原題:“Kung Fu Panda” / 監督:マーク・オズボーン、ジョン・スティーヴンソン / 脚本:ジョナサン・エイベル、グレン・バーガー / 製作:メリッサ・コブ / 製作総指揮:ビル・ダマスキ / 音楽:ハンス・ジマー、ジョン・パウエル / 声の出演:ジャック・ブラック、ダスティン・ホフマン、アンジェリーナ・ジョリー、イアン・マクシェーン、ジャッキー・チェン、セス・ローゲン、ルーシー・リュー、デヴィッド・クロス、ランダル・ダク・キム、ジェームズ・ホン、マイケル・クラーク・ダンカン、ダン・フォグラー / 声の出演(日本語吹替版):山口達也、笹野高史、中尾彬、木村佳乃、MEGUMI / 配給:Asmik Ace×角川エンタテインメント / 映像ソフト発売元:Paramount Home Entertainment Japan
2008年アメリカ作品 / 上映時間:1時間34分 / 日本語字幕:?
2008年7月26日日本公開
2011年5月2日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD Video:amazon|Blu-ray Disc:amazon]
公式サイト : http://www.kf-panda.jp/
※2011年現在、続篇『カンフー・パンダ2』のサイトに自動接続する設定になっている。
[粗筋]
ラーメン屋の息子であるパンダのポー(ジャック・ブラック/山口達也)は、カンフーに憧れを抱いていた。彼の暮らす平和の谷にある道場で日々修行を重ねる達人たち“マスター・ファイブ”のフィギュアを揃え、自分もカンフーの達人になろうと密かに志しているが、デブでふにゃふにゃの体格の持ち主であるため、はなから諦めている。
そんなある日、道場で一大イベントが行われた。道場の奥深くに封じられた秘伝書を授けられる“龍の戦士”がいよいよ決まるのである。ポーも胸を高鳴らせ観戦に向かったが、道場に続く長い階段は彼には遠く、到着する直前に門を閉ざされてしまう。一計を講じ、花火で自分を打ち上げて壁を飛び越えたポーだったが、落下の衝撃で一瞬意識を失い、目を開いたとき――道場の長・ウグウェイ老師(ランダル・ダク・キム)が指さしていたのは、他でもない、ポーであった。
谷の人々は大いに沸きあがったが、道場の者たちは一様に驚き動揺する。とりわけ、シーフー老師(ダスティン・ホフマン/笹野高史)はとうてい平静ではいられなかった。“龍の戦士”に育てるべく手塩にかけた“マスター・ファイブ”のいずれでもなく、修行はおろか身体能力さえ怪しいポーを偶然で選ぶのか、と自らの師でもあるウグウェイ老師に詰め寄るが、「この世に偶然などない」とウグウェイ老師は判断を覆そうとしない。
戸惑っているのはポーも同様だった。だが、“マスター・ファイブ”の過酷な修行を目の当たりにし、自分の能力を超えていることを悟っても、ポーは道場を立ち去ろうとしない。彼は思いがけない成り行きのなかで、ある決意を胸に宿していたのだ――
[感想]
驚くほどに、正統派のカンフー映画である。
続篇である『カンフー・パンダ2』が公開される前に予習しよう、と本篇をレンタル店で借りたのは、ちょうどジャッキー・チェンの出演作を毎週上映する企画“大成龍祭2011”というのが行われており、私はジャッキーの初期作品から順繰りに鑑賞していた頃だった。それ故に、本篇を鑑賞したときは正直、感激さえした――はっきり言って、ジャッキーの初期作品よりも遥かに正しいカンフー映画に仕上がっている。
カンフーに対する憧れ、能力に対する侮り、使命感やカンフー精神の目醒め、そして才能の開眼……本篇のストーリー展開は、見事なまでにカンフー映画の定番である。だが、決して過剰に奇を衒うことなく、この定番をきっちり押さえていったことに、ジャッキー・チェンの初期作品を辿っていた者としては感服せずにいられない。意外と、この枠を外して失敗する作品は少なくないのだ。
しかもそうした流れのなかに、動物のキャラクターがしっかりと嵌っている。そもそもジャッキー・チェンの初期作品では動物をモチーフにした拳法が多く登場してお馴染みとなっているが、そのモチーフに採り上げられた動物たちがそのまま達人として活躍しているのが、発想としてはシンプルながら憎い。
そんななかで、敢えてパンダを主人公に起用したことこそ、本篇の着眼の最も優れたところだ。作中でもさんざん揶揄されているとおり、およそカンフー映画の主人公には相応しくない体格とキャラクター、と感じられるかも知れないが、しかしむしろ、そういう駄目さ加減が、修行を経て成長する、という過程がしっくりくる。そして、開眼するきっかけ、それを活かした修行の方法のユニークさは、ジャッキー・チェン初期の代表作『ドランクモンキー/酔拳』を彷彿とさせるほどだ。パンダ、それも大食らいというキャラクターが物語の流れと分かちがたく結びついているのである。
これもジャッキー・チェン初期の良作では常に描かれていた、師弟の絆の暖かさでさえきちんと盛り込まれている。もともと、“龍の戦士”にするべく手塩にかけて育て上げていた“マスター・ファイブ”ではなく、まったくの偶然から選ばれてしまったようにしか見えないパンダを、シーフー老師は当然のように信用せず、軽く扱う。だが、失意の果てにパンダの決意と可能性を知って、彼だからこそ活きる修行を授ける。師弟の絆が築かれたあとのやり取りには、心暖まるものがある。
また描写の端々に、カンフー映画お馴染みのモチーフが細かに取り込まれているのも嬉しいところだ。やたらとラーメンや饅頭が目につくのもそうだが、特にニヤリとさせられるのは修行が進んだあたり、師弟が食事を奪い合うくだりである。『クレージーモンキー/笑拳』の有名なくだりを過剰にしたような趣向だが、しかもこれがクライマックスの伏線にもなっているのだから恐れ入る。
一方で、アクションの見せ方も素晴らしいものがある。実写であれ驚異的な身体能力を実感させるのはある意味で単純だが、CGだと「何でも出来るじゃん」という想いが観客の側にあるので、ただ実写での擬斗をそのまま模倣しただけでは迫力に繋がらない。3DCGアニメであることを自覚して、コミックめいた小技を組み込みつつも、スピード感と迫力を味わえるアクションを組み立てている。“マスター・ファイブ”とタイ・ラン(イアン・マクシェーン)とが千切れた吊り橋のうえで繰り広げる死闘と、クライマックスのタイマンは、非現実的なレベルに達しているが、実写では決して不可能であると同時に、ちゃんとカンフー映画の魂が滲む作りになっているのである。
本篇がカンフー映画に対して最大限の敬意を払っていることは、エンドロールにも窺える。ハリウッド産の長篇アニメーションらしく凝ったバックグラウンドには、英語だけでなく、カンフー映画に親しんだ者には見慣れた漢字が表記されている。そして何より、カメオ的な位置づけではあるが、カンフー映画のスタイルを世界的に広めた功労者であるジャッキー・チェンがマスター・モンキーに声を当てている――このことだけでも、本篇の誠実さは窺える。
所詮アニメーション、と侮って本篇を鑑賞せずにいたカンフー映画愛好家がいるのなら、偏見を捨てて観てみることをお薦めする。なまじ使い古されてしまったために、実写ではなかなかお目にかかれなくなった“本物”を、感じることが出来るはずだ。
関連作品:
『蛇鶴八拳』
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