『ミツバチのささやき』

新宿シネマカリテ、スクリーン2入口脇に掲示されたチラシ。 ミツバチのささやき Blu-ray

原題:“El espintu de la colmena” / 監督&原案:ビクトル・エリセ / 脚本:ビクトル・エリセアンヘル・ヘルナンデス・サントス / 製作:エリアス・ケレヘタ / 撮影監督:ルイス・カドラード / 美術:アドルフ・コンフィーノ  / 編集:パブロ・ゴンザレス・デル・アモ / 音楽:ルイス・デ・パブロ / 出演:フェルナンド・ゴメス、テレサ・ヒンペラ、アナ・トレント、イサベル・テリェリア、ケティ・デ・ラ・カマラ、ホセ・ビリャサンテ、ジュアン・マルガロ、ラリー・ソルデビラ、ミゲル・ピカソ / 初公開時配給:フランス映画社 / 映像ソフト発売元:IVC,Ltd.

1973年スペイン作品 / 上映時間:1時間39分 / 日本語字幕:吉岡芳子

1985年2月9日日本公開

2015年6月19日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD Video:amazonBlu-ray DiscamazonBlu-rayツインパック(『エル・スール』とセット):amazon]

新宿シネマカリテにて初見(2019/12/10) ※新宿武蔵野館百周年特別企画の1篇として上映



[粗筋]

 1940年代、内戦が終結し、新たな体制に移行しつつある頃のスペイン。

 アナ(アナ・トレント)の暮らす小さな村に、移動映画がやって来た。公民館を用いて上映された作品は、『フランケンシュタイン』。人間を自ら作り上げようとした科学者の物語である。

 幼いアナには、この“怪物”がよく理解できなかった。どうして、仲良くなった少女を殺してしまったのか。どうしてみんな、あの“怪物”を憎み、殺してしまったのか。イサベルは、映画はみんな作り物だから、あの女の子は殺されていないし、怪物も生きている、と説明する。あの怪物は精霊で、いちど友達になれば、心で呼びかければまたやって来てくれる。

 翌る日、イサベルはアナを村はずれの空き家まで連れていった。ここに精霊が住んでいる、とイサベルは言うのである。このときは“精霊”と巡り逢えなかったが、後日、ひとりでふたたび空き家の様子を探りに来たアナは、そこに大きな足跡を見つけ、精霊が住んでいる、と信じた。

 そして深夜、家族が寝静まった家を抜け出したアナは、そこに人影を見つける。怯えて拳銃を向けてきたそれを、アナは“精霊”だと思い込んだ――

[感想]

 恐らく世界的に見ても稀有な映画監督だと思う。なにせ本篇が初めての長篇映画で、これ以降に発表したのは僅か2本、フィクションに限定すれば1982年の『エル・スール』しかない。あとはオムニバスへの参加を含む短篇がほとんどだ。にも拘らず多くの映画人にリスペクトされ、、メディアの主流が変わるごとにきちんとソフトとしてリリースされている。私自身がその名を知ったのは、一時期熱心に読んでいた漫画家が影響を受けた作品として『エル・スール』を掲げていたからだったが、それ以来ずっと頭の片隅に残り、映画を頻繁に観るようになってからは、いつかちゃんと向き合わねばいけない、と思っていた。

 確かに凄かった。何だかんだで2000本以上映画を観て自分なりにあれこれ吟味してきたが、そのなかでも十指に入る、“完璧な映画”だった。

 表面的な事象を拾っていけば、それほど複雑な話ではない。映画で知った不可思議な存在と、閉鎖的な集落に身を潜めた青年に繋がりを見出した少女の奇妙な冒険、と乱暴にくくってしまえばそれまでだ。

