原題:“Good Will Hunting” / 監督:ガス・ヴァン・サント / 脚本:ベン・アフレック、マット・デイモン / 製作:ローレンス・ベンダー / 撮影監督:ジャン=イヴ・エスコフィエ / 美術:メリッサ・スチュワート / 編集:ピエトロ・スカリア / 衣装:ベアトリクス・アルナ・パストール / 音楽:ダニー・エルフマン / 主題歌:エリオット・スミス / 出演:ロビン・ウィリアムズ、マット・デイモン、ベン・アフレック、ステラン・スカルスガルド、ミニー・ドライヴァー、ケイシー・アフレック、コール・ハウザー、スコット・ウィリアム・ウィンタース / 配給:松竹富士 / 映像ソフト発売元:Warner Home Video
1997年アメリカ作品 / 上映時間:2時間7分 / 日本語字幕:戸田奈津子
第70回アカデミー賞オリジナル脚本・助演男優部門賞受賞(作品・監督・主演男優・助演女優・撮影・作曲・主題歌部門候補)作品
1998年3月7日日本公開
午前十時の映画祭8(2017/04/01〜2018/03/23開催)上映作品
2012年3月7日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD Video:amazon|Blu-ray Disc:amazon]
2014年4月11日よりバック・トゥ・ザ・シアターの1本として上映
TOHOシネマズ西新井にて初見(2014/04/11)
[粗筋]
マサチューセッツ工科大学で数学の教鞭を執るジェラルド・ランボー教授(ステラン・スカルスガルド)は、講義の趣向として、廊下の黒板に極めて難易度の高い問題を記し、それを学生達の宿題にした。後日、問題は何者かの手によって鮮やかに解かれていたが、どういうわけか、学生の誰ひとり、自分が答えた、とは言わなかった。
そこでふたたび別の難題を黒板に載せたところ、その黒板にチョークを走らせている清掃員の姿をランボーは目撃する。見れば、問題は完璧に解かれていた。驚くべきことに、教授でも手こずるレベルの難題を解いたのは、学生ではなく、業者に雇われていた若者だったのだ。
彼の名は、ウィル・ハンティング(マット・デイモン)。幼少時に家族を失い、養親のもとを転々として成長し、清掃員や工事現場の仕事をして生計を立てている。だが、優れた記憶能力の持ち主であり、いちど読んだ本の内容を決して忘れない。そしてその情報を手懸かりに、どんな難問でも鮮やかに解き明かす頭脳の持ち主でもあった。
その一方でウィルは、貧困地区を拠点にしているが故に、犯罪とは縁が切れずにいる。先日も、少年時代に自分をいじめていた人物を見つけると、親友のチャック・サリヴァン(ベン・アフレック)たちと共に襲撃し、警察に逮捕されてしまった。
ウィルの才能を、このまま野放しにしておくのは惜しい――ランボーは多額の保釈金を肩代わりしてウィルを救い、彼の能力が本物であることを確かめると、ウィルを釈放させるため、判事と約束を取り付けた。ランボーのもとを訪れ研究を手伝うこと、そして、ランボーが選んだセラピーのもとに通うこと。
研究については問題なく受け入れたウィルだが、セラピーに関しては一筋縄では行かなかった。どんな優秀なセラピストをあてがっても、のらりくらりとかわすウィルにあっさり音を上げてしまう。弱り果てたランボーは、最後の心当たりに縋る。
ランボーにはショーン・マクガイア(ロビン・ウィリアムズ)という旧友がいた。かつてのルームメイトであり、優れたセラピストでもあったが、いまは小さな大学で講師をしている彼にウィルを託すことにしたのである。
既に繰り返しセラピストに匙を投げさせていたウィルは、ショーンに対してもさほど期待を抱いていなかった。だが、そんな彼にショーンは、他のセラピストとはまるで違った接し方を試みる……
[感想]
その後、『ボーン・アイデンティティー』にてアクション俳優としての道も切り開き、多彩な活躍をするマット・デイモンと、一時期スキャンダルが原因で低迷したが、のちに『ゴーン・ベイビー・ゴーン』を皮切りに監督として高い評価を得るようになったベン・アフレックという、私生活でも親友だというふたりが脚本を手懸け、いきなりオスカーを獲得してしまった伝説的な作品である。
そういう事実がもたらすイメージは、必ずしもポジティヴなもものではない。とりわけ、まだまだ若いうちに執筆した脚本であるというから、オスカーを獲得したとはいえ、微温的な内容を想像していた。
正直に言って、度胆を抜かれた。ここまで精緻で、奥行きのある物語だとまでは考えていなかった。
