死が二人をわかつまで

死が二人をわかつまで 『死が二人をわかつまで』

ジョン・ディクスン・カー/仁賀克雄[訳]

John Dickson Carr“Till Death Do Us Part”/translated by Katsuo Jinka

判型:文庫判

レーベル:ハヤカワ文庫HM
版元:早川書房

発行:2005年4月30日

isbn:415070368X

本体価格:700円

商品ページ:[bk1amazon]

 イギリスの地方にあるシックス・アッシェズ村、嵐に見舞われたバザーの夜にその悲劇は出来した。劇作家のリチャード“ディック”・マーカムが劇的な出逢いの果てに昨晩婚約を決めたばかりの相手レスリー・グラントが、誤って射撃場のライフルを暴発させ、占い師を演じていたハーヴェイ・ギルマンという内務省付きの病理学者を撃ってしまったのだ。幸いにも軽傷であったが、その夜、ギルマンが内緒でディックらを呼び寄せて語ったのは、ディックにとってまったく予想だにしない話だった。ディックの愛するいとけなく頼りなげなレスリーという女性が実は40代にもなり、既に三度の結婚を経験、しかもその夫が全員青酸毒による自死を遂げているという経歴の持ち主であるというのだ。犯罪が証明できなかったため現在まで野放しになっていたが、恐らく彼女の殺人癖は治っておらず、次の標的は君だ――そう告げられたディックは、レスリーに対する信頼と、作家ならではの空想力との板挟みになって煩悶する。しかし明くる朝、密室状態の邸内で青酸を腕に注射した骸となって発見されたのは、ディックに疑惑を吹きこんだギルマン自身であった。やがて医師のヒュー・ミドルワースによって招かれた探偵ギデオン・フェル博士は、到着するなり更に意外な事実をディックに伝える。多くの奇行と様々な思惑とが交錯するこの事件、真相はどこにある……?

 カーのキャリアのなかでは中期にあり、この頃の作品といえば割とシンプルなトリックにロマンスや怪奇趣向、ドラマを絡めて盛り上げていくのが定番だが、本編はちょっと初期に舞い戻ったかのように筋がややこんがらがっている。事件の展開もかなり入り組んでいて、いったい何が起きているのか把握しづらいが、犯人の意図自体が重層的なものとなっているので、ぼんやりしていると解決編を読みながらも状況が掴めずに困惑するくらいだ。

 反面、本編を支えているのはやっぱりシンプルでいて、非常にオーソドックスな密室トリックなのである。ひとつのトリックを支えるために別の仕掛けを用意したり、関係者の思わぬ行動を交えてミスディレクションにしたりと、この筋の職人ならではの小細工をふんだんに施して、トリックそのものの根本的な凡庸さを巧く暈かしている――誤解のないよう申し添えておきますが褒めてるんですよこれ。きちんとそのミスディレクションが活きてくるための背景も用意しているし、仕掛けが複雑化しているのでギリギリまで謎解きを楽しめる。

 大元が主人公であるディックと疑惑のヒロイン・レスリーを巡る葛藤と恋模様であるのが冒頭の展開から見え見えなので、中盤の展開部もディックに横恋慕するシンシア・ドルーなどを絡めた愛憎劇になるかと思いきや、フェル博士の登場とともに明かされる意外な事実が紛糾させ、謎の前提が揃った中盤以降もやみくもにロマンスに傾斜することなく、疑惑が巧みに絡んでミステリアスな展開を続ける。そのへんも、中期に差し掛かった作品としては一風変わった趣を感じさせる所以だろう。

 中心となるトリックがかなり機械的で、ある突破点の扱いを除くと凡庸なのがちょっと残念なのだが、それでも見せ方次第で幾らでも興趣を掻き立てることが出来る、というお手本のような長篇である。良いお点前でした。

 本書の解説は若竹七海氏。冒頭に触れている“あるミステリファンの集まり”とは2003年に開催されたMYSCON4(ぐあ、この回はまともなレポートを残してない!)のことである。そこの個別企画における一幕を綴っておられるが、私はこの場に加わっていない。何故なら、

 この頃の私はまだカーをまともに読んでいなかったからだ。

 わたしのカー道楽は2004年の最初の一冊に『赤後家の殺人』に端を発している。それ以前にも何冊か読んではいるが、集中的に手をつけるようになり、代表作である『第三の棺』や『ユダの窓』でさえこのあとに触れているのだ。それなりに目が肥え、自分なりの楽しみが出来るようになってから嵌ったのは寧ろ幸運だった、と捉えている私だが、このとき話に混じることが出来なかったのはちょっと悔しい……。

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