『ウォーム・ボディーズ』

新宿武蔵野館、ホール奥の特別展示。

原題:“Warm Bodies” / 原作:アイザック・マリオン(小学館・刊) / 監督&脚本:ジョナサン・レヴィン / 製作:ブルーナ・パパンドレア、デヴィッド・ホバーマン、トッド・リーバーマン / 製作総指揮:ローリー・ウェブ、コーリ・シェパード・スターン、ニコラス・スターン / 撮影監督:ハビエル・アギーレサロベ,ASC / プロダクション・デザイナー:マーティン・ホイスト / 編集:ナンシー・リチャードソン,A.C.E. / 衣装:ジョージ・L・リトル / キャスティング:ジョアンナ・コルバート,CSA、リチャード・メント,CSA / 音楽:マルコ・ベルトラミ、バック・サンダース / 音楽監修:アレクサンドラ・パットサヴァス / 出演:ニコラス・ホルトテリーサ・パーマー、ロブ・コードリー、デイヴ・フランコ、アナリー・ティプトン、コリー・ハードリクト、ジョン・マルコヴィッチ / メイク・ムーヴィーズ/マンデヴィル・ピクチャーズ製作 / 配給:Asmik Ace

2013年アメリカ作品 / 上映時間:1時間38分 / 日本語字幕:石田泰子

2013年9月21日日本公開

公式サイト : http://dead-but-cute.asmik-ace.co.jp/

新宿武蔵野館にて初見(2013/10/19)



[粗筋]

 ぼく(ニコラス・ホルト)はゾンビだ。名前は……“R”という頭文字以外、覚えていない。噛まれてからこっち、記憶はぼんやりしている。他のゾンビたちと共に巣窟とした空港で、日々を漫然と過ごしている。他の連中が本能に身を委ね、やがてはガイコツ姿の末期状態に陥っていくなか、ぼくは辛うじて生前の知性をほんの少し保てているようで、どうにか人間の姿を留め、ねぐら代わりに占領している旅客機に、食事のときに持ち帰ったお土産を飾ったりしていた。

 その日、ぼくは仲間たちと連れ立って、街へと食事に赴いた。いまや普通のひとびとは壁の向こうに立てこもっているけれど、時々ぼくたちを狩るために姿を見せる。だから油断すると、ぼくたちも物言わぬただの屍にされてしまうけれど、こちらも衝動に突き動かされているのだから仕方ない。ほんのちょっとだけ意志の疎通が出来るM(ロブ・コードリー)と共に、ひとの気配のする廃ビルに入り、潜んでいたひとたちを貪っていたとき――ぼくは、彼女と出逢った。

 ひと目見た瞬間に、何か胸に響くものを感じたけれど、決定的だったのは、ある青年の脳味噌を貪ったことだった。ぼくたちは、ひとの脳味噌を食べると、持ち主の記憶を追体験することが出来る。彼女は、ぼくが食べた青年とはかつて恋人同士だったらしい。その恋心がぼくの胸に芽生えた感情と共鳴して――ぼくのなかで変化した。

 武器を失い、抵抗する術を失った彼女に、ぼくは噛みつかなかった。どうにか言葉を絞り出して彼女を安心させると、彼女をほかの仲間たちに気取られないよう庇って、空港内のぼくのねぐらである旅客機に匿う。

 彼女の名前はジュリー(テリーサ・パーマー)――ゾンビたちと人間たちを区切る巨大な防壁を築き、人類の指導者になったグリジオ大佐(ジョン・マルコヴィッチ)のひとり娘である彼女に、あろうことかぼくは、恋してしまった……!

