依然として落ち着かない状況です。しかし今月は、これを観逃すわけにはいかない、という作品が多過ぎる。とりあえず、午前十時の映画祭16を押さえるために、お出かけです。
しかし今日は悩みました。何せ伊豆諸島に線状降水帯が発生し、日本各地で記録的な豪雨に見舞われている。東京も、ちょうど映画を観終わって、お昼はどうするか、と考える時間に激しくなる予報が出ている。さすがに諦めるか、と悩みましたが、出かける時間が近づくと、そこまで酷くはならない印象だったので、決行です。
鑑賞した午前十時の映画祭16今コマの作品は、クリント・イーストウッド監督&主演、家族のため農夫として穏やかに暮らしていた男が、最後の賞金稼ぎに赴く『許されざる者(1992)』(Warner Bros.映画初公開時配給)。
たぶん劇場で鑑賞するのは2度目ですが、やっぱり良い西部劇は大きなスクリーンで観たほうがいい。本当に、いい。
いわばこれは、滅びに向かっていた西部劇への挽歌です。かつての西部劇で描かれたアンチヒーローたちが、その後どう生きてきたか、という仮定に、その世界観にあった町での理不尽を重ね、リアルな人間像を描き出す。
この作品のイーストウッド演じる主人公の素晴らしさは、本質的に己を理解している、ということかも知れません。明らかに荒事の経験がないのに過去を大きく盛っているスコフィールド・キッドはもちろんですが、他の人物も多かれ少なかれ、大きなことを口にしている。でも、イーストウッド演じるウィルだけは、大きく見せることも取り繕うこともしていない。だから最後まで芯が通っている。
他の人が間違っている、というより、そうしなければ生きていけない世界観なのでしょう。それが西部劇の描きだしたものだったし、多かれ少なかれ、そうしたフィクション群は現実を反映している。けれど、それだけで生きていくのは難しい。妻によって、人を殺し殺されない世界を知ったウィルは、その代償として、ずっと己の過去に苛まれている。
そうした、仄めかされた要素が、終盤の人間狩りを通して浮き彫りとなり、そして僅か数分の壮絶なクライマックスへと結実する。西部劇らしい展開なのに、そこには優しさと共に、深い哀感が漂っている。
この時点で意欲的な作品を監督してきたクリント・イーストウッドですが、ただのアクション・スターの余技というイメージを払拭したのは、本篇を発表したことによります。このあとにも多くの代表作がありますが、彼にとっての記念すべき1本だったことは間違いないと思います。
普段なら近場で外食して帰るのですが、昨日の夕食はカレーで、最近はその残りを使って翌日昼にカレーうどんを食べるのが我が家の習慣になっている。なので、まっすぐ帰ることにしました――まあ、それだけではなく、ちょうど帰宅するくらいの時間帯が大荒れになっている危険があったため、食事のために寄り道するのを避けた、というのもあるんですが。

TOHOシネマズシャンテ、階段踊り場の壁面に掲示された、『許されざる者(1992)』上映当時の午前十時の映画祭16案内ポスター。


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