丸の内ピカデリー、Dolby Cinemaスクリーン入口に表示された『TENET テネット』キーヴィジュアル。
原題:“TENET” / 監督&脚本:クリストファー・ノーラン / 製作:クリストファー・ノーラン、エマ・トーマス / 製作総指揮:トーマス・ヘイスリップ / 撮影監督:ホイテ・ヴァン・ホイテマ / プロダクション・デザイナー:ネイサン・クロウリー / 編集:ジェニファー・レイム / 衣装:ジェフリー・カーランド / 視覚効果監修:アンドリュー・ジャクソン / 特殊効果監修:スコット・フィッシャー / スタント・コーディネーター:ジョージ・コトル / キャスティング:ジョン・パプシデラ / 音楽:ルードヴィッヒ・ヨーランソン / 出演:ジョン・デヴィッド・ワシントン、ロバート・パティンソン、エリザベス・デビッキ、ディンプル・カパディア、アーロン・テイラー=ジョンソン、ヒメーシュ・パテル、クレメンス・ポエジー、マイケル・ケイン、ケネス・ブラナー / シンコピー製作 / 配給:Warner Bros.
2020年アメリカ作品 / 上映時間:2時間30分 / 日本語字幕:アンゼたかし
2020年9月18日日本公開
公式サイト : http://tenet-movie.jp/
丸の内ピカデリーにて初見(2020/09/29)
[粗筋]
ウクライナ、キエフにあるオペラ劇場で、テロ事件が発生する。間髪おかず突入した特殊部隊に紛れて、男(ジョン・デヴィッド・ワシントン)は現場に潜入、内偵のさなかだった仲間から目的の荷物を回収して脱出を図る。
だが、作戦行動のさなか、特殊部隊の一部が襲撃に見せかけて劇場の観客を虐殺しようとしていることに気づいた。内偵が漏れていた事実といい、特殊部隊の行動の早さといい、事件の背景に何かある、と察知した男だが、あえなく囚われてしまう。激しい拷問に耐えた男は、敵の隙を見て、自決用のカプセルを飲み込む。
男は死ななかった。彼を回収した組織の人間は、それがテストであり、通過したのが男だけであったことを告げる。核の比ではない脅威により、滅亡の危機にさらされている人類を救うための、極めて危険な任務に適した人材を探していた、というのだ。
未来の世界で、時間を逆行するアルゴリズムが開発された。将来、人類が滅亡することを悟った未来人は、このアルゴリズムを活用し、逆行することで延命を試みた。だが、それは同時に、巡行する時間軸と遡行する時間軸との激しい戦いが始まることを意味する。
組織は、そうして未来人が残した、時間軸を遡行する物質を収集し、勝利の糸口を探っていた。男に与えられた任務は、これらの武器を売り捌いている者を探り、出所と目的をあぶり出すこと。
かくして男は、想像を絶する過酷な任務に挑んでいく――
丸の内ピカデリー、Dolby Cinemaスクリーンのロビー壁面モニターに表示された『TENET テネット』予告篇映像。
[感想]
《ダークナイト・トリロジー》によって地位を確立したと言えるクリストファー・ノーラン監督だが、その本来の志向は、多くの資金を注ぎ込んだ極めてディープなSFサスペンスにあるようだ。“深層意識に侵入する”というシステムを掘り下げ、現実と虚構の境を溶かしてしまった『インセプション』、人類の存亡を賭けた移住計画のために外宇宙へと旅する、という王道のシチュエーションを、実際の科学に寄り添い構築した『インターステラー』、いずれも原作のないオリジナルの発想で、これまでにないヴィジュアルをスクリーンに再現してきた。
これらの系譜を受け継ぐ最新作である本篇は、よりいっそう先鋭的だ。これまでも、専門知識抜きでは理解できないハイレベルのSF考証を施した複雑な構造が観客に立ちはだかってきたが、本篇の構造は更に難しい。
序盤は漫然と観ていると、いったい何が起きているのかまったく理解できないだろう。特に説明もなく発生するテロ事件に、セオリーを裏切って暗躍する主人公たち。そしてこのくだりで早くも、目の前にあった弾痕が消えると同時に、銃弾が戻っていくのを目撃するくだりが挿入される。観客が事態を理解するより先に、主人公は窮地に陥り、そして覚醒すると共に状況は新たな段階へと突入する。
高度な科学理論に基づく特殊な設定については説明がある一方で、本篇は主人公の所属する組織やその背景などについていっさい触れない。成り行きから、主人公が当初所属していたのがCIAだったことぐらいは何となく察しがつくが、その後、彼に新たな、そして困難を窮める任務を命じた組織については、何ら詳細は明かされない。放置すれば人類は存亡の危機を迎える“兵器”について、前々から調査を行っていたらしいが、組織名どころか、どの国家に属するのか、も明瞭ではないのだ。何なら、戦うべき敵の具体像すら明確にされないまま、話は展開していく。
