休業要請中のぶんをようやく取り戻す。

 昨年のコロナ禍ず深刻化しはじめた頃から、映画館ではクラスター発生の報はないのに、今年春の緊急事態宣言発令の際に短期間ながら休業要請がかかったため、一部の作品の封切が延期されてしまった。既にスタートしていた午前十時の映画祭11は、宣言の範囲外の県で上映が続いていたので、東京など逼迫していた地域の住民はその時期にかかっていた作品を観逃す羽目になってしまった。毎回恒例でコンプリートした客を表彰する企画を実施しているこの映画祭ですから、機会の得られなかった客のために振替上映はいずれやってくれるだろう、と信じてましたが、約4ヶ月で実施してくれました。
 それでも今週は、並行して上映されている本来の時間割に入っているほうの作品を優先するつもりでしたが、色々と考慮した結果、振替上映の方を優先することにしました。
 行き先はもちろんTOHOシネマズ日本橋。先週末に日本を緊張させた台風も通り過ぎ、好天なので移動は久々に自転車です。たまーに全力で漕がないと勘を忘れてしまう。
 鑑賞したのは、トルーマン・カポーティの中篇小説をもとに、ニューヨークで華やかだが空虚な生活をする男女をスタイリッシュに、しかし情感をこめて描いた『ティファニーで朝食を』(パラマウント映画初公開時配給)。午前十時の映画祭7でいちど鑑賞してますが、感想を書き上げる余裕がなかったため、再鑑賞するこの機会を待っていました。
 ……いま観ると、ストーリー以外の部分が気になって仕方ありません。他の住民がいるのにお構いなしに騒ぐわ、ティファニーに玩具の指輪に刻印だけさせたり、100円ショップのような雑貨店で万引きを働いたり、挙句飼い猫を最後、酷い扱いをしたり。と問題行動だらけ。わりと早い段階から、ステレオタイプで差別的な日本人描写に批判があったようですが、それはまだそういう時代だったから、と許容できる……もっとも、他の件もこの時代ならではの無頓着さではあるんだけど。
 しかし語り口そのものの洒脱さ、生々しい題材を扱っているにも拘わらず節度のある表現で、非常に佇まいの整ったロマンスとなっている。まるで子供のようなヒロインと、書くことが出来なくなっていた作家が、互いに共鳴し惹かれ合っていく。やがて判明するヒロインの背景や、心境を新たにした作家の再起によって状況が変化していくなかで、都会だからこそ生きられる彼らの空虚さが浮き彫りになっていく。雨に洗われていくようなラストシーンが美しい。
 原作者のカポーティはそうとう不満のある内容だったそうですし、いま観ると色々問題はありますが、この時代のニューヨークの一断面を戯画的に、ロマンティックに切り取った佳作だと思う。ていうかやっぱりオードリーは可愛い。

 いつもなら近場で昼食を摂るところですが、如何せんきょうは祝日。映画館からエスカレーターを下っていくと、同じビルの中の飲食店に列を為しているのを見て、もう外食する気は失せてしまった。お腹を空かせつつ必死に自転車を漕ぎ、家にあったカップ麺などで済ませました。

コメント

  1. […] 原題:“Breakfast at Tiffany’s” / 原作:トルーマン・カポーティ / 監督:ブレイク・エドワーズ / 脚本:ジョージ・アクセルロッド /  […]

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