『恐怖の報酬【オリジナル完全版】(1977)(爆音上映)』

ユナイテッド・シネマアクアシティお台場、スクリーン3入口に掲示された、爆音映画祭のチラシ類。

原題:“Sorcerer” / 原作:ジョルジュ・アルノー / 監督&製作:ウィリアム・フリードキン / 脚本:ウォロン・グリーン / 撮影監督:ジョン・M・アーノルド、ディック・ブッシュ / プロダクション・デザイナー:ジョン・ボックス / 編集&製作補:バド・スミス / 衣装:アンソニー・パウエル / 音楽:タンジェリン・ドリーム / 出演:ロイ・シャイダーブリュノ・クレメール、フランシスコ・ラバル、アミドゥ、ラモン・ピエリ / 配給:コピアポア・フィルム

1977年アメリカ作品 / 上映時間:2時間1分 / 日本語字幕:?

2018年11月23日日本公開

公式サイト : http://sorcerer2018.com/

ユナイテッド・シネマアクアシティお台場にて初見(2018/11/8) ※爆音映画祭にて先行上映



[粗筋]

 エルサレムバス停留所で、爆破テロが発生した。4人の実行犯はすぐに特定され、特殊部隊の襲撃を受ける。ふたりは乱戦の中で射殺され、ひとりは逮捕される。だが、最後のひとり、カッセム(アミドゥ)だけは、連行されていく仲間を見届けると、その場を離れた。

 パリの投資家マンゾン(ブルーノ・クレメル)は1日にして窮地に追い込まれていた。不正取引を指摘され、発生した損失を24時間以内に補填しなければ告発する、と警告されたのである。マンゾンは取引にも関わった義弟パスカルに、資産家である義父に援助を頼むように指示するが、義父から「自分の行動の責任は自分で取れ」と言われ、パスカルは自殺してしまう。折しも妻を交えた会食の途中だったが、マンゾンは書き置きだけ残して、その場から遁走する。

 アメリカ・ニュージャージー州では、結婚式の催されていた教会にアイリッシュ・ギャングの4人組が襲撃する。ビンゴ大会のために集まった大量の金が狙いだった。犯行は順調だったが、ひとりが抵抗の素振りを見せた神父を銃撃したため、慌てて現場から逃走する。逃走中の車内で銃撃の是非を巡って険悪な空気になったとき、運転していたスキャンロン(ロイ・シャイダー)はハンドル操作を誤り、大事故を起こしてしまう。

 ただひとり生き残ったスキャンロンは現場を離れ、難を免れたかと思われたが、しかし友人から、命を狙われている、と教えられる。教会で銃撃された神父の兄は対抗組織の幹部であり、弟を傷つけながら生き延びた襲撃犯を許すつもりはない。スキャンロンは友人の忠告に従い、行方をくらませた。

 それから1年後、南米にある小国ポルヴェニール山奥の油井で火災が発生する。それでも納品のノルマ達成を本社に要求され、早急に鎮火する必要があったが、そのために必要なニトログリセリンの爆薬は、管理が杜撰だったせいで、ちょっとした振動で爆発する危険な状態にあった。油井まで200マイル、運搬する手段は、トラックしかない。

 この危険な任務をこなす運転手が必要だった。石油会社が地元の村落で高額の報酬を提示して人材を募ると、金に困った労働者が次々と集まってくる。そのなかに、カッセム、マンゾン、スキャンロンが、それぞれ名前を変えて紛れ込んでいた――

[感想]

 アンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督による同題の名作を、『フレンチ・コネクション』『エクソシスト』で知られるウィリアム・フリードキン監督がリメイクした作品である。【オリジナル完全版】とあるのは、製作された当初、スタジオによって大幅にカットされ、監督にとって不本意な形で発表されたものを、紆余曲折を経て権利を取り戻した監督自らの手で旧に復したからだそうだ。権利が混乱していたために映像ソフトのリリースも成らず、好事家のあいだでは待ち望まれていた復活だったらしい。

 リメイクとは言い条、序盤の印象はかなり異なっている。仕事にあぶれた者たちの空虚な日常を淡々と描いて、現地の熱暑を表現していたクルーゾー版に対し、本篇の導入部はさながらクライム・サスペンスの趣だ。のちにニトロの運搬に関わることになる男たちそれぞれの事情を綴るのだが、皆が何らかの後ろめたい事情を孕んでいる。フリードキン監督らしいドキュメンタリー風の、緊迫感のある映像とテンポのいい構成で描き、佳境である南米でのくだりに滑らかに結びつける。

 本題となるニトロ運搬のくだりにしても、大筋はクルーゾー版を踏襲しつつも、ディテールはかなり変更している。たとえば、来るゾー版では単純に切り返しのポイントとして設定されていた木の足場を、本篇では逃れようのない道の一部に変更した。そしてクルーゾー版で運転手たちを悩ませる悪路は、木製の吊り橋、という振動を忌み嫌うニトロの運搬にはクルーゾー版を上回って最悪としか言いようのないシチュエーションに変更されている。

 少々残念に思われるのは、サスペンス的な趣向を凝らしたが故に、クルーゾー版にあった、人間の弱さを露わにするような描写が薄れた点だ。この変更に意味があったことは、観終わって考えれば理解は出来るのだが、上下関係も入れ替わってしまう極限状態の表現は甘くなってしまった。

 しかし、サスペンス的な興趣を加味しつつ、大枠はほぼ維持している。設定を変え、クライマックスの流れも変わっているが、その虚無的な余韻は共通している。それどころか、ノワールのような序章をつけたことで、ラストの味わいはより深まった。

 恐ろしいことに、最初に公開された際は、どうやらこのフリードキン独自のプロローグがかなり削られていたらしい。確かに、そこを取り除いても成立はするかも知れない。しかし、終盤の展開は意味不明になるだろうし、序章があるからこそ削られた描写もあるので、クルーゾー版よりかなり薄味になったと思われる。そして、序盤などに大幅な改変を施してはいるものの、この完全版の構成はクルーゾー版の意図していた主題、観客にもたらそうとしていた感覚を、監督なりに再構築した結果であることが窺える。監督にとって、オリジナルの体裁に戻しての上映が悲願だった、というのも頷ける話である。

 序盤のノワール的な展開も、中盤以降のジャングルにおける自然との格闘も、大画面とクオリティの高い音響設備があってこそ堪能出来る迫力を備えている。せっかく劇場でかけられているこの機会に、クルーゾー版の文芸的な要素を受け継ぎつつも娯楽性を増したこの作品の真価を味わっていただきたい。

関連作品:

恐怖の報酬(1953)

フレンチ・コネクション』/『ハンテッド』/『ワイルドバンチ

オール・ザット・ジャズ』/『父よ』/『スパイ・ゲーム

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