やもすると抽象的に過ぎて、ほとんどの観客を置き去りにしかねない作りだが、本篇の凄さは、それでも観客を魅せてしまう語りの巧さと、独創性という点では類を見ないヴィジュアルを作りあげたことだろう。
観客の理解を待たずに主人公たちは動き、次々と事態は進んでいくが、それぞれにインパクトの強いシチュエーションやアクションがあり、理屈を理解しなくとも瞠目させられる。地面に横たわった状態から逆バンジーの要領でビルを登るかと思えば、手懸かりを握る人物を束縛するものを排除するために、空港の倉庫に貨物機を衝突、爆破させる。そしてそのなかで、眼にしたことのないようなアクションが織り込まれる。その趣旨が理解できなくても惹きつけられてしまう。
主人公が本格的な任務に着手する前に、登場人物の口を借り「考えるより感じろ」と言ってしまうあたりがまた憎い。ブルース・リーの名台詞そのままだが、本篇の場合、その設定やアクションは緻密に考え抜かれている。だが、それを初見ですべていちどに理解しようとすれば、観客は思考のドツボにはまり、そのまま置き去りにされかねない。しかし、劇中の人物が促したように、「考えるより感じ」て鑑賞していれば、置き去りにされることなく、唯一無二のヴィジュアルに浸ることが出来る。
このシチュエーションが提供するヴィジュアルの白眉は、空港倉庫における主人公と“逆行”する何者かの死闘と、クライマックスにおける前代未聞の“挟撃”だろう。前者でまず、時間に沿って動くものと逆行して動くものの戦闘の異様さを如実に描き出すと、クライマックスではそれを極限まで複雑化させていく。崩壊と復元を繰り返す廃墟や、再生する壁に飲みこまれていく兵士など、リアルで迫力のある戦闘に紛れ込む悪夢めいたヴィジュアルは、その筋道が咄嗟に理解できなくとも戦慄と衝撃をもたらす。本篇がその晦渋さにも拘わらず世界的にヒットを遂げているのは、コロナ禍で作品供給に遅れが生じている映画業界における期待が極めて高かった、という事情もあるが、この模倣することも困難な独自性に富むヴィジュアルによるところも少なくないはずだ。
無論、創意に優れた映像だけでも本篇の価値は高いが、やはり見所は学者さえも唸らせる科学的考証の深さ(“正確さ”と言うのはちょっと違うように思う)と、それに基づく緻密な構成だろう。恐らく、どれほどフィクションに慣れ親しんだひとでも、仕込まれた趣向やその意味を理解するのは、1回観ただけでは不可能だろう――もし身の回りで「完全に理解してる」というひとがいるなら、鑑賞済の映画ファンやSF愛好家のもとに連れて行って少し揉んでもらったほうがいいと思う。中盤でさえ、すぐには解らないような伏線が無数にちりばめられているのに、クライマックスに至っては、狭い枠組のなかで幾つものタイムラインが存在していることが窺える。何となく、誰が尽力してああいう展開になったのか、までは察しがついても、実際にどのように立ち振る舞ったのか、を把握するには、数回観る必要がある。
複雑精緻な作りゆえに、ハマった観客をリピーターに変え、うるさ型の観客たちに大きな話題をも提供する。先行するノーラン監督のオリジナル作品でもその傾向は強かったが、本篇は間違いなくその極地と言っていい。
“時間の逆行”という、これまでありそうでなかったシチュエーションを緻密に練り、この設定だからこそ可能なヴィジュアルとプロットで、間違いなくいままで誰ひとり観たことのない作品世界を構築してしまった。いちど観ただけでは理解不可能な複雑極まるプロットを、これだけの規模で撮影し、理解を超越して観客を魅せる作品にまで昇華する、などという離れ業、たぶんクリストファー・ノーラン監督以外には出来なかっただろう。
私自身、こうやって書いている今もなお疑問点が残っているので、時間が作れれば、もう1回は劇場に足を運ぶと思う。その機会が得られなかったとしても、たぶん映像ソフトのリリースや配信開始のタイミングでまた観てしまうに違いない。そうさせるだけの魅力が本篇には確かにある。
関連作品:
『メメント』/『インセプション』/『インターステラー』/『バットマン・ビギンズ』/『ダークナイト』/『ダークナイト ライジング』/『インソムニア(2002)』/『プレステージ』/『ダンケルク』
『さらば愛しきアウトロー』/『トワイライト~初恋~』/『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』/『ワルキューレ』/『GODZILLA ゴジラ(2014)
』/『イエスタデイ』/『127時間』/『キングスマン』
『さよならをもう一度』/『時をかける少女(2006)』/『フローズン・タイム』/『オール・ユー・ニード・イズ・キル』/『プリデスティネーション』/『フラグタイム』
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