TOHOシネマズシャンテ、スクリーン3のある地下1階ロビーに入口脇に掲示された『ノスフェラトゥ(2024)』ポスター。
原題:“nosferatu” / 原作:ブラム・ストーカー / 監督&脚本:ロバート・エガース / 製作:ロバート・エガース、クリス・コロンバス、エレノア・コロンバス、ジェフ・ロビノフ、ジョン・グレアム / 撮影監督:ジェアリン・ブラシュケ / プロダクション・デザイナー:クレイグ・レイスロップ / 編集:ルイーズ・フォード / 衣装:リンダ・ミューア / キャスティング:カーメル・コクラン / 音楽:ロビン・キャロラン / 出演:リリー=ローズ・デップ、ニコラス・ホルト、ビル・スカルスガルド、アーロン・テイラー=ジョンソン、ウィレム・デフォー、エマ・コリン、ラルフ・アイネソン、サイモン・マクバーニー、ステイシー・チェーンズ、ポール・メイナード / 配給:PARCO×ユニバーサル映画
2024年アメリカ、イギリス、ハンガリー合作 / 上映時間:2時間12分 / 日本語字幕:松浦美奈 / PG12
2025年5月16日日本公開
公式サイト : https://www.universalpictures.jp/micro/nosferatu
TOHOシネマズシャンテにて初見(2025/6/13)
[粗筋]
1922年のドイツ。エレン・ハッター(リリー=ローズ・デップ)は、しかし夜ごとに訪れる悪夢に苦悩していた。若き不動産業者トーマス(ニコラス・ホルト)と結ばれ、幸せの絶頂のはずが、この忌まわしい悪夢がエレンの心に深い影を落としている。
つい先日、結婚式を済ませたばかりのトーマスに、雇い主のノック(サイモン・マクバーニー)から出張の命令が下った。北方の辺境の城でで暮らすオルロック伯爵が、新たな生活の場としてドイツの屋敷を購入することになり、手続きを行うのである。数週間に及ぶ長旅になるが、無事に契約を結ぶことが出来れば今後の地位は保証する、というノックの言葉に、トーマスは愛する花嫁としばしの別れを決心した。
伯爵の城までの道程は遠く、過酷だった。疲れを癒すべく立ち寄った村では、ジプシーたちに取り囲まれ、翻弄された挙句、翌朝には村はもぬけの空となっていた。乗ってきた馬を盗まれたトーマスは、徒歩での旅を余儀なくされる。
ようやく辿り着いたオルロック伯爵の城は、しかし異様な雰囲気だった。巨大だがまるで廃墟のようで、人気はなく、あちらこちらの闇に不気味な気配が蠢いている。深夜にも拘わらず快く出迎えたオルロック伯爵も、蝋燭や暖炉に火を点してはいたが、自らの姿をトーマスに見せようとしない。恐怖に支配されたトーマスは、一刻も早く逃げ出したい一心で契約を進める。オルロック伯爵の祖国の言葉で記されたという、内容の不確かな書類にも、トーマスは請われるまま署名した。
気づいたときには夜が明けていた。既に火は消され、あたりにはオルロック伯爵はおろか、人影ひとつ見当たらない。薄曇りの光の下であっても、伯爵の城は人が住んでいるような状態ではなかった。トーマスは城の中を探索するうちに、おぞましいものを発見してしまう。
その頃、ドイツで待つエレンとその周囲にも、不可解な出来事が起きはじめていた――
[感想]
ブラム・ストーカーが実在する人物や伝承をもとに生み出した“吸血鬼”は現在、最も著名なモンスターのひとつと言っていいだろう。本篇のもととなったのは、このストーカーによる『吸血鬼ドラキュラ』という作品を、ドイツの映画監督が自国を舞台にして撮った『吸血鬼ノスフェラトゥ』である。現在はどうやらパブリック・ドメインとなっているため、観ること自体は難しくないようだが、なにせ無声映画の時代ゆえ、コンディションに難があり、また映画製作者たちの理想とするかたちで鑑賞出来ているのかは解らない。
