『ロープ/戦場の生命線』


『ロープ/戦場の生命線(字幕版)』Amazon Prime Video作品ページにリンク。

原題:“A Perfect Day” / 原作:パウラ・ファリアス / 監督:フェルナンド・レオン・デ・アラノア / 脚本:フェルナンド・レオン・デ・アラノア、ディエゴ・ファリアス / 製作:フェルナンド・レオン・デ・アラノア、ジャウマ・ロウレス / 製作総指揮:パトリシア・デ・ムンス、ハビエル・メンデス / 撮影監督:アレックス・カタラン / 編集:ナチョ・ルイス・カピリャス / 音楽:アルナウ・バタリエル / 出演:ベニチオ・デル・トロ、ティム・ロビンス、オルガ・キュリレンコ、メラニー・ティエリー、フェジャ・ストゥカン、セルジ・ロペス、エルダー・レジドヴィック / 配給:レスペ / 映像ソフト発売元:中央映画貿易
2015年スペイン作品 / 上映時間:1時間46分 / 日本語字幕:? / PG12
2018年2月10日日本公開
2018年11月2日映像ソフト最新盤発売 [DVD Video:amazonAmazon Prime Video]
公式サイト : http://rope-movie.com/ ※閉鎖済
Amazon Prime Videoにて初見(2021/3/13)


[粗筋]
 1995年、ヴァルカン半島のどこか。
 住民の重要なライフラインである井戸に、男性の死体が投げ込まれた。NGO《国境なき水の衛生管理局》は24時間以内に死体の引き上げと水の浄化を要請されるが、車のウィンチを使っての牽引作業中、ロープが断裂してしまう。隊はマンブルゥ(ベニチオ・デル・トロ)とB(ティム・ロビンス)の二手に分かれ、ロープの調達に赴いた。
 マンブルゥとソフィ(メラニー・ティエリー)のコンビは国連軍の基地を訪れる。道中、ボールを奪われた少年ニコラ(エルダー・レジドヴィック)を行きがかり上助け、彼のために更にボールを1個調達する必要に迫られるが、基地ではどちらも手に入らない。その代わり、マンブルゥは上司のゴヨ(セルジ・ロペス)に命じられ、因縁浅からぬ女性・カティヤ(オルガ・キュリレンコ)まで乗せて動くことになった。
 一方、Bと通訳のダミール(フェジャ・ストゥカン)の組も状況は芳しくない。最寄りの商店を訪ねたが、山のようにあるロープを、どういうわけか彼らには与えようとしない。先だって、和平条約の調印が決まり、戦争の停止が命じられたはずだが、指令が末端にまで行き渡っているとは断じがたく、無用な刺激をすることは出来なかった。
 やむなく井戸の汚染された集落にいちど戻った一同は、そこに給水車が現れ、住民に有料で水を売り捌いている光景に遭遇する。ソフィは激しく憤るが、マンブルゥは彼女を制止し、業者を静観した。
 困窮するマンブルゥたちに、ニコラが「ロープのある場所を知っている」と言い出した。マンブルゥはビーの車輌と共にニコラの指示する場所へ向かうが、そこは紛争で荒廃し、人気の失せた集落だった……


