『孤独のグルメ』2週目に入って気づいたこと諸々、その1。

 Netflixで配信されている通常シリーズ、スペシャル版まですべて鑑賞しました。そして、宣言したとおり、頭から観返しております。平日夕方の再放送もきっちりフォローしながら。
 で、こんだけ観ていると、色々と気づくことがある。昔からのファンならとっくに知っていること多数でしょうが、自分のためのメモとして、何項目かに分けて記していきます――要は多忙でネタ不足ゆえの埋め草である。

五郎さんはけっこう変化している。

 実は、シーズン1から振り返ると、五郎さんのキャラクターはけっこう趣が違う。
 のちのシリーズでは、表面的には寡黙でも、心の声は変な比喩やおやじギャグが乱れ飛ぶはっちゃけっぷりが魅力でもある五郎さん、しかしシーズン1は心の声もハードボイルド。実際、ハードボイルド小説の地の文を読み上げるような、淡々として渋いトーンなのです。
 ただ、序盤からしばしばおやじギャグは鏤められていて、それが放送とともに撮影を行い、恐らくは様々な反響を受けて、次第にソフトになっていった。シーズン1ではやっぱりハードボイルドな回想があり、1シーンですが、古武術を嗜んだ腕前を発揮する立ち回りもあったりしますが、シーズン2にして、そういう部分が大幅に減っているのも、ちょっとした軌道修正なのでしょう。腕っ節の強さは原作漫画でも発揮していたようですが、別に五郎さんが悪党をバッタバッタ薙ぎ倒していくのが楽しみ、なんてドラマじゃないし。
 個人的にもっと注目すべき変化はふたつある。
 ひとつは、毎回お馴染みの“腹減った”シークエンスもまた、回数を経て完成されている点。
 カメラ正面を向いて少し口を開けた間の抜けた表情で制止し、それを音楽に合わせ3~4段階で遠ざかるロング・ショットで撮したあと、ひとつ頷いて店を探し始める、というのがいまやお約束ですが、シーズン1ではロング・ショットの表現は固まっていても、五郎さんの表情はそこまで間抜けではない。コロナ禍になり、マスク必須になった時期のシーズン9でも、このショットのときはわざわざマスクを下ろして口を見せるまでに至った描写も、実は時間をかけて固められているのです。
 もうひとつは、序盤の五郎さんが必ずしも「いただきます」「ごちそうさま」を言っていない、という点。驚くことに、シーズン1ではたぶん終盤のエピソードでちょこっと口にするだけで、基本的にすぐ食事を始めている。シーズン2から、食事の前に手を合わせ「いただきます」という場面が増える。ただしこの時点でも「ごちそうさま」は出ないことが多く、支払のときや退店のときに、お店の方に直接告げるかたちで織り込んでいるだけ、というのがほとんどです。ドリンクまで飲み終え、すっかり空になった食器を前に、満ち足りた表情で「ごちそうさまでした」と頭を下げるシーンがほぼ定番化するのは、もう少しあとになる。
 このあたりは演じる松重豊やスタッフが、撮影を重ねるごとに意識を高めていったことの表れではなかろうか。やっぱり、料理のみならず撮影の場所や時間を提供してくださったお店の方はもちろんのこと、料理そのものにも敬意を払うのは、態度として美しい。これが採り入れられていない序盤は、だから振り返ると色々未熟に映るのでしょう。
 この食事の前後の挨拶、五郎さんは決してお店の方を意識せず口にしているようですが、座り位置やお店の方の所在によって、ときどき「ごちそうさまでした」にレスポンスがあるのも楽しいところ。そりゃあ、あれだけの量を美味しそうに平らげ、きちんと挨拶してくれる人なんですから、挨拶で返したくなるのもまた人情。こういうやり取りもまた、『孤独のグルメ』という作品の快さに繋がってます。
 というか、五郎さんの子の食いっぷりと、料理、お店に対する敬意は、外食産業の客として理想の姿だと思う。真似したくなるのも当然、そして見習って然るべき。

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