『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』

『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』

原題:“The Curious Case of Benjamin Button” / 原作:F・スコット・フィッツジェラルド / 監督:デヴィッド・フィンチャー / 原案:エリック・ロスロビン・スウィコード / 脚本:エリック・ロス / 製作:キャスリーン・ケネディフランク・マーシャル、シーアン・チャフィン / 撮影監督:クラウディオ・ミランダ / 美術:ドナルド・グレイアム・バート / 編集:カーク・バクスター、アンガス・ウォール / 視覚効果監修:エリック・バーバ / 特殊メイク効果:グレッグ・キャノム / 衣装:ジャクリーン・ウェスト / 音楽:アレクサンドル・デプラ / 出演:ブラッド・ピットケイト・ブランシェット、タラジ・P・ヘンソン、ジュリア・オーモンドジェイソン・フレミング、イライアス・コーティーズ、ティルダ・スウィントンジャレッド・ハリスエル・ファニング、マハーシャラルハズハズ・アリ / 配給:Warner Bros.

2008年アメリカ作品 / 上映時間:2時間46分 / 日本語字幕:アンゼたかし

2009年02月07日日本公開

公式サイト : http://www.benjaminbutton.jp/

TOHOシネマズ西新井にて初見(2009/02/07)



[粗筋]

 1918年、第一次世界大戦での勝利に沸きかえるアメリカ、ニューオーリーンズでベンジャミン・バトン(ブラッド・ピット)は生を受けた。

 だが彼のあまりにも特異な宿命は、産まれたその日からベンジャミンを翻弄する。実の母は彼を産んだショックで絶命した。出産に立ち会えず、遅れてベンジャミンの姿を見た父トーマス(ジェイソン・フレミング)は戦慄する。ベンジャミンの容姿は産まれながらにして年老いた、醜怪なものだったからだ。妻を奪った“化物”への憎悪から、トーマスは産まれたばかりの我が子を街に捨てる。

 ベンジャミンを拾ったのは、養護施設で働く黒人女性のクイニー(タラジ・P・ヘンソン)であった。同僚のティジー(マハーシャラルハズハズ・アリ)と恋人関係にあったが、医師からは「子供は作れない」と診断されていたこともあってか、クイニーはその醜怪で、幼くして無数の老化現象を起こし、長くない命だと言われたその赤子を引き取って育て始める。老人も同然の外見と状態もあって、ベンジャミンは老人が多く集う施設に自然と溶け込み、受け入れられた。

 だが、幾許か老成したところはあっても心は若く、外の世界への憧れを抱いている。最初こそ車椅子の世話になる生活で歩くこともままならなかったが、感謝祭の日、移動教会で祈りを受けたときを境に、杖が必要だが足が使えるようになると、次第に外へと関心を向けていった。

 年を重ねるごとに髪の量が増え、肌艶も少しずつ若返っていったベンジャミンは、やがて“思春期”の年頃になると、港で船乗りの仕事を得る。雇い主のマイク船長(ジャレッド・ハリス)はがさつだが心持ちのいい男で、ベンジャミンに新しい“生きる喜び”を教えていった。

 やがて、ベンジャミンの人生に転機が訪れる。妊娠は無理だと言われていたクイニーが身籠もったのだ。クイニーもティジーも施設の人々も、変わらずベンジャミンに接してくれたが、彼は意を決して、慣れ親しんだ“我が家”を離れ、企業と契約して各国への旅を繰り返すことになったマイク船長の船に乗り込むことにする。その頃にはベンジャミンの足腰はすっかり健康になり、歩くのに杖を必要としなくなっていた……

[感想]

 デヴィッド・フィンチャーブラッド・ピットという組み合わせは、私にとって思い入れの深いものだ。初顔合わせである『セブン』は未だに私にとって最愛の映画であるし、ふたたびタッグを組んだ『ファイト・クラブ』は、これを意地で劇場にて鑑賞したことが、いまに繋がる映画道楽の発端となっている。それだけに、三度目の顔合わせとなった本篇は、企画が告知された時点から楽しみにしていた。あまりに期待が募ると裏切られることも多いが、本篇の出来映えは期待を凌駕して、むしろ前2作をも上回る完成度を示している。

