原題:“Glass” / 監督&脚本:M.ナイト・シャマラン / 製作:M.ナイト・シャマラン、ジェイソン・ブラム、マーク・ビエンストック、アシュウィン・ラジャン / 製作総指揮:スティーヴン・シュナイダー、ケヴィン・スコット・フレークス、ロジャー・バーンバウム、ゲイリー・バーバー / 撮影監督:マイケル・グローラキス / プロダクション・デザイナー:クリス・トゥルージロ / 編集:ルーク・シアロキ、ブルー・マーレー / 衣装:パコ・デルガド / キャスティング:ダグラス・エイベル / 音楽:ウェスト・ディラン・ソードソン / 出演:ブルース・ウィリス、サミュエル・L・ジャクソン、ジェームズ・マカヴォイ、アニヤ・テイラー=ジョイ、スペンサー・トリート・クラーク、シャーレーン・ウッダード、サラ・ポールソン / ブラインディング・エッジ・ピクチャーズ/ブラムハウス製作 / 配給:Walt Disney Japan
2018年アメリカ作品 / 上映時間:2時間9分 / 日本語字幕:風間綾平
2019年1月18日日本公開
公式サイト : http://movies.co.jp/mr-glass
TOHOシネマズ西新井にて初見(2019/1/19)
[粗筋]
フィラデルフィアでは、3人の女性が誘拐監禁された事件以降、同種の事件が繰り返されていた。逃走しているケヴィン・クラム(ジェームズ・マカヴォイ)、通称“群れ”が、司直の目を逃れ犯行を重ねているのである。
セキュリティ用品の販売業を営みながら、夜な夜な街を“散歩”し悪党を倒しているデヴィッド・ダン(ブルース・ウィリス)は、“群れ”を捕らえるべく連夜の捜索を続けていた。さすがのデヴィッドも疲労が蓄積しており、息子で店の手伝いと悪党退治のサポートをしているジョセフ(スペンサー・トリート・クラーク)は身体を心配して控えるように忠告するが、デヴィッドは耳を貸さない。
そして遂にデヴィッドは、“群れ”を発見する。偶然にすれ違ったケヴィンと接触した際、頭に浮かんだ場面を手懸かりに潜伏場所を特定すると、すぐさま囚われた少女たちの救出に向かう。
デヴィッドが少女たちの拘束を解いた直後、最強の人格“ビースト”に変貌したケヴィンが現れた。強靱な肉体を持つ者同士の争いは予断を許さない状況だったが、そこへ思わぬ介入者が現れる。
警察が、ふたりの身柄を押さえたのだ。
捕らえられたふたりは、精神科の隔離病棟に収容される。彼らを担当するエリー・ステイプル医師(サラ・ポールソン)は、ある種の“妄想”に囚われた患者を専門に診察しているという。そして、彼女の受け持った患者にはもうひとり、ダンと因縁浅からぬ男、“ミスター・ガラス”ことイライジャ・プライス(サミュエル・L・ジャクソン)が含まれていた――
[感想]
本篇のみでも楽しむことは恐らく不可能ではない。物語に必要なものは、ほぼ劇中に盛り込まれている。だがそれでも、出来れば『アンブレイカブル』と『スプリット』は観ておいたほうがいい。この3作で、M.ナイト・シャマラン監督が『アンブレイカブル』で仄めかしていたアメコミに対する造詣と、そこに端を発する“スーパーヒーロー論”がひとつの決着を見るからだ。
序盤など、前提となる2作の出来事を受けて描かれているが、見事なまでにヒーロー映画の趣だ。ケヴィン・クラムは自らの生贄を探して街を彷徨い、デヴィッド・ダンは街を徘徊して悪党を探し出して撃退している。両者が遭遇しいよいよ対決に発展する、という経緯はまさにヒーロー映画そのものだ。
このままヒーロー映画の王道をひた走っていくか、と思わせたところで、話は次第にねじれていく。殺戮を重ねていたケヴィンはもとより、人を救っていたはずのダンも、本来出さなくて済んだ負傷者を出す危険な自警団として扱われる。しかも、遥か前に捕らえられた“ミスター・ガラス”ごとイライジャ・プライスもろとも、ある種の妄想に取り憑かれていた人間として、精神病院に収容されてしまう。
