原題:“Exodus : Gods and Kings” / 監督:リドリー・スコット / 脚本:アダム・クーパー、ビル・コラージュ、ジェフリー・ケイン、スティーヴン・ザイリアン / 製作:ピーター・チャーニン、リドリー・スコット、ジェンノ・トッピング、マイケル・シェイファー、マーク・ハッファム / 撮影監督:ダリウス・ウォルスキー / プロダクション・デザイナー:アーサー・マックス / 編集:ビリー・リッチ / 衣装:ジャンティ・イェーツ / キャスティング:サンドラ・ムーニー / 音楽:アルベルト・イグレシアス / 出演:クリスチャン・ベール、ジョエル・エドガートン、ジョン・タトゥーロ、アーロン・ポール、ベン・メンデルソーン、マリア・ヴァルヴァーデ、シガーニー・ウィーヴァー、ベン・キングズレー、ハイアム・アッバス、アイザック・アンドリュース、ユエン・ブレムナー、インディラ・ヴァルマ、タラ・フィッツジェラルド / スコット・フリー/チャーニン・エンタテインメント製作 / 配給&映像ソフト発売元:20世紀フォックス
2014年アメリカ作品 / 上映時間:2時間30分 / 日本語字幕:松浦美奈
2015年1月30日日本公開
2015年6月3日映像ソフト日本盤発売 [DVD Video:amazon|ブルーレイ&DVD:amazon|4枚組コレクターズ・エディション:amazon|Amazon限定スチールブック仕様:amazon]
公式サイト : http://www.foxmovies-jp.com/exodus/
TOHOシネマズ日本橋にて初見(2015/01/30)
[粗筋]
紀元前1300年頃。栄華を極めるエジプトは、その豪壮な建築のために、多くのヘブライ人を奴隷として利用していた。過酷な労働を強いられ、激しく虐げられながら、ヘブライ人は故郷と自らの神を忘れたことはなかったという。
折しも王都メンフィスでは、敵対するヒッタイトの不穏な動きを捉えていた。エジプトの王セティ(ジョン・タトゥーロ)はヒッタイト族の真意を巫女に確かめさせたが、巫女が受けた託宣はヒッタイトについてのものではなかった。やがて指導者が現れ、民を導くだろう、というのである。
ヒッタイト族の制圧にはラムセス(ジョエル・エドガートン)と、王の養子であるモーゼ(クリスチャン・ベール)とが赴いた。混戦に陥り、ラムセスが最前線で孤立しかけたが、モーゼがすんでのところで助け出し、エジプト軍は勝利を収める。モーゼはラムセスに恩を売ったつもりもなかったが、ラムセスの心に大きなしこりを残してしまう。
メンフィスに戻ったラムセスに、セティは奴隷であるヘブライの民に反乱の気配があるというピトムの地に赴くよう命じる。しかし、身分の違いに配慮したモーゼがラムセスに提案し、自らが代わりに現地を訪ねた。
モーゼはヘブライ人の年長者たちを招き、反乱の意思がないか、直接に訊問した。ヘブライ人の長老ヌン(ベン・キングズレー)は、自分たちの願いが、ヘブライ人の故郷カナンへの帰還であることを訴える。彼らが煽動して暴動を起こす危険を考慮し、モーゼは年長者たちの名前を記録するよう命じるが、そんな彼に、ヌンは夜更けに単身で自分たちの元に来るよう密書を届けてきた。
警戒しながらも従ったモーゼに、ヌンは驚くべき話を語った。実はモーゼは、かつてヘブライ人の反乱を恐れたファラオがヘブライ人の男の赤子を殺すよう勅令を出し、我が子をどうしても生かしたかった両親が川に流した子だという。その子はファラオの娘ビティア(ハイアム・アッバス)が拾って自らの養子とし、機転を利かせてモーゼの姉ミリアム(タラ・フィッツジェラルド)を乳母として迎え入れることで、彼らを保護できるよう仕向けたのだという。つまり、モーゼは王子にして奴隷の血筋だ、というのだ。
モーゼは信じなかった。だが、この密会は、セティの死とラムセスの即位を経て、両者を完全に引き裂く結果をもたらすのだった……。
[感想]
聖書に親しみがなくとも、モーゼの名は耳にした覚えがあるのではなかろうか。海が割れるエピソードや、移民たちの堕落を戒めた“十戒”を含む、いわゆる“出エジプト記”の中心人物である。映画でも有名なクラシックが存在するこのエピソードを、解釈も新たに映画化したのが本篇だ。