基底はごく正統派の青春ドラマではある。特別な才能を持つ青年が、恵まれない境遇から抜け出す機会を与えられるが、しかし望まれる道と自らが望む道のあいだで迷う、と解体すれば明瞭だ。だが、そのオーソドックスな物語を辿るための骨組みが非常に堅牢なのである。
マット・デイモン演じるウィルの才能が明瞭になるあたりの描き方の鮮烈ぶりも印象に残るが、そういうウィルが、頭の良さと育ちの相乗効果で身につけた性格でランボー教授や並み居るセラピストたちを翻弄するくだりが実に巧い。恐らく若い頃から恵まれた人生を送り、本当の意味での失敗や挫折など経験したことのない選良たちが突かれると弱いところを的確に突き、瞬く間にお手あげ状態にしてしまう。そうすることでウィル自身は、自らの不遇を脱却する機会を失いかけているのだが、ヒエラルキーの下層に暮らしているような人間が、上に位置するひとびとを蹴散らす様は図柄として痛快だ。そして、そういうエリートにはごく扱いにくいウィルという人物を、思いもかけない方法で受け止めるショーンの振る舞いに驚かされ、そして絆を育んでいくことに納得がいく。
ポイントは、ショーンが決して上からの立場でウィルに接していないことだ。随所で仄めかされるのみだが、ショーンの出自はウィルに似ており、それ故に近い目線で話が出来る、という有利もあるのだが、序盤から彼は徹底してウィルを“支配”しようとせず、対等に接しようとしている――実際には社会的、年齢的に如何ともし難い隔たりがあるのだが、それを乗り越えようとする意志が次第に明らかになっていく。それでもウィルのある意味の“意固地さ”はなかなか克服できないのだが、優れた頭脳を持つふたりの男の歩み寄りが、この設定にしかなし得ない絶妙なドラマを生み出している。
何よりも絶妙なのは、このふたりの主人公それぞれに、深い付き合いのある友人を置いていることだ。かたや日雇いの肉体労働ばかりの青年、かたや名誉ある賞に輝く一流の大学教授、と境遇は正反対ながら、その存在がウィルとショーン、それぞれの現在の立場や価値観を際立たせる。ウィルとチャックの暮らしぶりは折に触れ描写され、ふたりの仲睦まじさ、絆の強さが如実に見えるが、会話の中でかつての確執を窺わせるだけの描写が細かに盛り込まれるだけのショーンとランボー教授との描写が、ウィルたちと巧みに対比されているのが絶妙だ。
そして、ランボー教授らとの交流で好機を与えられたウィルは、同時にスカイラー(ミニー・ドライヴァー)という、もうひとつの新しい転機と巡り逢う。自らが望むスカイラーとの未来と、ランボー教授が求める未来のあいだで揺れるウィルの葛藤が、物語の展開を最後まで読み解かせず、観る側を惹きつけて放さない。そんな彼に、最終的には良き理解者となるショーンが決して選択を強要しないのも、本篇を面白くすると共に、嘘偽りのない清廉さを感じさせるものにしている。
確かにこの脚本は逸品であり、これでオスカーが獲れないのは嘘だろう、と頷かされる質である。それ故にだろう、本篇の演出はほとんど奇を衒っておらず、脚本の求める描写を丹念に押さえていく。脚本を手懸けたマットとベンが自ら出演し、対比されるふたりを名優が演じて、すべてが手堅く築かれている。そんななかで、オープニングのひと幕、初めてマットとベンが並んで登場したところで脚本家のクレジットを出す趣向がなかなかに心憎い。
本篇でウィルが選んだ結末が正解だ、と思えないひともいるだろう。最後に彼が向かった先に、望む幸せが待っているとも断言できない。だが、彼自身が選んだ結末が暗いはずはない、と無邪気に信じられる清々しさが本篇のラストシーンにはある。こんなに明晰で、快い後味を持つ青春映画はそれほど多くはない。若い脚本家ふたりに対する当時の賞賛は決して過剰ではなく、妥当なものだった――それ故に、彼らが自身の映画人としてのイメージを確立するうえで、重い十字架になったであろうことも察せられるのだけれど。
関連作品:
『エレファント』/『それぞれのシネマ 〜カンヌ国際映画祭60周年記念製作映画〜』/『ミルク』
『ボーン・アイデンティティー』/『グッド・シェパード』/『幸せへのキセキ』/『エリジウム』/『デアデビル』/『ゴーン・ベイビー・ゴーン』/『ザ・タウン』/『アルゴ』
『精神科医ヘンリー・カーターの憂鬱』/『孤島の王』/『オペラ座の怪人』/『容疑者、ホアキン・フェニックス』/『ダイ・ハード/ラスト・デイ』
『アメリカン・グラフィティ』/『卒業』/『ラスベガスをぶっつぶせ』/『アメイジング・スパイダーマン』/『クロニクル』
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