 だが、このシンプルな事実を、大人側の説明をほぼ挟むことなく観客に飲み込ませる、表現の鏤め方が巧い。

 冒頭にこそ、舞台と時代背景が簡潔に示されるが、それ以降は会話さえ最小限に綴られる。にも拘わらず、中心人物であるアナの心に起きる変化が伝わりやすい。イサベルに吹き込まれたいい加減な情報を信じこんで空き家にたびたび足を運んでしまうこと、そして結末におけるあの切ない行動も、その理由はすぐに飲み込める。彼女をこんな振る舞いに導くものが、劇中に余さず、適度なタイミングと分量で組み込まれている。

 更に愕くべきは構図の見事さだ。全般に大きく動かすことのないカメラワークは物語の動きを緩やかにしているが、映像としての美しさばかりか、人物の動きや心情を明瞭にするよう緻密に計算して組み立てられてもいる。それゆえに、決して大きな事件が起きていないにも拘わらず不思議な緊張感すら漂い、観る者の気を逸らさない。

 表面に見えているアナの物語こそ明瞭だが、その一方で、多くの謎めいた描写が挿入されており、それが作品と展開する映像に奥行きをもたらしている。

 日本での公開は制作から12年を経てからだったが、スペインで完成された当時、あちらは内戦状態がようやく終結したばかりで、その影響が色濃く残っている。しかも新しい体制下での表現規制もあったようで、当時のスペインを拠点にしていた映画監督は、こうした規制の眼を掻い潜るような表現で体制や社会への批判を織り込む技をよく用いていたらしい。

 その程度の知識でも、把握した上で鑑賞すると、意味深な描写があちこちに鏤められている。軍服姿の男たちを載せた列車のポストに何者かへの手紙を投函するアナの母、見たところ妻よりも年輩で、子供たちとのあいだに奇妙な距離のあるアナの父。そして、中盤で空き家に現れるアナの“精霊”はどこから現れ、いかなる理由で身を潜め、そしてああした結末を辿ったのか。

 もともと子供の知る世界は狭い。アナにとっては家族と集落の内側だけが彼女の世界であり、それ以外のことは異世界から持ち込まれるものだ。「恐ろしい映画」という惹句で見せられた『フランケンシュタイン』の恐怖の意味が解らないのもそうだし、家族の目を盗んで何者かにアプローチする母の本音も、彼女が迎え入れる“精霊”の来歴も知らない。それ故にアナは彼女なりに集めた知識で解釈し、自らの世界に引きこもうとする。そのことが、閉じた世界にいる者の憐れと、しかしそれ故に透き通った純粋さを、残酷なほど濃密に際立たせている。

 そして、そうして作り上げた自分の小さな世界のなかにアナは閉じこもった――かのように映るが、そう話は単純でもない。本篇では、クライマックスで再び夜の世界へと駆け込んだアナが体験した出来事の“実相”を露わにはしていない――無論素直に、画面に現れたものとその通りに巡り逢ったのだ、と捉えることも出来るが、その限りでもない。そして、医師から「衰弱しきっている」と診断されるほどにアナを消耗させたものは何なのか、そのうえで何故アナは最後にあんな行動に出たのか。それはアナが自分の世界に閉じこもった、というよりも、初めて外の世界を知り、自発的にアクセスを試みている、とも解釈出来る。

 これはとても秘めやかな成長物語である、と言えるかも知れない。しかし、無知なアナの純真な振る舞いに、社会の大きな流れから孤立しながらも影響を受けるひとびとの姿を象徴している、とも取れる。

 シンプルなようでいて、籠められたものは多く、重い。そして、そうした思索から逃れられなくなるほどに、すべてのシーンが美しく忘れがたい。本当は安易に使うべきでない、と理解はしていても、それでも私は本篇を、“完璧な映画”と呼びたい。それほど、佇まいに隙がない。

関連作品:

10ミニッツ・オールダー 人生のメビウス』/『ポルトガル、ここに誕生す~ギマランイス歴史地区

テシス 次に私が殺される』/『ゴースト・オブ・チャイルド

汚れなき悪戯』/『禁じられた遊び』/『デビルズ・バックボーン』/『パンズ・ラビリンス』/『永遠のこどもたち

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