 原作はスコット・フィッツジェラルドの小説だが、ごく短い作品であり、また本篇では主人公の姓名と「産まれたときに80歳で、死に向かって若返っていく」という設定しか踏襲しておらず、ほとんど別物と言っていい。

 原作では一切をシンプルにするために、生まれた時点で大人の体格、精神を備えた状態であるように綴っているが、そこからして本篇は違っており、誕生の時点では身体のサイズは赤ん坊、しかし肌や肉体的状態が老齢化していることになっている。原作では実の父が彼を捨てる展開にもなっていないし、その愛情生活についても映画と原作とではまったく異なった経緯を辿っている。

 だがそれでいて、いちばん重要な主題は損なっていない。原作においては凝縮して表現された、年老いるということ、人として生きるということを、2時間を超える尺で描くために、要素を解体し増幅している。その匙加減と要素の選択が実に絶妙だ。こと、原作においては「年を取るごとに若返っていく」が故に生じる哀感を、映画では全篇に芯を通すもうひとりの主人公と言える女性デイジー(ケイト・ブランシェット)を絡めることで、原作とは違う形で盛り上げることに成功している。幼い日に出逢った彼女と近づき、或いは離れ、互いが“成長”していく様を対比することで、人とは違う人生を送るベンジャミンの悲しみを強調し、そんな彼を通して自らの老いをじわじわと実感させられる位置づけデイジーを置くことで、観る側にも年齢を重ねることの切なさ、複雑な想いを齎してくる。

 ベンジャミンの成長、変化を描くためのモチーフの選択も素晴らしい。ベンジャミンを最初は捨てた父の距離感を保った行動、雇い主として父親代わりとして影響を及ぼすマイク船長、七度も落雷を受けたことを自慢する老人。1918年から2005年までの長きに及ぶ物語の時代変遷を、服装や音楽、建物のデザイン、光の量などで演出しながら、その変化も話に組み込んでいく細かなこだわりが、作品の説得力と奥行きとを増している。とりわけ、ベンジャミン自身の人生とは直接関わりを持たないはずのあるモチーフの扱いなど、関わりがないからこそ詩的で、観終わったあとの余韻をより深めている。

 だが本篇の情緒的な側面を何よりも膨らみのあるものにしているのは、終盤で示されているベンジャミンの選択であり、その後の変遷だ。原作と最も異なっている部分でもあるが、しかしそれ故に原作を違った形で、敬意をもって掘り下げていると感じられるくだりでもある。原作で語られているのは、その人生の特異さに拘わらず、等しく訪れる死の悲しみと、生きることの素晴らしさだ。本篇終盤の筆運びは、その主題を原作以上に明瞭にしている。

 この難しく複雑な物語は、ブラッド・ピットという存在感に富んだ俳優をタイトル・ロールに起用し、特殊メイクとCGとをふんだんに用いたからこそ、説得力を備えたものに仕上がっている。生半可な演技力と存在感では長い変化に筋を通すことは出来ないし、その長期間に及ぶ変遷を生身のみで表現することは不可能だ。スター性と現代の映像技術、双方が一致して初めて完成することを許された作品であり、表現的にも本篇は映画というもののひとつの到達点を示している。

 長い人生を圧縮したような本篇は、2時間46分という長尺にも拘わらず、それをまったく意識させることがない。さながら走馬燈のように、美しく切なく、目の前に場面を鏤めていき、最後に嫋々たる余韻を留める。前述した『セブン』『ファイト・クラブ』の2作は私にとって宝物と言えるほど愛しい作品だが、本篇はそれに匹敵するどころか、時を経ていっそう存在感を増しそうな、さながら宝石の如き極上の1篇である。

コメント

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