原題:“Planet of the Apes” / 原作:ピエール・ブール / 監督:フランクリン・J・シャフナー / 脚本:ロッド・サーリング、マイケル・ウィルソン / 製作:アーサー・P・ジェイコブス、モート・エイブラハムズ / 撮影監督:レオン・シャムロイ,A.S.C. / 特殊効果:L・B・アボット,A.S.C. / 特殊メイク:ジョン・チェンバース / 美術:ジャック・マーティン・スミス、ウィリアム・クレバー / 編集:ヒュー・S・フォウラー,A.C.E. / 衣装:モートン・ハック / 音楽:ジェリー・ゴールドスミス / 出演:チャールトン・ヘストン、キム・ハンター、ロディ・マクドウォール、リンダ・ハリソン、モーリス・エヴァンス、ジェームズ・ホイットモア、ジェームズ・デイリー、ロバート・ガナー、ルー・ワグナー、ウッドロウ・パーフレイ、ライト・キング、ポール・ランバート / 配給&映像ソフト発売元:20世紀フォックス
1968年アメリカ作品 / 上映時間:1時間53分 / 日本語字幕:岡枝慎二
1968年4月20日日本公開
2011年9月21日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD Video:amazon|Blu-ray Disc:amazon|DVDマルチBOX:amazon|コンプリート・ブルーレイBOX:amazon]
[粗筋]
ジェームズ・テイラー(チャールトン・ヘストン)を船長とする宇宙船は、船内時間1972年をもって4人の乗員すべてが長期睡眠に突入した。既に地球では出発から700年を経過しており、目的を果たす頃には彼らの知人どころか、彼らを記憶している人々さえ消えている可能性がある。それを承知の、孤独な旅であった。
眠りから覚めたとき、旅は終結した。突如睡眠状態から解かれたテイラーたちは、いましも水没しつつある宇宙船から命からがら脱し、見知らぬ新天地に降り立つ。航行中に気密状態が悪化しミイラ化してしまった女性乗員を除く3人は、この地で生活を確立するために、新たな旅に赴いた。テイラーが長期睡眠に就いてから、地球では既に1200年もの時が過ぎ去っていた。
植物も育たない不毛の大地を歩くこと数日、ようやくジャングルに辿り着いたテイラーたちが目撃したのは、自分たちと同じような姿形をした、しかし話すことの出来ない原住民であった。そして、そんな彼らを、馬に乗り、拳銃を向け、投げ縄や投網で狩っていたのは、服に身を包んだ猿たちだった。
乗員の1人は射殺され、テイラーも喉を撃たれて捕獲され、檻に入れられてしまう。目醒めた彼は、自らの前で口を利き、道具を使って自分を治療し、そして他の“人間”たちを獣として扱う猿たちに愕然とする。猿たちはテイラーにとって馴染みのある言葉を用いていたが、喉を撃たれたことで声が出せなくなっていたテイラーは意志の疎通が出来ず、他の“人間”たち同様、獣として扱われてしまう。
そんな彼の振る舞いに、動物に関する研究を行っているジーラ博士(キム・ハンター)は関心を覚えた。テイラーを研究することで、猿類にとって有効な何かが発見できるかも知れない。そう考えて上層部に提案するが、人間に対して頑なな固定観念を抱く他の猿たちは、彼女の言葉に耳を貸さなかった。テイラーはジーラ博士とコミュニケーションを取ることが現状打破の唯一の手懸かりだ、と判断するのだが……
[感想]
映画の視覚効果技術は年々歳々発展を繰り返している。『マトリックス』あたりでひとつの頂点に達したかと思っているうちに、『アバター』という新たな頂が誕生し、現場では更なる革新を目指しているようだ。
そうした驚異的なヴィジュアルを実現した作品群に馴染んだあとで古いSF映画を鑑賞すると、あまりの稚拙さに苦笑してしまうことがままある。当時であれば技術の粋を凝らしたであろう映像も、今となっては児戯にしか映らず、それ故に名作と呼ばれていても、鑑賞する気にならない、という人はいるのではなかろうか。