私自身、未だに映画の『十戒』は観ていないのだが、よく知られたキーヴィジュアルにあしらわれた、碑板を片手に厳めしい表情をした、仙人じみた風貌の人物が、モーゼのイメージとしてまず思い浮かぶ。だが本篇でモーゼを演じたクリスチャン・ベールはそのイメージをあまりなぞっていない。修験者を思わせる厳しい表情は印象として遠くないものの、ここまで精気に漲り荒々しい気性のイメージは誰しも持っていないのではなかろうか。
そんなモーゼの人物像に限らず、本篇における人物、事件の描写は、聖書の表現を土台にしつつも現代的なリアリティに満ちている。当初、モーゼもラムセス2世も預言に対して懐疑的な立場を取っており、血は繋がらないながらも絆がある、という描写から、そこに溝が生まれ、状況の変化と複数の思惑が両者の行く道を分けていく、というプロセスが生々しい。いわゆる“神託”を受けるようになってからも、神を盲信せず反発の態度を取るモーゼや、その神の振る舞いによって起こる災厄の表現のえげつなさは、眉をひそめたくなるほどだ。
本篇の評価がいまいちなのは、この辺りの独自の、極めて現代的な神の捉え方、災いの表現が無慈悲に過ぎる点に起因するように思う。時として神の御業は残酷だ、というのはわりとどの宗教でも共通した認識なのだが、こういう惨禍を実際に起こし、それを表現するとどうなるのか、ということに真っ向から向き合われるといささか複雑な心境になる。私は引いた立ち位置から眺めているし、こういう酷たらしさについても表現としてなら抵抗は少ないのだが、信仰心が強い、と自身を捉えている人ほど本篇に対して複雑な印象を受けるのではなかろうか。
しかし、聖書に描かれていることが実際に起きたことをベースにしている、という立場に立ち、そのうえで現代的に解釈しなおした本篇の描写は終始、興味深いものがある。かつては兄弟として育ったからこそラムセス2世に本気で刃を向けられず、神の無慈悲な行いに心を痛めるモーゼ。聖書にある通りの境遇であったなら、本篇で描かれるモーゼのこうした迷い、懊悩は当然のことだろう。メンフィスの人々を襲う災いのプロセスが、神の御業としつつも飢饉や伝染病蔓延の流れを的確に辿っているのに慄然とする。しかもこれを、デジタルを駆使して克明に再現しているから尚更の迫力だ。
特に鮮烈なインパクトを残すのは、やはりあの海が割れるくだりである。ただ本篇の場合、そこでもリアリティを考慮し、割れる場面を超常現象としてセンセーショナルに描写するのではなく、ゆっくりと水が引いていく形で描写し、むしろ海が元に戻る状況の方をスペクタクルとして際立たせているのが面白い。そうすることで、本篇を安易な信仰のドラマとせず、信仰や信念、血筋や絆とのあいだで常に煩悶し続ける男のドラマのクライマックスを力強く彩っている。
ただ、難しいのは、距離を置いて眺めると非常に興味深い題材だが、当然ながら原理主義的な人々には受け入れづらい表現だろう。そうでなかったとしても、神を一種、幼稚な心性の持ち主のように表現している点に眉をひそめる人はいるだろうし、そういう点を許容したところで、中盤あたりの災厄の表現の汚らわしさに嫌悪感を抱く向きもあるに違いない。解釈としては興味深く誠実だが、それがどうしても受け手を選んでしまっている。
新釈で描く、というのはどれほど優れた監督でもリスクを背負う。もうじき80歳になんなんとするヴェテランにして傑出したヴィジュアリストのリドリー・スコットといえども、そのリスクを乗りきれなかった感がある。個人的には非常に意欲的で興味深い解釈を、緻密にコントロールして映像として形にした秀作と評価したいのだが、ちょっとしたことで評価があっさり反対側に振れてしまうので、迂闊に勧めづらいのが難だ。
関連作品:
『キングダム・オブ・ヘブン』/『ロビン・フッド』/『アメリカン・ギャングスター』/『悪の法則』
『ペントハウス』/『ナイロビの蜂』/『ドラゴン・タトゥーの女』
『ダークナイト ライジング』/『アメリカン・ハッスル』/『キング・アーサー』/『ゼロ・ダーク・サーティ』/『ジゴロ・イン・ニューヨーク』/『ブラック・シー』/『レッド・ライト』/『ザ・ウォーク』/『ジャックと天空の巨人』/『記憶探偵と鍵のかかった少女』
コメント