[感想]

 ジョージ・A・ロメロ監督が現在に至る基礎を築いたゾンビ映画は、いまやヘラー映画内の1ジャンル、という枠を飛び越え、映画における汎用的なモチーフとして確立された感がある。ゾンビというモチーフの持つユーモアを徹底的に掘り下げた『ショーン・オブ・ザ・デッド』、このシチュエーションが生み出しうるシュールな状況を空想的なトーンで描いた『ゾンビーノ』、製作規模においても興収においても画期的な作品となった『ワールド・ウォーZ』、といった具合に、もはや一部の好事家が愛でるだけのシチュエーションではなくなった感がある。本邦でも多くの映画監督が好んでこのモチーフを採り入れ、漫画やライトノベルからテレビアニメにまで応用されているほどだ。

 本篇はそんななかにあって、ありそうで類例の思いつかない、ゾンビと人間のラヴ・ストーリーという発想である。まずこの着眼だけで賞賛ものだが、本篇はそれを終始うまく転がし、ゾンビというモチーフを愛するひとのみならず、単純にユニークな話が愉しみたい、というひとでさえ食いつきそうな仕上がりにしている。

 実のところ、本篇は着眼ばかりでなく、従来のゾンビ物にはなかった設定が幾つか加えられている――が、そこを咎めるのはいささか無粋だろうし、そもそも“脳味噌を食べると、その人物の記憶が頭の中に投影する”であるとか、“ゾンビとしての症状が進行すると、ガイコツに変貌する”といった設定は、これまでのゾンビ物では踏み込めなかった次元にある出来事だ。従来のゾンビ物の規則と決して矛盾する性質のものではないし、特性を敷衍していけば、あり得ないものではない。本篇のRのように、ぼんやりとした記憶や知性を辛うじて留めているゾンビがいたとしても不思議はないだろう――そもそも、これまで本気でゾンビの視点から物語を綴ろう、とする作り手がいなかったのだから、その感覚にまで踏み込んだ設定がないのは当然と言える。

 そして、こうした設定を無駄にせず、丹念に突き詰めてドラマを組み立てているのだから、ホラーであるか否か以前に、面白さに文句のつけようがない。ゾンビが恋に落ちるなら、どういう状況が考えられるか? 恋に落ちたとしたら、どんな行動を取るか? そして相手の反応はどういったものか?

 それを悲劇的でなく、ユーモラスに描いているのも巧い。そもそもゾンビが人間に恋し、人間の側でも快く交流する、という状況自体が滑稽なのだから、そうなるのが自然、と言えるが、どこまでも基調をコメディに保ったことで、従来のホラーの領域を意識的に破らずに話を組み立てることに成功した。

 映画のマークには“Dead but cute”とあるが、確かに、本来薄気味の悪いガジェットであるゾンビとそれを取り巻く状況が、こんなにもキュートに感じられるのが見事だ。もとが美男子の主人公“R”の、ゾンビらしくもちょっと風変わりな佇まいに、仲間たちと共にゾンビの跋扈する地域に乗り出す勇敢さがありながらも程良く女の子らしい振る舞いを見せるジュリーとの交流の、心暖まること。ただひとり、Rと意思の疎通が出来るような雰囲気を見せる“M”とのやり取りや、のちのちRとジュリーに関わるひとびとの言動にも愛らしさがある。

 ゾンビと人間、という、普通に考えれば相容れない“種族”の恋愛を定番の物語になぞらえれば誰しも思い浮かべる通りに、本篇はゾンビの青年が“R”で、お相手の女性が“ジュリー”――もろに“ロミオとジュリエット”である。人物配置やストーリー展開自体もこれをなぞらえた部分がちらほらと見受けられるが、しかし本篇はとことんコメディを貫いている。それ故に、終盤の展開をいささか生ぬるい、と感じる向きもあるかも知れないが、しかしコメディとしては正しい着地だ。

 ゾンビといえば薄気味悪いものだし、噛まれて感染し、急速に蔓延する過程とその変貌ぶりは恐怖をもたらす。しかし、決して外面のイメージだけで物語は作られるものではない、捉え方次第で不気味なものもキュートに描きうる、というのを、明確に実践した好篇である。ゾンビに嫌悪感を抱くひとも、本篇を観れば多少は抵抗が薄れる……かどうかは解らないけど。

関連作品:

50/50 フィフティ・フィフティ

ジャックと天空の巨人

魔法使いの弟子

RED/レッド

ゾンビ [米国劇場公開版]

アンデッド

ショーン・オブ・ザ・デッド

ゾンビーノ

パラノーマン ブライス・ホローの謎

ワールド・ウォーZ

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