『ゴーン・ベイビー・ゴーン』

原題:“Gone Baby Gone” / 原作:デニス・レヘイン『愛しき者はすべて去りゆく』(角川文庫・刊) / 監督:ベン・アフレック / 脚本:ベン・アフレック、アーロン・ストッカード / 製作:アラン・ラッドJr.、ダン・リスナー、ショーン・ベイリー / 製作総指揮:デヴィッド・クロケット / 撮影監督:ジョン・トール / プロダクション・デザイナー:シャロンシーモア / 編集:ウィリアム・ゴールデンバーグ / 衣装:アリックス・フリードバーグ / 音楽:ハリー・グレッグソン=ウィリアムズ / 音楽監修:ニック・ハーコート / 出演:ケイシー・アフレックミシェル・モナハンモーガン・フリーマンエド・ハリスエイミー・ライアン、ジョン・アシュトン / ラッド・カンパニー製作 / 映像ソフト発売元:WALT DISNEY STUDIOS MOTION PICTURES. JAPAN

2007年アメリカ作品 / 上映時間:1時間54分 / 日本語字幕:森泉

2008年09月17日映像ソフト日本発売 [DVD VideoBlu-ray Disc]

公式サイト : http://www.movies.co.jp/gonebabygone/

Blu-ray Discにて初見(2008/09/20)



[粗筋]

 ボストンの小さな街はいま、アマンダという幼女の誘拐事件で湧いていた。母親のヘリーン(エイミー・ライアン)が目を離した隙に何者かによって攫われ、3日間音沙汰がない。地元の私立探偵であるパトリック(ケイシー・アフレック)とパートナーのアンジー(ミシェル・モナハン)のふたりは当初、テレビのかまびすしい報道でだけこの事件に接していたが、ある日アマンダの伯母という人物が訪ねてきて、警察とは別に姪を捜して欲しい、と依頼してきた。

 幼児誘拐事件がどんな顛末を迎えるのかよく知っているアンジーは当初、引き受けるべきではないと主張していたが、パトリックに促されてアマンダの家を訪ね、幼女の母親ヘリーンの自堕落な態度と、伯母に見せられた、母親とは対照的に無垢なアマンダの写真を見せられて、捜索を承諾する。

 パトリックはまずヘリーンの交友関係を洗うところから始めたが、彼女の生活は想像以上に荒れていた。警察には、子供を寝かせて30分程度留守にしていただけだった、と語っていたが、実際には行きつけの酒場に2時間以上居座って、深い仲のレイという男と楽しんでいたという。

 他方でパトリックは警察の責任者であるドイル(モーガン・フリーマン)から部下のレミー(エド・ハリス)とニック(ジョン・アシュトン)を紹介され、現在の捜査情報の提供を受けるが、彼らが洗い出していたのは幼児性愛者とコカイン中毒の夫婦のことぐらい。レイという人物の存在すら「知らない」と言い放つ彼らに頼るのをやめ、パトリックは裏社会の人脈を辿っていく。

 だが、事態はヘリーンの口から語られた背景によって、深刻の度を急速に増した。レイたちとの付き合いからしばしば麻薬の運び屋もしていたヘリーンは、あろうことかレイと共謀して、元締めの金を横取りしていたのである。金は計画をしたレイが持っている、と供述したヘリーンを連れて、レイが潜伏しているチェルシーに赴くと、だが彼は既に拷問の果てに絶命していた。

 ヘリーンがようやく隠し場所を白状したことでパトリックとレミーたちは金を回収、恐らく誘拐は金を奪われた麻薬取引の元締めであるチーズが犯人であると察した一同は、これを取引材料としてチーズに接触するが、彼は「子供には関心がない」と否定する。しかしあくる朝、事態は意外な方向へと転がっていった……

[感想]

 原作のデニス・レヘイン*1は、本篇の他にも『ミスティック・リバー』がクリント・イーストウッド監督で映画化されており、現在『ディパーテッド』のマーティン・スコセッシ監督&レオナルド・ディカプリオ監督のコンビで『シャッター・アイランド』が製作されており、先頃日本先行で発売された最新作『運命の日』もサム・ライミ監督による映画化が発表されているなど、ハリウッドからの注目度の高い作家になっている。本篇の原作は、著者の出世作となった『涙をスコッチに託して』から続く、私立探偵のパトリックとアンジーを主人公としたシリーズの第4作であり、シリーズ中でも特に高い評価を受けている作品である。

