原題:“La Tortue Rouge” / 原作、脚本、デザイン&監督:マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット / 脚本:パスカル・フェラン / プロデューサー:鈴木敏夫、ヴァンサン・マラヴァル / アーティスティック・プロデューサー:高畑勲 / アニメーション・スーパーヴァイザー:ジャン・クリストフ・リー / バックグラウンド・スーパーヴァイザー:ジュリエン・デ・マン / コンポジティング・スーパーヴァイザー:ジャン・ピエール・ブシェ、アルノー・ボア / 編集:セリーヌ・ケレピキス / 音響:ピスト・ルージュ / 音楽:ローラン・ペレズ・デル・マール / プリマリニア・プロダクションズ制作 / スタジオジブリ/ワイルドバンチ製作 / 配給:東宝
2016年日本、ベルギー、フランス合作 / 上映時間:1時間21分
2016年9月17日日本公開
公式サイト : http://red-turtle.jp/
TOHOシネマズ日本橋にて初見(2016/9/17)
[粗筋]
海原を漂流する、ひとりの男。荒波に揉まれながら、転覆したポートになんとか縋りつき、気づいたときには男は、浜辺に漂着していた。
打ち上げられたのは、竹が生い茂る孤島。周りに他の陸地は見えず、人の姿も船影も見当たらない。男は有り余る竹を切り出し、筏を組んで脱出を図った。
だが、どういうわけか、幾度筏を漕ぎ出しても、簡単に壊れてしまう。何度目かの挑戦のとき、筏を壊しているのが赤いカメだったことに気づく。
何故、カメは男を島に縛り付けるような真似をするのか。懊悩する男の前に、やがてひとりの女が現れた……。
[感想]
スタジオジブリ最新作、と銘打っているが、いささか毛色が異なる。監督したのはオランダ出身の、短篇で高い評価を得るクリエイターであるマイケル・デュドク・ドゥ・ヴィットだ。本篇はジブリの担当者が監督の短篇に惚れ込み、ジブリのサポートのもとで初めて作り上げた長篇なのである。多少は日本に対するおもねりも含まれている可能性はあるが、方向性もスタイルも、従来のジブリ作品とは違っている。同じつもりで劇場に足を運べば肩すかしの印象は禁じ得まい。
手触りとしては、フランスあたりの文芸的なアニメーションに近い。従来のジブリ作品や近年のディズニー系列などのように、際立った個性やキャラクターの愛らしさを押し出したりせず、極端なまでに背景の説明を省いた作りは、若干敷居が高く感じられるかも知れない。
また、粗筋では暈かして記したが、中盤あたりの出来事から以降の展開について、ひとによっては生理的に受け付けない可能性もあるように思う。ファンタジーだから、という大前提に立ったところで、描写の備えるリアリティが、タブーに触れている感覚をもたらしそうだ。
しかし、本篇で扱われているシチュエーションというのは、実のところ民話の中では定番と言っていいほど親しみのあるもので、本篇はその趣向を現代的に応用しているに過ぎない。そのシチュエーションを映像として、会話やテキストによる説明を一切行わずに展開していくがゆえに、本篇はどうしても登場人物の心情や背景について、観る者それぞれの理解や解釈を要求される。
だから、中心となる発想がパターン化されているものだ、ということを含め、描かれていることを解釈したり吟味したり、積極的に臨む姿勢がある方が本篇は楽しめるはずである。何故それは亀でなければならなかったのか、何故物語はこういう道筋を辿ったのか、それは何を思ってこの結末を選択したのか。
ひとつの解釈だが、実は上の粗筋にて語ったあたりまでで、主人公である漂流した男は命を落としている、と捕らえることも出来る。本篇は、男が末期に見た、一瞬の夢だったのかも知れない。
これはものすごくざっくりと話をくくっているので、たぶん観た人にもあまりピンと来ない考え方ではあると思う。しかし、何も説明がないのだから、捉え方は自由だ。本篇はその捉え方の多彩さをこそ楽しむべき作品だろう。
一般的にイメージされるスタジオジブリ作品とは異なるが、しかしわざわざジブリのレーベルのもと発表されたのだから、これを機に、ジブリともディズニーとも、日本で多く親しまれている類のものとも異なるアニメーション世界に触れるきっかけとしたかったのではなかろうか。
関連作品:
『千と千尋の神隠し』/『猫の恩返し』/『ゲド戦記』/『崖の上のポニョ』/『借りぐらしのアリエッティ』/『コクリコ坂から』/『かぐや姫の物語』/『思い出のマーニー』
『ベルヴィル・ランデブー』/『イリュージョニスト』/『おおかみこどもの雨と雪』
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