原題:“龍騰虎躍 Fearless Hyena II” / 監督:チェン・チュアン / 脚本:米奇 / 製作:スー・リーホア / 製作総指揮:ロー・ウェイ / 武術指導:シュウ・シャオホン / 撮影:游淇 / 編集:梁永燦 / 衣装:李衍宏 / 出演:ジャッキー・チェン、ワイ・ティンチー、ジェームズ・ティエン、ヤム・サイクン、チェン・ホエロウ、ディーン・セキ、リン・インチュ、ハン・クォツァ / 配給:東映 / 映像ソフト発売元:TWIN
1983年香港作品 / 上映時間:1時間31分 / 日本語字幕:?
1986年3月1日日本公開
2010年12月17日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD Video:amazon]
DVD Videoにて初見(2012/05/08)
[粗筋]
六合八卦流を継承するチン家は、だが武術の世界で覇を唱えようとする末世流の頭領を倒したために、その後継者である兄弟からつけ狙われる羽目になる。彼らの魔の手から逃れるために、チン家の3兄弟のうち生き延びたふたりは、我が子を連れ、身を隠す。
それから数年。末弟の息子・ロン(ジャッキー・チェン)はろくに働かない代わりに、狡賢さで世間を渡り歩いていた。そんなロンに父はちゃんと働くよう命じるが、なかなかロンの怠け癖は変わらない。
しかしチン家の次男ザンパッの息子ドンは更にひどかった。ベッドの上でほとんどのことをこなせるよう、家中にからくりを仕掛けてサボる。舎弟となったティンガイとともに行う商いも、インチキのようなものばかりだった。
やがてザンパッは弟とその家族の居場所を探り当てるが、しかし同時に、ずっとチン家を追っていた末世流の兄弟も彼らを見つけ出してしまう。ロンの親子は素速く居場所を移すものの、末世流の魔手はすぐそこまで迫っていた……
[感想]
この作品は、ファンのあいだではつとに知られる“珍品”である。
キャリアの初期、ジャッキー・チェンはロー・ウェイという監督の製作会社に所属していたが、後年発揮するユーモアの才覚を見抜けなかったロー・ウェイは、シリアス路線の二番煎じ同然の作品を撮り続け、ジャッキーは鬱憤を溜めていた。一時的なレンタル移籍で撮ったコメディ路線作品『ドランクモンキー/酔拳』のヒットにより好機を得たジャッキーは、遂にロー・ウェイ監督のもとを飛び出し、世界的にも認知されるアクション俳優へと歩み出していく。
このどさくさに、撮影が始まったものの、ジャッキーが戻らなかったために実質製作が止まっていたのが本篇である。ロー・ウェイ監督は撮影済の素材に、『拳精』や『クレージーモンキー/笑拳』のNG映像、更にはそっくりさんを起用して撮ったぶんをプラスして、無理矢理に完成させたという。日本では『香港発活劇エクスプレス 大福星』などと相前後して1986年に劇場公開もされたが、ジャッキー自身はほぼ無断で製作された本篇を、自身の出演作として認めていないそうだ。
ロー・ウェイ監督作品の微妙な出来映えを痛感したうえ、そういう事実も予め知っていたから、正直なところ本篇を観るのには勇気が要った。それでも鑑賞したのは、とりあえずジャッキー出演作は出来不出来に拘わらず可能な限り押さえる、という目標があったことと、旧作から引っ張り出した映像を観たいが故だったが――驚いたことに、想像よりも更に出来が悪かった。
僅かなオリジナル素材に、旧作の映像を継ぎ接ぎしたわけだから、話にまとまりがなくなるのは想像に難くない。いちおうは、あり合わせの映像をうまく流用するべく、若干の工夫が認められるが、しかしそれにしても雑すぎる。
問題はやはり、ジャッキーがロー・ウェイ監督と袂を分かった理由に通じている。本篇で『笑拳』から流用していると思しい場面はいずれも彼らしいユーモアに彩られているが、しかしこの物語の本筋は非常に陰惨だ。大した理由もなくつけ狙われ、身を隠して暮らす武術家たち。見つかったあとの戦いは血みどろで、およそコメディとは言い難い。
ではまるっきりコメディを志向していないのかというとそれも違う。しかし、コメディの方向性がジャッキー中心の場面とかなりずれているのだ。末世流の兄弟が繰り出す奥義はどこまで本気か解らない滑稽さだし、恐らくはジャッキー出演作からの流用では賄いきれないクライマックスを盛り上げるために登場させた、と見られる従兄弟・ドンの暮らしぶりは、ジャッキー部分の描写を敷衍したかのようなコミカルさなのだが、全般に醜悪すぎて、いまひとつ笑えない。
何よりこの作品には、ジャッキーのコメディ作品にあった痛快なカタルシスが著しく欠如している。シリアスな部分があってもユーモアの演出、カタルシスの表現が可能なのは『スネーキーモンキー/蛇拳』で既にジャッキー自身が証明済みだが、本篇はそういう配慮がなく、終盤の展開は非常に後味が悪い。いちおう、ジャッキーは『笑拳』の未使用映像を中心にアクションを披露し、ドンも作中のキャラクター像に合った見せ場を用意して盛り上げている――かのように見えて、しかし根本的な部分での疑問を抱かせる話作りのせいでほとんどカタルシスに結びつかない。そこで戦うぐらいなら、別のところにいた方が犠牲者は少なく済んだのではないか。あれでめでたしめでたし、では納得がいくはずもない。継ぎ接ぎとは言い条、まだまとまっていた――その代償として、話の焦点はボケまくりだったが――中盤までに対し、終盤は継ぎ目が剥き出し、と言ってもいい構成であるため、その拙さはいっそう印象に残ってしまう。
もし予備知識も何もなく鑑賞すれば、ただただ“ひどい”と言うほかない出来映えである。ただ、背景を知っていれば、まったく期待せずに臨めるし、興味をジャッキーの出演場面がどういう状況で撮られたものか想像し、どこでニセモノと入れ替わっているのか、ということを推理する愉しみもある。また、初期のジャッキーがどれほど息苦しさを感じていたのか、ロー・ウェイ監督といったい何が噛み合わなかったのか、をこれ以上なく象徴した内容のため、ジャッキー・チェンという俳優の変遷を辿るうえでは、非常に参考になる作品でもある。
ジャッキーが自身の作品として認めたくないのもよく理解出来る。ただ、それほどに“ひどい”作品であるがゆえに、ファンがいる限り、記憶に留められる1本であろう――翻って、ファンではない、或いはジャッキーといえども出来映えで判断したい、という人にとっては、観る必要のまったくない代物だと思う。
関連作品:
『拳精』
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