『燃ゆる女の肖像』

TOHOシネマズ日本橋、スクリーン3入口脇に掲示された『燃ゆる女の肖像』チラシ。
TOHOシネマズ日本橋、スクリーン3入口脇に掲示された『燃ゆる女の肖像』チラシ。

原題:“Portrait de la jeune fille en feu” / 英題:“Portrait of a Lady on Fire” / 監督&脚本:セリーヌ・シアマ / 製作:ベネディクト・クーヴルール / 撮影監督:クレア・マトン / セットディレクター:トマ・グレゾー / 作画:エレーヌ・デルメール / 編集:ジュリアン・ラシュレー / 衣装:ドロテ・ギロ / キャスティングディレクター:クリステル・バラ / 音響:ジュリアン・シカール、ヴァレリー・ディループ、ダニエル・ソブリノ / 音楽:パラ・ワン(ジャン=バティスト・デ・ラウビエ)、アーサー・シモーニ / 出演:ノエミ・メルラン、アデル・エネル、ルアナ・バイラミ、ヴァレリア・ゴリノ / 配給:GAGA
2019年フランス作品 / 上映時間:2時間2分 / 日本語字幕:横井和子 / PG12
2020年12月4日日本公開
公式サイト : https://gaga.ne.jp/portrait/
TOHOシネマズ日本橋にて初見(2020/12/5)


[粗筋]
 女性たちのための絵画教室を営むマリアンヌ(ノエミ・メルラン)は、生徒が引っ張り出してきた古い絵画を見て動揺する。それは彼女が若かりし日、巡り会った女性を描いた作品だった。題名は、《燃ゆる女の肖像》――
 その頃、父の後を継ぐかたちで肖像画家として生計を立てるようになったばかりのマリアンヌは、海を渡り、丘を登ったところにある屋敷へと招かれた。伯爵の娘・エロイーズ(アデル・エネル)は先日まで修道院に入っていたが、婚姻を間近に控えた姉が先日亡くなったために呼び戻され、近々ミラノに嫁ぐことになった。伯爵夫人は嫁ぎ先に渡す肖像画を描かせるためにマリアンヌを雇ったのだ。
 ひとつ厄介なのは、エロイーズが肖像を描かれるのを拒んでいる、ということだった。先に雇われた男性画家は顔を描き上げられないまま去っており、伯爵夫人はマリアンヌを散歩の同伴者としてエロイーズに紹介した。マリアンヌはエロイーズが衝動的な行動に出ないよう見張りながら、そのすべてを観察し、肖像のポーズを想像しながら絵筆を走らせねばならなかった。
 加えて、エロイーズの態度は異様に頑なで、散歩の同伴者になることは認めても、なかなか笑顔を見せようとしない。マリアンヌは、エロイーズの行動を観察しながら、彼女の心をどうにか解きほぐそうと、対話を重ねていく……


