがたい逸品だと思う。


関連作品:

スルース』/『マイティ・ソー』/『オリエント急行殺人事件(2017)』/『ナイル殺人事件(2022)
フォードvsフェラーリ』/『ジョーンの秘密』/『ファースト・マン
真昼の死闘』/『許されざる者(1992)』/『アーティスト』/『チェンジリング』/『オズ はじまりの戦い』/『異端の鳥』/『Mank/マンク』/『ライトハウス』/『友だちのうちはどこ?』/『ミツバチのささやき』/『E.T. 20周年アニバーサリー特別版』/『スタンド・バイ・ミー』/『SUPER8/スーパーエイト』/『ワンダーストラック(2017)』/『ジョジョ・ラビット

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