今年3回目の映画鑑賞は、母も同行します、っていうか、そもそも母が「観たい」と言っていた作品だし、私よりも母のモチベーションが高いので、自然そうなる。
行き先は、私にとっては馴染みのTOHOシネマズ日本橋。母も何度か訪れたことがあるので抵抗はない――が、今日は時間が早い。なんとも8時45分開映です。自分だけなら避けるところですが、母は問題ないと言うし、他の上映時間は我が家にとってはしっくり来ないので、選択肢はなかった。
寝坊しないよう、毎週金曜日に生で聴いてから寝るバナナマンのラジオを30分ほどで録音に委ねて就寝――結果、2時間ほど早起きしました。なんでいつもより短くなるんじゃ。まあ、想定より早く起きられたので、しっかり目を覚ましてゆっくりと支度をして出かけられましたが。
鑑賞したのは、鎌田敏夫脚本による青春ドラマの伝説的作品久々の続篇を、主演である中村雅俊自らが初めて監督して撮影した作品、カースケ、オメダ、グズ六の“今”を、往年の映像も交えつつ描き出す『五十年目の俺たちの旅』(NAKACHIKA PICTURES配給)。
ぶっちゃけ私は、オリジナルのドラマはちゃんと観たことがありません。さすがに世代ではない。たぶん私の幼少時にはギリギリ再放送もされていた可能性はありますが、興味を惹かれはしなかった。ただ、母が昔から中村雅俊がけっこう好きだったのと、私もカーステレオで主題歌や挿入歌を、たぶん主に小椋佳のほうの歌唱で親しんでいたので、ちょっと気になった。しかも久々の新作を、主演・中村雅俊自らのメガフォンで実現させる、という経緯が私好みでもあるので、観に行くのに抵抗はなかった……配信でオリジナルが鑑賞出来るので、冒頭何話かでも予習しておこうかな、と思ってましたが、年明け以降、パソコンのセッティングだなんだで意外と忙殺されて、その機会がなかったため、本当に限られた知識で観に行く羽目になったのは少し悔やまれる。
結論を言えば、少し予習はしておくべきだったかな、とは思う。いちおう読解力はそこそこあるほうだと思うので、それぞれの関係性、過去に何があってこんなやり取りになっているのか、私はそれなりに察しが付いたつもりがあるのですが、そういう手間をかけるのが苦手な方だと、予備知識なしではたぶん戸惑うはず。
とはいえ、本篇だけ観ても、50年にわたって作品を積み重ねてきた厚みは、はっきりと感じられます。毎回仕事が変わっている、というカースケはともかく、オメダやグズ六の仕事内容にも過去が繋がっているのが窺えるし、多くのシーンに歴史の重みを感じさせる。近年の作品では避けるようなシチュエーション、言動を、あえて包み隠さず採り入れて、この時代の男たちのまだ続いている青春ドラマとして紡いだのは勇気のあることだと思う……けどまあ、大した予備知識がないどころか、現代の倫理や価値観を昔に押しつけてしまいがちな人には受け入れがたいだろうなあ。
終盤にしてもそうです。今日日のドラマだと、もっと重い決断をしてしまいがちなところを、あえて基本のスタンスに舞い戻って着地するのは、潔いし筋が通っている。やもすると何もかも背負いがちで息苦しくなっている昨今には、むしろ考えてみるべきスタンスをあえて描いたことも、個人的には評価したい。途中は窮屈さもあったやり取りが、最後で軽快になったのも快い。
たぶん、昔のドラマの映像が浮くことを回避したかったのでしょう、あえて往年の画面比で、スクリーンの口角をあまり意識しない構図にしているので、映画というよりドラマを観ている、というイメージなんですが、本篇の場合はそれで正解です。こういうのもひとつの形だし、幸せな作品。
やはり観客層は往年の視聴者がメインで、全体に平均年齢は高い。しかも、スクリーンを出て少し先に、私も先日撮影した大型タペストリーの前で、60代以上と思しい男性陣がはしゃいで撮影していたのが印象的でした。女性や親子連れが撮っているのはしばしば目にするけれど、この年代の男性がやってるのは初めて見たぞ。
それはそれで微笑ましいんですが、なんとなーく私は、ひとりでプリキュア映画を観に行っているときに近い感覚を味わうのでした。いや、気にせず観るんだけどさ。
日本橋に来たときの恒例としてふくしま館にも立ち寄りましたが、今日のイートインには昼食になるようなメニューはない。ソフト厚揚げやおやつ類を買って離脱し、昼食は自宅最寄り駅の傍にあるファストフードで買って帰りました。



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