 もとがそれほど良質であれば、よほど拙い演出家や、作品の良さを汲み取ることのできない製作者がついたりしない限り面白いものになるのは当然――のように思われるが、やはり小説と映画では、基本的に映像ですべて語らねばならなかったり、尺の制約があったりと決して同じではないぶん、ただ原作通りにしたところで面白くなるとは限らない。現に、アカデミー賞で脚色部門の候補にもなった『ミスティック・リバー』は内容の取捨選択が完璧であったために、本来2時間程度では語りきれないエピソードをうまく詰め込み、それでいて原作の良さを一切殺さない仕上がりになっていたが、むしろこれは稀有な例である。原作を読んでいない人間にでさえ、「これはどうだろう」と首を傾げるような結果になることも珍しくない。

 あいにく私は、鑑賞前に本篇の原作を読むことは出来なかったが、しかし少なくとも本篇がその良さ、面白さを傷つけていないだろうことは、映画を観ただけでも確信できる。それほどに仕上がりのいいサスペンスである。

 決して派手さのない冒頭、テレビから流れてくる痛ましいニュースが、突如依頼という形で主人公のところに持ち込まれると、警察が踏み込まない領域での聞き込みという、地道な捜査を開始する、というくだりはまるっきり私立探偵小説の王道を行っているが、その話運びに無駄がなく、常に沈痛なムードと緊張感がつきまとう。主人公の基本的にはフラットで、かつ困難に直面して胸中で煩悶する姿の説得力といい、その過程で巡りあう人物像の確かさといい、良質のハードボイルド小説に接している実感が味わえる。

 しかも、展開が通り一遍ではない。中盤でまったく思いがけない経緯を辿り、終盤では意外な真相が明かされていく。実に正統的なミステリの手捌きで解き明かされる謎は、かなりの衝撃をもたらすだろう。この手のフィクションに親しんだ人間であれば、描写や人物の配置から途中でだいたいの背景を察知することも不可能ではないが、うまく配置した伏線やその心理の描き方と終始続く緊張感に、真相が解っていても目を離すことが出来ない。

 特にこの終盤で突きつけられる選択とその顛末は、およそハリウッドの定石とは一線を画しており、物語が終わったあとに苦い余韻を留める。作中で主人公であるパトリックが語っていることからも、この選択が如何に難しく、一朝一夕で答が出るものでないと理解するほどに、複雑な想いに駆られるだろう。しかも、パトリックと反対の主張をしている側にも、はっきりと分を感じることが出来るから厄介なのだ。その選択故に登場人物にもたらされた関係性の変化にも、どうしようもない苦みが伴う。そういうところまで含めて、丁寧に作りあげられた良質のミステリの味わいがある。

 アカデミー賞助演女優賞候補に挙げられたほか賞レースで活躍したエイミー・ライアンに、別作品ながら同じ回で助演男優賞候補に名前を連ねたケイシー・アフレックといった脂の乗った俳優陣に、エド・ハリスモーガン・フリーマンという名優のサポートもあり、演技の面でいっさい腐すところがないのもそうだが、演出が基本に忠実で、それらを壊していないのがいい。衝撃的な場面で、黒い画面を挿入してカットを細切れにする手法を用いているが、あとは極めて穏やかな表現を主体としている。中盤の挫折をひしひしと感じさせるシーンや、終盤でパトリックがある人物に近づいていくところ、そしてクライマックス、選択の直後の複雑な感情をじっくりと、カメラを固定して捉えていくあたりなど、静かだが役者の表情を活かした印象深い場面が多く、映画としての奥行きにも優れている。

 如何せん、銃撃戦はあっても派手さはないし、その結末の苦みはエンタテインメントに爽快感を求める向きには合わないだろうが、そういう解りやすさ、受け入れやすさに物足りないものを感じているような人にはお薦めの出来る、良質のサスペンスである。これだけ出来がいいのに日本では劇場公開されることなくいきなり映像ソフト化されてしまったのが惜しまれるが、しかし観ることが出来ただけでも喜びたい。

*1:後述の『ミスティック・リバー』原作の版元である早川書房では“デニス・ルヘイン”と表記されているが、今回は原作が角川文庫から刊行されており、そちらの表記に準拠する。

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