『禅 ZEN』

『禅 ZEN』

原作・製作総指揮:大谷哲夫(文芸社・刊) / 監督・脚本:高橋伴明 / 撮影:水口智之 / 美術:丸尾知行 / 照明:奥村誠 / 録音:福田伸 / 音響効果:福島行朗 / 編集:菊池純一 / 音楽:宇崎竜童、中西長谷雄 / 出演:中村勘太郎内田有紀藤原竜也、テイ龍進、高良健吾、安居剣一郎、村上淳勝村政信、鄭天庸、西村雅彦、菅田俊哀川翔笹野高史、高橋惠子 / 制作プロダクション:ツインズジャパン / 配給:角川映画

2008年日本作品 / 上映時間:2時間7分

2009年01月10日日本公開

公式サイト : http://zen.sh/

TOHOシネマズ西新井にて初見(2009/01/29)



[粗筋]

 浄土は決して死んだあとにあるのではありません。あなたのいるこの世こそが、本当の浄土なのです――幼い日に、母・伊子(高橋惠子)が残したその言葉が、道元(中村勘太郎)に出家の道を選ばせた。

 修行を重ねたのち、1223年に道元は宋に渡る。祖国では遂に見出すことの出来なかった師と巡り逢うためであったが、訪ねる僧はいずれも己の地位に執着する者ばかりで、失意を募らせていく。

 だがそれでも、道中に巡り逢った老典座(笹野高史)や、死んだ友・源公暁(テイ龍進)に似た面影を持つ若き僧・寂円(テイ龍進・二役)との出逢いを経て、天童山の如浄禅師(鄭天庸)を見出し、只管打坐――ひたすら無心に坐り、悟りさえも無かったものとしてありのままを受け入れる境地に到達する。如浄から嗣書――禅宗の正法を受け継いだことを示す系譜を与えられると、入宋から四年を数えて、道元は帰国した。

 そこで道元が見たのは、大飢饉に苦しむ民と、権威に任せた僧兵達の横暴な振る舞いであった。胸を痛めながらも、道元は虚心に己の道を邁進する。

 その姿に感銘を受けた俊了(高良健吾)や、達磨宗の懐奘(村上淳)、そして如浄の入滅を契機に道元を慕って海を渡ってきた寂円などが続々と、道元が拠点とする建仁寺に身を寄せてきた。

 だが、自らにこそ正法あり、と唱える道元を煙たがった叡山の僧兵たちは繰り返し圧力を加えるようになる。六波羅探題を務め、道元を支援する波多野義重(勝村政信)の助力もあって大事には至らずに済んでいたが、これ以上累を及ぼすべきではないと判断した道元は、洛外にある道元ゆかりの安養院に拠点を移した。

 このときを境に、道元のもとには更に多くの人々が身を寄せるようになる。そんな中に、遊女のおりん(内田有紀)の姿もあった……

[感想]

 道元という人物について、私には鎌倉期の僧、という程度の知識しかなかった。こうしてその半生を描いた映画に接してみるとそれも当然で、歴史上に名を留める人物としては珍しく、政治や争乱にほとんど拘わっていない。宋で受けた教えを民衆に広め、曹洞宗を開いた(調べてみると道元自身は具体的な宗派を名乗ったわけではないようだが)こと、その過程でお定まりの弾圧を受けたぐらいであり、その生涯に事件そのものがごく少ないのだ。

 にも拘わらず、本篇は決して平坦な内容となっていない。宋での修行を経て都に戻り、迫害を受けての移転などといった出来事を効率よく抽出し、その中に実在しなかった俊了やおりんのエピソードを織りこんで緩急を作りだし、ドラマとしての牽引力を構築している。

 その流れの中で、道元の教えを実に簡明に表現しているのも出色だ。禅問答、などという言葉があるくらいで、禅宗の教えは特に難解であるような先入観があるが、本篇を観ると道元がそもそも伝えようとした教えの根幹が至って簡潔であるのが解る。道元の言葉そのものは難しい表現が多いのだが、それを気にさせないほど本篇は論旨が明快だ。

 無論、教えがシンプルだから悟りも容易だ、というわけではないのは、実際の修行の過酷さを垣間見れば一目瞭然であるが、本篇はオリジナルの登場人物たちのエピソードによってその現実もきちんと描き出している。俊了とおりんという、似たような出自を持つふたりの仏法との接し方、その去就を、交錯させながらも対照的に組み立てることで、悟りを得ることの難しさ、そして修行に対する決して生半可ではない道元の姿勢をも示しているのだ。脚色の技が秀でている。

 歴史を扱った日本映画では、風物をどの程度うまく織りこむことが出来るかもポイントになってくるが、その意味でも不足はない。あるものをあるがままに受け入れる、という道元の信条を伝えるためにも有効であったからだろうが、棚田に映るいくつもの月であったり、命を賭して旅に出る道元たちの背後に降りしきる桜吹雪であったり、四季折々の美しい光景を随所に挿入して、日本ならではの空気をうまく醸成している。

 その一方で現実の厳しさを描くことも忘れておらず、飢饉に苦しめられる人々が廃墟の軒先でたむろしている姿や、飢え死にした者の骸が川を流れていく様なども見せている。そうした匙加減の巧さもまた絶妙なのである。

 無論、何一つ嫌味がないわけではない。よく考えられた俊了とおりんのキャラクターだが、彼らの扱いには一部、恣意的な印象を受ける。道元の一貫した姿勢が、ごく僅かだがぶれている印象を齎す展開があるのである。製作者側には説明がきちんと存在しているのかも知れないが、それが伝わってこないのは勿体ない。

 また、道元が悟りを開いたときなどに挿入される、CGを用いた場面がちょっとわざとらしいのも気になった。なまじほかのシーンが地に足のついた安定感を示しているだけに、大仰すぎるこのあたりのシークエンスが必要以上に浮いてしまっている。

 しかし、マイナス点として思い浮かぶのは本当にこの程度だ。あとは歴史ロマンとしても、エンタテインメントとしても優秀な仕上がりを示している。史実から外れたところで提示される最後の台詞も秀逸で、観終わったあとに清々しい心持ちを味わえる、歴史ロマンとしても娯楽としても極めて完成度の高い1本であった。宗教を扱っているから、とか歴史ものは苦手だから、と拒絶反応を示している人にも、いちど試してみては、とお薦めしたい。

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