『かいじゅうたちのいるところ(字幕版)』

『かいじゅうたちのいるところ』

原題:“Where the Wild Things are” / 原作:モーリス・センダック(冨山房・刊) / 監督:スパイク・ジョーンズ / 脚本:スパイク・ジョーンズ、デイヴ・エッガース / 製作:トム・ハンクス、ゲイリー・ゴーツマン、モーリス・センダック、ジョン・B・カールズ、ヴィンセント・ランディ / 製作総指揮:トーマス・タル、ジョン・ジャシュニ、ブルース・バーマン / 撮影監督:ランス・アコード,ASC / 美術:ソニー・ジェラシモウィック、ウィリアム・ホーキンス、クリストファー・タンドン、ルシンダ・トムソン / プロダクション・デザイナー:K・K・バレット / 美術監督:ジェフリー・ソープ / 舞台装置:サイモン・マッカチェオン / 編集:ジェームズ・ヘイグッド,A.C.E.エリック・ザンブランネン,A.C.E. / 衣装:ケイシー・ストーム / 音楽:カレン・O、カーター・バーウェル / 出演:マックス・レコーズ、キャサリン・キーナーマーク・ラファロ / 声の出演:ローレン・アンブローズ、クリス・クーパージェームズ・ガンドルフィーニキャサリン・オハラフォレスト・ウィテカーポール・ダノ / 日本語吹替版声の出演:加藤清史郎、高橋克実永作博美 / プレイトーン/ワイルド・シングス製作 / 配給:Warner Bros.

2009年アメリカ作品 / 上映時間:1時間41分 / 日本語字幕:佐藤恵子 / 字幕監修:神宮輝夫 / 吹替版演出:木村絵理子

2010年1月15日日本公開

公式サイト : http://www.kaiju.jp/

TOHOシネマズ西新井にて初見(2010/01/15)



[粗筋]

 マックス少年(マックス・レコーズ)は最近ふて腐れ気味だ。仲の良かった姉のクレアはいつの間にか友達と遊ぶのに夢中だし、ママ(キャサリン・キーナー)は仕事と新しい恋人(マーク・ラファロ)にばかり構う。こちらに関心を持って欲しくて暴れたマックスは、堪忍袋の緒が切れたママに叱られ、衝動的に家を飛び出してしまう。

 森を抜けた先の海岸で、繋留された小さなボートを発見したマックスは、それに乗って海を旅し、一昼夜の航海の果てに、小さな島に辿り着いた。夜の闇にまばゆい光を見つけて向かった先で、数匹の“かいじゅう”たちが何やら騒いでいる。どうやら、キャロル(ジェームズ・ガンドルフィーニ)という1匹が、周りに止められながら、何かを壊して回っているらしい。

 未だに苛立ちの収まらないマックスは、物陰から飛び出しキャロルに荷担するが、他のかいじゅうたちからそれが彼らの家だったと知らされ愕然とする。更には、自分が何者かと問われ、解らないなら食べてしまえばいい、という話に発展して、慌てたマックスは、自分がとんでもない力を備えた超人のように吹聴する。ぼくは、この世界の王様なんだ、と。

 この嘘八百を、まず暴君のキャロルが受け入れた。彼に誘導されるように他のかいじゅうたちもその話を信じこみ、気づけばマックスは本当にかいじゅうたちの王様に祭りあげられていた。

 みんなで一緒に森の中を暴れ回り、固まって寝て、途方もない思いつきを実行に移す――マックスにとって、かいじゅうたちの世界は天国のようだった。でも、間もなくマックスは気づくことになる。かいじゅうたちも、自分やママ、クレアたちと変わらない、それぞれの想いがあるのだということに……

[感想]

 メタ・フィクション的な趣向を自家薬籠中のものとする異色の脚本家チャーリー・カウフマンと組んだ『マルコヴィッチの穴』『アダプテーション』の2作品で映画界に独自の地位を築いたスパイク・ジョーンズ監督待望の長篇映画第3作である本篇は、だが前述の2作と比較すると意外と感じる、世界的にロングセラーとなっている絵本の実写映画化である。