このあたりからは観たときのお楽しみ、としていただきたいので伏せるが、思わぬ方向へ流れつつも本篇はヒーローものの作品の中で起きても不思議ではない事象、ひとびとの対応を細かに織り込んでいる。それこそ、近年絶えず新作が撮られ観客へと届けられるマーヴェル・スタジオやDCコミックスの実写映画と並べてみると、そうした作品群の世界観を巧みに敷衍していることが解るはずだ。本篇は、従来のヒーローものの登場人物を使わず、シャマラン監督なりにヒーローを巡るドラマを構築している。
しかもそのうえで、シャマラン監督らしい逆転や衝撃をきちんと用意している。この伏線の張り方は非常に緻密だ――この監督が好む象徴的表現を多用しながら、しかしきちんと展開においてもその結末においても意味を持つ趣向がちりばめられている。一時期、やもすると取って付けたような趣向が多く、独りよがりになりがちだったことを思えば、初期のシャマラン監督が蘇ったかのような鮮やかさだ。
もともとずば抜けていたヴィジュアル・センスの高さも存分に発揮されている。序盤の救出劇や戦闘シーンの見せ方もむろんのこと、決して動きが多いとはいえない中盤以降の展開においても、劇中のカメラも利用した映像を活かし、緊張感や衝撃を膨らませている。
何より、サミュエル・L・ジャクソンにジェームズ・マカヴォイ、そしてブルース・ウィリスというクセ者ばかりのメインキャストを、それぞれ活かしているのだから恐れ入る。ブルース・ウィリスは長年第一線で活躍するスターらしい存在感をしっかり発揮しているし、ジェームズ・マカヴォイは前作『スプリット』の多重人格というキャラクターを更に拡張し、随所で人格が切り替わる難役を飄々とこなしている。そして特筆すべきはタイトル・ロールを演じたサミュエル・L・ジャクソンだ。このキャラクターにここまで説得力を付与できる俳優はたぶんそう多くない。
そうして役者を揃え、伏線を積み上げていった先には、驚きもあるが、こういう物語だからこそ演出しうる感動もある。必ずしも万人が受け入れられる幕引きではない――読みようによっては、正当化すべきではないものを正当化しているようにも映る――が、ある意味では普遍的とも言えるメッセージさえ籠められている。この奥行きもまた、シャマラン監督のヒーロー映画に対する愛着と造詣の為せる技だろう。
この作品、トップで掲げられるロゴはユニヴァーサル・スタジオだが、配給はウォルト・ディズニー・ジャパンとなっている――ご存じ、“アベンジャーズ”シリーズなどアメコミの実写化を手懸ける“マーヴェル・スタジオ”を傘下に収め、配給しているところだ。本篇を経て、シャマラン監督がマーヴェル作品に携わるのでは――という気はあんまししないが、ジャンルに対する愛着や憧れを作品として昇華したシャマラン監督が大きな成果を上げたことを証明する作品であった、とは言えるだろう。
いささか趣向が特異すぎていまいち受け入れがたい、というひとも少なからずありそうだが、批判されつつ維持してきた作風をようやく高いクオリティで完成させた本篇は、M.ナイト・シャマラン監督の代表作と呼んでいいように思う。更に水準を高めていくにせよ、おちていくにせよ、ファンのあいだで分岐点として記憶される作品になるはずだ。
関連作品:
『スプリット』
『サイン』/『ヴィレッジ』/『レディ・イン・ザ・ウォーター』/『ハプニング』/『エアベンダー』/『デビル(2011)』
『ムーンライズ・キングダム』/『ダイ・ハード/ラスト・デイ』/『RED/レッド リターンズ』/『声をかくす人』/『フィルス』/『X-MEN:フューチャー&パスト』/『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』/『トリプルX:再起動』/『キングスマン』/『ミスティック・リバー』/『キャロル』/『オーシャンズ8』
『Vフォー・ヴェンデッタ』/『ウォッチメン』/『クロニクル』/『いぬやしき』
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