『ロープ/戦場の生命線』予告篇映像より引用。
『ロープ/戦場の生命線』予告篇映像より引用。


[感想]
 戦争映画のひとつ、には違いないのだが、本篇の手触りは一風変わっている。
 戦争を扱いながら戦闘シーンを中心にしていない、という作品自体は『M★A★S★H マッシュ』や『キプールの記憶』など例がないわけではない。しかし、完全な非戦闘員目線で、戦闘そのものをまったく採り上げていない、というのは珍しい。
 それでいて本篇は、“戦争映画”としか呼びようがないのだ。
 バルカン半島のどこか、という以外に、どこの国であるのかも明示されないが、紛争による交戦状態のただ中にあった一帯であることは、国連軍が拠点を構えていること、マンブルゥたちNGOの面々が訪れる街の荒廃した有様から察しがつく。そして、その気配がもたらす緊張感は、まさしく“戦場”のそれなのだ。物々しい装甲車が列を為して移動し、ちょっとした買い物に訪れた商店でも、普通にショットガンを携えている。子供でさえも、大人が相手の諍いには拳銃を持ち出す異様な光景は、そこに穏やかな日常が存在しないことをまざまざと感じさせる。
 マンブルゥたちNGOの面々は、この非常事態に直面したひとびとの生活を守るための支援を行っている。しかし、それが訪ねる先で正しく理解されているわけではない。井戸に放り込まれた遺体を回収するためのロープを調達する、という、ただそれだけのことに待ち構える困難の数々は、まるで冗談のようだ。
 実際、本篇ではこうしたトラブルを、若干コメディめいたトーンで描写する。任務ではないため助力は出来ない、と突っぱねる国連軍、明らかに在庫はあるのにビーたちに売りつけようとしない商人。いったん井戸の汚染された集落に戻ってみれば、狙いすましたかのように、法外な金額で水を売り捌く者が現れている。劇中、明確にはされていないが、そうして困窮したひとびとから金銭を巻き上げる目的で屍体を投棄した可能性も示唆されている。平和な社会であってもしばしば目にする、悪意のあるマッチポンプが、非常事態であればこそ、顱骨に行われているわけだ。
 その事実に、素直な憤りを示すソフィに対し、ビーは矢継ぎ早のユーモアで応じ、マンブルゥに至っては終始静観を決めこむ。どんな些細な揉め事であっても、それが彼ら自身や周囲のひとびとに害を及ぼしかねないことを、恐らくマンブルゥやビーは経験で知っている。ユーモアや無関心は、彼らなりの処世術なのだろう。
 しかし、トラブルが起こるたびにマンブルゥは黙って引き下がり、ソフィはそれに憤って、ビーが戯けてはぐらかす、という連鎖は、いよいよ本篇のトーンをコメディじみたものにしている。但し、大笑いなど出来る性質のものではない。こうした、冗談としか思えない展開に落とし込まれる“戦場”という現実に慄然とし、いつしか空虚ささえ覚えてしまう。
 非戦闘員であるマンブルゥたちの遭遇する“戦場”の現実を、何よりも克明に象徴するのがニコラである。悪童にサッカーボールを奪われた少年として物語に登場したニコラは、そのままマンブルゥたちに帯同し、1日に跨がる長い旅を共にする。ロープがあった、と教えた場所でマンブルゥたちが目撃する光景、それが示唆するニコラの境遇は、マンブルゥまみならずビーやソフィからも言葉を奪う。そして彼らは、自分たちの無力を否応なく痛感させられる。
 最終的に虚無感さえ味わわされる展開だが、しかし終幕の余韻は決して苦いばかりではない。それは本篇を覆うトーンが終始、静かだが陽性であるからだろう。のべつ幕なしに冗談を口にするビーはもちろん、多くは語らないが女性問題を抱えるマンブルゥが、現場で発生したトラブルにも、因縁のあるカティヤやそれを眺めるソフィに対しても同じような困り顔を見せるあたりに、滑稽な哀愁が滲む。そしてそうした雰囲気が、彼らのニコラに示した優しさや、最後の僅かな天佑をより快いものに見せる。
 戦場にある現実や皮肉を巧みに凝縮し、随所で緊張を滲ませつつもゆったり、軽快と描きだした。ちょっと類のない、しかし滋味のある“戦争映画”の秀作である。


関連作品:
ジミーとジョルジュ 心の欠片を探して』/『ミスティック・リバー』/『オブリビオン』/『バビロン A.D.』/『パンズ・ラビリンス
M★A★S★H マッシュ』/『戦場のピアニスト』/『キプールの記憶』/『戦争のはじめかた』/『30年後の同窓会』/『1917 命をかけた伝令』/『異端の鳥』/『砂漠の流れ者/ケーブル・ホーグのバラード

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