 だが、プロローグ的に添えられる、マックスが狼の着ぐるみを着て飼い犬を追いかける場面の描き方からいきなりジョーンズ監督らしいテンポの良さ、動きがあるスタイリッシュな映像を見せつけると、以後も決して旧作と並べて違和感を覚えさせない語り口で話を繰り広げていく。あいにく私は原作を目にしたことがないので断言はできないが、もともとジョーンズ監督の作風と親和性が高い内容だったのだろう。

 何よりそれを実感させるのは、少し行き過ぎなほどに非現実的なモチーフと、逆に立ち竦んでしまうくらい生々しいエピソードとのバランスの絶妙さだ。

 冒頭、私たち日本人とは異なるが、しかし映画や小説などで馴染み深いアメリカの人々の生活のなかで、少年が溜めこむフラストレーションを生々しく描いたかと思えば、まったく同じトーンでいきなりボートを漕いで一昼夜、海の上を漂うというあり得ない展開に続き、そのまま“かいじゅう”たちの世界になだれ込んでしまう。序盤の、子供らしい傍若無人さと身勝手な憤りに共感したり、理解を示したりしていたら、いきなりの非現実的な成り行きで、人によっては戸惑いを覚えるだろう。

 登場した“かいじゅう”たちの生態も、たとえば他のファンタジー映画、空想上の生物・植物を無数に創造した『アバター』のように、明確には作られていない。食生活や排泄はさることながら、どのように繁殖しているのかも謎だ。優れたパペットやCGの技術によるかいじゅうたちの動きは不自然さがなく、しばしば画面から、陽射しに焼かれた体毛の匂いが漂ってきそうなほどなのに、妙にちぐはぐでさえある。

 だが、具体的な生態など、一部を徹底的にファンタジーとして割り切り、表現を省いてしまうことで、本篇は決して特異ではないドラマ、底にある主題を鮮明に伝えることに成功している。

 観ていくうちに解ることだが、本篇で描かれるかいじゅうたちの価値観や関係性は人間そっくりだ。幸せを願い、欲望を抱き、孤独を厭って、渇望し悲しみを味わう。マックスは彼らの上に王様として君臨し、責任を負ったことで初めて、自分がしてきたことの理不尽さ、人に与える感情を悟り、他人と関係を築くことの難しさを痛感する。

 こうした主題の描き方は、ある人物の成長を描くドラマにおいては決して珍しい手法ではない。主人公が不満を抱いてあるコミュニティを飛び出し、新しいコミュニティでしばし新鮮な体験をしたあとで、ふたたび同じ悩みや苦しみと遭遇して、精神的に成長を遂げる、という図式だが、新しい世界が同じ人種、同じ生き物によって占められている場合は、しばしそのコミュニティを形成する文化や価値観が主体となってしまう傾向にある。だが本篇は、背景の一部がファンタジーとして遊離している分、現実ときっちり重なる部分がいっそう色濃く感じられる。

 だからこそ、提示された様々な問題に、具体的な解決が示されないあたりにも説得力を感じさせる。ファンタジーだから、と安易に超現実的な力を用いて決着させず、保留したまま本篇は終盤を迎える。しかし、保留しているからこそ、感情的な軋轢を超えた部分で生まれた絆が描き出すクライマックスが胸に沁みるのだ。

 ラスト、かいじゅうの島での長い時間がなかったかのようにマックスは家に帰りつく。こうした異世界との関わりの断ち方は本邦の『千と千尋の神隠し』を思わせるが、しかし後味は微妙に異なる。マックスがかいじゅうの島で体験した出来事などなかったかのように戻り、決してその後を掘り下げないラストシーンはとても穏やかだが、優しさや愛おしさがじんわりと溢れ出してくる。

 随所に毒や、自虐的な想いもちらつかせながら、親しみやすく快く綴った、ファンタジー映画の傑作である。子供なら子供なりの、大人なら大人なりの、それぞれの見方があり、年齢を超えて楽しめるはずだ。

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