[感想]
 すべての佇まいが美しい映画である。
 序盤から、会話や説明もなく展開される映像の美しさに目を奪われてばかりだ。海を渡る途中で投げ出され、ずぶ濡れになったカンバスを暖炉の脇で乾かしながら、自身は全裸でパイプをくゆらせるマリアンヌ。突然崖の方へと向かって走り出すエロイーズと、それを追うマリアンヌ。ひとつひとつの何気ない場面が、計算されながらも硬さのない柔らかなタッチで描き出される。
 こうした映像の数々が、ただただ美しいばかりでなく、登場人物たちの心象を絶妙に汲み取っている。思索的な表情で海を見つめるエロイーズの横貌から、少しカメラが横に動くと、その向こうでエロイーズの表情を窺うマリアンヌの顔がある。カメラは微妙に位置を変え、両者が無言のまま繰り広げる駆け引きを、最小限の変化で切り抜いてみせる。
 マリアンヌは、肖像を描いていることを悟らせない、という命題があるために、意識的にエロイーズの細かな仕草を観察しようとする。その、職業的な必然性のある行為が、しかしマリアンヌのエロイーズに対する理解を深め、それが結果的にエロイーズの意識にまで呼びかけていく。序盤、ろくに笑顔も見せないエロイーズの表情が、マリアンヌの肖像画が描き上がっていくにつれて少しずつ柔らかになっていく。
 肖像画を描くためのプロセスが、本篇はそのまま、マリアンヌとエロイーズの関係性の深化を促し、同時に象徴もしているのだ。1枚のカンバスに下書きをし、輪郭を際立たせ、細部を描き込んでいく、まさしく肖像を完成させるような手つきで、本篇はマリアンヌとエロイーズの関係を表現する。ひとつひとつが優美なシーンで構築されたこうしたプロセスの蓄積が、本篇全体の佇まいを決定づけている。
 本篇の背景となる18世紀頃のフランスは――フランスに限ったことではないが――女性達の権利は著しく制約されていた。エロイーズは家柄を残すためにわざわざ修道院から呼び戻されたうえで結婚を強いられ、他方で父の生業を継いだマリアンヌもまた、それ故に家庭を持つ、ということを諦めざるを得なかったことが仄めかされる。
 しかしここで興味深いのは、メイドのソフィを巡る出来事と、それを受けたマリアンヌたちの振る舞いだ。彼女たちはソフィの身に起きた出来事の原因も、決断の理由も詮索せず、ソフィがそのために始めた努力を手助けする。そこに窺えるのは、身分の違いをも超越した、この時代に女性として生きる相手への共感だ。3人それぞれに、身分故に性質は違えど、女性だからコソの不自由を託っている。ソフィの出来事を契機に生まれた共感は、マリアンヌとエロイーズのあいだにあった身分の違い故の垣根を崩し、よりふたりを接近させるきっかけともなっているのだが、それぞれの地位や立場をわきまえて接していた3人が、テーブルを囲み笑う光景が、不思議なほど快いのは、そうした共感までも繊細に描いているがゆえだろう。
 これ以上ないほど強く繋がっていくマリアンヌとエロイーズの関係性、その心情を繊細に、やがては健やかな官能性さえも纏わせて描いた物語は、やがて解りきっていた終幕へと辿り着く。その素直さがいささか意外に感じられるほどだが、その選択と、彼女たちが辿る生き方、そして愛し方もまた極めて繊細で、これ以外になかったのだ、と頷かされる。ほんの短い間だけ交わり、育まれた愛を、それぞれのかたちで胸に宿すさまは、その微妙な差違が生む痛みまでが美しい。
 もうひとつ、本篇で注目すべきは、題名にも掲げられ、物語を綴るきっかけとなる絵画の存在だ。終わってみるとこの絵画の存在には、いささか取って付けたような印象もあるのだが、それをタイトルに掲げたこと自体が深い情緒を作品に添えている。マリアンヌはなぜ、あの瞬間を絵画に留めたのか。そしてそれを、なぜ倉庫に隠しておいたのか。明確にされないその問いかけが、描かれない時間に封じられた想いを滲ませ、更にこの映画の余韻を嫋々たるものにしている。
 決して突飛な趣向を組み込んでいないのに、忘れがたく、あまりにも鮮烈。広告では、“映画史を変える1本”という強すぎる讃辞を堂々と引用していたが、しかしそれも頷けてしまうほど、美しすぎる傑作である。


関連作品:
キャロル』/『女王陛下のお気に入り』/『どうにかなる日々

コメント

  1. […] 関連作品: 『シザーハンズ』/『PLANET OF THE APES/猿の惑星』/『ビッグ・フィッシュ』/『チャーリーとチョコレート工場』/『ティム・バートンのコープスブライド』/ […]

  2. […]  では映画ならなにが挙げられるか? と考えると、これが実に難しい。  この“メイド”というものを愛でる文化は、日本で先鋭的に発達したもので、海外、こと映画のなかで意志的に“メイド”に焦点を当てた作品、というのはあまり思い当たらない。 […]

タイトルとURLをコピーしました