その後も幾度かリメイクされたこの作品を、現代に新たに手懸けたのは、現代の技術で幻想怪奇映画を蘇らせることを目指すかのような異才ロバート・エガース監督である。長篇映画は2015年の『ウィッチ』から数えてまだ4作目に過ぎないが、隅々まで意識の行き渡った緻密で、グロテスクだが美しいヴィジュアルと、現代にも通じるテーマ性を宿したストーリーテリングで定評を獲得しており、本篇においてもその手腕を遺憾なく発揮している。
冒頭からいきなり、その佇まいと、間を巧みに活かした緊張感のある演出で、迫り来る恐怖を観客に共有させる。セットと視覚効果で再現された1920年代ドイツの風景、風俗を一種寒々とした色味で描き出しているので、美しくも冷たい、独自の空気感を生み出している。この数分間の描写だけで、現代的な映像でありながら、まるでクラシックな怪奇映画の中にいるような感覚をもたらす。
いささか唐突な場面転換があったり、深読みしないと意味の解らない展開もしばしばだが、そうした飛躍、象徴的な表現もまた、本篇に古典的な風格をもたらしている。描かれているものをただ眺めただけでは伝わらない領域にある、おぞましさや動揺、そのなかにある甘美な哀しみも匂い立たせる。
もはや飽きるほど語られていることだが、獲物の血を吸い自らに隷属、或いは服従させる、という吸血鬼の特性は、人間の欲、とりわけ性欲と結びつけられる。本篇はこの点をかなり露骨に、いっそグロテスクなほど生々しく描写している。冒頭の、じわじわと高まる恐怖が俄に恍惚へと転換する一瞬、まるで望まぬ行為に魅せられ呆然としていた者が、我に返って達する冷静さが激しい動揺へと転じるくだり。そしてクライマックスの、生と死の狭間に落ちていくかのような表現。それらは魅惑的でありながら、生物の本能、営みの根底にある醜さと、共存する崇高さを突きつける。衝撃的なヴィジュアルなのに、目を逸らすことは難しい。
間違いなく現代よりも男尊女卑的な思想が根強かった時代、文化圏を舞台にしているが、本篇のそうした表現には現代における性というものの複雑性が象徴的に、しばしば露骨に埋め込まれているように感じる。観客が本篇に感じる甘美な芳香、いたたまれない嫌悪感、身中から沸き起こるような昂揚感は、本篇の作り手たちが仕込んだそれらの毒が確実に観客を冒している。
昨今の洗練され、理解しやすくなった作品に親しんでしまうと、一見意味のない展開、しばしば説明もなく起きる跳躍的な状況の変化が拙さに感じられ、否定的要素と捉えられる可能性がある――実際、本篇の日本における観客のレビュー平均値はいささか低めだ。だが、作り手が本篇に仕込んだ毒は確かに効いている。すぐさま魅了されるひとももちろんいるが、一見して唾棄した人でも、本篇のイメージが忘れがたく意識化に刻まれ、あとあと記憶が蘇ってくるのではなかろうか。
それほどに、悩ましくもおぞましい悪夢の欠片を観客の意識に埋め込む、まさしく上質の怪奇映画である。こういう作風が認められたエガース監督だからこそ辿り着ける領域だろう。
関連作品:
『ライトハウス』
『デッドプール2』/『女王陛下のお気に入り』/『アンナ・カレーニナ』/『ブレット・トレイン』/『ナイトメア・アリー』/『ワイルド・ストーム』/『マリアンヌ』
『ぼくのエリ 200歳の少女』/『スペル』/『ダリオ・アルジェントのドラキュラ』/『クロノス〈HDリマスター版〉』/『アラーニェの虫籠』/『アムリタの饗宴』/『ミッドサマー』
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