はっきり言って、そういう人は損をしている、と思う。
確かに、先進の視覚効果技術と比較すれば、昔のSF映画と呼ばれるものの多くはチャチだ。現実には存在しない生物の動作なども、考証を施し工夫を重ねた近年の作品群と並べると如何にも考えが浅い。そうした欠点は、SF映画の歴史にその名を燦然と刻みつけた本篇にも間違いなく存在する。
だが、解っている人も多いはずだが、SFの価値は決して特異なヴィジュアル、現実を超越した科学技術の表現にのみあるわけではない。ある価値観、理念を膨らませたところに生まれた世界のなかで、繰り広げられるドラマ、掘り下げられる主題にこそ、その真価が潜んでいることが多い。
他ならぬ本篇も、猿が進化し高い知能を備えて、人間を獣として扱う世界、という発想を、ただイロモノ的に処理しているわけではない。その転倒した世界観のなかだからこそ浮かび上がる、現実の人間の傲慢さや、凝り固まった価値観に囚われる愚かさこそが本篇の肝であり、見所なのだ。
既にその衝撃的なオチを含め、よく知られた作品であるだけに、実際に本篇に触れてみると、象徴的な台詞、描写の多さに何度も唸らされる。冒頭から人類を「万物の霊長たる……」などと言う主人公の姿には、あとの出来事を知っていると苦笑いせざるを得ないし、漂着した場所で遭遇した原住民を見て「これなら支配できるな」と呟く様に慄然とする。見ようによっては、そのあとに主人公たち宇宙飛行士が陥る窮地がいっそ爽快にも感じられるほど、彼らの振る舞いには傲慢さが滲む。
そうして登場する“知性を備えた猿”たちは、だが現在の私たち人類よりも、科学技術の上でも思想の点においてもやや劣った水準で描かれているが、そこが絶妙だ。強い信仰心と、他方に存在する科学的探究心の狭間での駆け引きは、人類の文明が発達する過程で生じた変遷を彷彿とさせる。翻って、深く根を下ろした固定観念に囚われるあまり、観察された事実でさえ否定しようとする態度は、現代の人間でさえもしばしば見せる振る舞いであり、そう考えると実に痛烈な描写なのだ。
しかし本篇の巧妙なところは、そうした描写がきちんと結末のサプライズと共鳴しあっていることだ。その場その場でもきちんと意味を備えた表現になっているのだが、結末を知ったうえで鑑賞すると、非常に考え抜かれているのが解る。特にジーラ博士たちの上司にあたる猿の言動など、検証してみると実に興味深い。
猿の仕草、行動原理など、視覚効果の部分を別にしても考察の甘い描写が随所に見受けられる。ティム・バートン監督によるリメイク版と比較すると、本篇の猿たちは安易に人間的に描かれていることがよく解り、やはり未熟という印象は禁じ得ない。また、猿たちに自分がどこから来たのか、どういう科学水準にある文明に属していたのか、を説明するのがあまりに拙い宇宙飛行士、という描き方も、今にして思うと不自然で御都合主義的に感じられる。映像技術以外にもそうした掘り下げの浅さが見受けられるのも否定できないが、しかし全篇に仕掛けられた、文明社会の傲慢さに対する批判的な見方、衝撃のクライマックスとも巧みに連携する繊細な描写は、未だにその力強さを損なっていない。
今となってはアイディアが定番化し、衝撃のクライマックスは続篇の存在そのものや、一時期映像ソフトのジャケットに重要なモチーフがそのまま用いられてしまったことも手伝って広範に知られてしまい、作品自体が陳腐なイメージで捉えられるようになった感がある。しかし、その奥に秘めたメッセージ性の深さこそが本篇をSF映画の金字塔のひとつたらしめているのであり、その意味では未だに、一見の価値のある傑作なのである。
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コメント
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