『カウントダウンZERO』

『カウントダウンZERO』

原題:“Countdown to Zero” / 監督&脚本:ルーシー・ウォーカー / 製作:ローレンス・ベンダー / 製作総指揮:ジェフ・スコール、ダイアン・ワイアーマン、ブルース・ブレア、マット・ブラウン / 共同製作:リサ・レミントン / 撮影監督:ロバート・チャペル、ゲイリー・クラーク、ブライアン・ドネル、ニック・ヒギンズ / 編集:ブラッド・フラー、ブライアン・ジョンソン / 音楽:ピーター・ゴラフ / 出演:ミハイル・ゴルバチョフジミー・カーターパルヴェーズ・ムシャラフトニー・ブレアヴァレリー・プレーム・ウィルソン、スコット・セーガン / 配給:Paramount Japan

2010年アメリカ作品 / 上映時間:1時間29分 / 日本語字幕:赤池ひろみ

2011年9月1日日本公開

公式サイト : http://www.to-zero.jp/

TOHOシネマズ日劇にて初見(2011/09/06)



[粗筋]

「私たちは細い糸で吊された“核の剣”の下に座っているようなものだ。ひとつの事故や誤算、狂気で、いつでも糸が切れる状態にある」――ジョン・F・ケネディ

 ロバート・オッペンハイマーが開発した原子力爆弾は、第二次世界大戦終結後の冷戦において、重要な役割を果たすことになる。核兵器の開発が、敵国に対する何よりも有効な対抗手段であり、それと同時に先進国であることの証明のように捉えられたのだ。第二次世界大戦中に開発に成功したアメリカやドイツを皮切りに、次々と核兵器開発に臨み、保有国は9ヶ国、開発を行っている国は40にも及ぶ。

 核兵器の構造自体は極めてシンプルだ。爆発物の専門家がいれば、外部構造は街中で入手可能な部品を集めて製作することが出来る。最も難しいのは、濃縮ウランの精製なのだ。

 だが現在、その気になれば濃縮ウランを入手することは決して難しくない。最も大規模な精製工場はロシアに存在するが、その警備態勢は実に緩いものだった。視察中の人物が倉庫に立ち寄り、扉の鍵を破壊しても、警備員すら現れない。工場の労働者は、精製中に3%程度の誤差が生じても許容範囲内である、と認定されることにつけこんで少しずつウランを蓄え、それを売り捌いて収入の足しにしていた――こうした密売事件が、ロシアでは多発していたのだ。

 そして、流出は当然のように技術にも及ぶ……

[感想]

 一時期、核兵器というものを各国が競って開発し、それが一転して国際的に廃絶の方向へとシフトしていったのか、私を含め、普通の人はたぶん自分で思う以上に解っていない。危険な大量破壊兵器だから、という以外にも、きちんと理由があることを、本篇は非常に解りやすく説いている。

 この一連の経緯に誰よりも苦しんだのは、原爆開発を手懸けたロバート・オッペンハイマーであろう。本篇の中では主に拡散から大国を中心に廃絶の論調が高まっていく過程を描くことに尺を割いているため、彼の心情について掘り下げることはしていないが、冒頭の極めてシンプルな理屈、そして戦時中であったことを考えると、“一発逆転”の秘策とも言えた核兵器開発に着手したのはある意味で当然の心理であり、その破壊力と兵器としての特性が、よもや長年にわたって冷戦の背景として横たわり、のちに人類にとって最大の脅威となることまで予想はしなかっただろう。終盤で引用される彼の言葉は学者らしく衒学的だが、しかし研究者としての責任に懊悩してきたが故の重みが感じられる。

 オッペンハイマーや、核兵器廃絶への試みにいち早く着手したレーガン元大統領など、物故した重要人物の証言がないのは残念だが、生きている関係者の多くから肉声を得ている点で、本篇の存在意義は大きい。ゴルバチョフソ連書記長にトニー・ブレア元イギリス首相、更に核兵器開発を実現した当時のパキスタン大統領であったムシャラフからも証言を引きだしている。

 しかも、出て来る結論はみな変わらない――編集の手管もあるだろうし、抽出されている部分だけを見ても、そのために必要な手段は識者それぞれで意見が異なっているのは解るが、実際にその現場に携わってきた人々が脅威を覚え、同じ方向を見ようとしていることに驚かされ、慄然とする。

 識者が最後に提示している意見が統一されず、考えればそれぞれに欠点があることを思うと、本篇を観たところで恐怖を募らせるだけで解決には至らない。だが、どうせ怖れるなら、どうして拡散していったのか、なぜ廃絶に論調が傾き、じわじわと前進しつつも未だに困難が続いているのか、そのことを知った上で怖れるべきだろう――そうすることで、初めて突破口が生まれる。

 ――というわけで、主題の掘り下げ、描き方、牽引力を保つ語り口など、社会派のドキュメンタリーでありながら長篇映画としての“面白さ”を生み出している点で好篇であることは認めるのだが、しかし“作品”としてはひとつ、どうしても引っ掛かることがある。

 本篇は識者だけでなく、街頭で世界各地の一般の人々にもインタビューを行っている。アメリカだけでなく、どうやら北京など幾つかの都市で行っている点は好感が持てるのだが、そうして採集された映像に、やたらと同じ人が出て来るため、どうも世間一般の声、という印象にならない。

 採りあげる人物を絞ることで、各人の全体に対する見解をきっちりと見せる、という意図があるのかも知れないが、それならもっと世界各地でリサーチを行っても良かったように思う。もっと注意深くなければ、同じ人物が繰り返し顔を見せていることに気づかないくらいに。そこまでやってようやく、世間一般の声を抽出している、というイメージをもたらせたのではなかろうか。

 ……しかしまあ、プログラムを読んでみると、どうやら予算面でも制約があったようなので、これでもよほど頑張ったほうなのだろうけれど。なまじ整理整頓が行き届いているだけに、少々残念に感じられた。

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