
飯田橋ギンレイホールにて開催された午前0時のフィルム映写会にて上映されたクリント・イーストウッド監督3作品のポスター。中央が『許されざる者(1992)』。
原題:“Unforgiven” / 監督&製作:クリント・イーストウッド / 脚本:デヴィッド・ウェッブ・ピープルズ / 製作総指揮:デヴィッド・ヴァルデス / 撮影監督:ジャック・N・グリーン / プロダクション・デザイナー:ヘンリー・バムステッド / 編集:ジョエル・コックス / キャスティング:フィリス・ハフマン / 音楽:レニー・ニーハウス / 出演:クリント・イーストウッド、ジーン・ハックマン、モーガン・フリーマン、リチャード・ハリス、ジェームズ・ウールヴェット、ソウル・ルビネック、フランシス・フィッシャー、アンナ・トムソン、フィリップ・ヘイズ、ミナ・E・ミナ / マルパソ製作 / 配給:Warner Bros.
1992年アメリカ作品 / 上映時間:2時間11分 / 日本語字幕:岡田壯平
1993年4月24日日本公開
午前十時の映画祭16(2026/04/03~2027/03/18開催)上映作品
2017年6月2日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD Video:amazon|Blu-ray Disc:amazon|4K ULTRA HD + Blu-ray Disc:amazon]
Blu-ray Discにて初見(2010/03/22)
飯田橋ギンレイホールにて再鑑賞(2015/05/02) ※午前0時のフィルム映写会
TOHOシネマズシャンテにて再鑑賞(2026/9/07)
[粗筋]
1880年、ワイオミングにあるビッグ・ウィスキーという街で、ひとつの事件が起きた。スキニーというカウボーイが娼婦を買った際、相手の些細な反応に憤り、彼女の顔をナイフで切りつけたのである。女たちは激昂し、処刑を望んだが、この地で絶対的な権力を誇る保安官のリトル・ビル(ジーン・ハックマン)は牧童たちに、春になってから彼らの馬を娼館の主に差し出すことで決着させてしまう。どうしても納得しかねた娼婦の頭アリス(フランシス・フィッシャー)は、仲間たちからなけなしの金をかき集め、事件に関わった牧童ふたりに1,000ドルの懸賞金をかけた。
その話は遠くテキサスまで響き、ウィリアム・マニー(クリント・イーストウッド)のもとまで届いた。かつては無法者として鳴らした彼も、クローディアという女性との結婚を機に改悛し、今は亡き妻の墓標を守りつつ、平凡な農夫としてふたりの我が子と穏やかに暮らしている。彼のかつての武勇伝を伯父から聞いてきた、という若者スコフィールド・キッド(ジェームズ・ウールヴェット)から件の懸賞金の話をもたらされ、同道を求められても、応える気はなかった。
だがちょうどその頃、ウィリアムの家畜に病気が蔓延し、先行きに不安が生じ始めた。子供たちのために、ウィリアムは懸賞金を求めて旅立つ。射撃の腕も乗馬の技術もおぼつかなくなっていたが、背に腹は替えられなかった。
子供たちの面倒を頼むつもりでいた旧友ネッド・ローガン(モーガン・フリーマン)も同行を申し出、ウィリアムは3人で賞金稼ぎに赴く。だがこの旅には、思わぬ障害が幾つも彼らの前に立ちはだかっていた……

TOHOシネマズシャンテ、階段踊り場の壁面に掲示された、『許されざる者(1992)』上映当時の午前十時の映画祭16案内ポスター。
[感想]
近年、すっかりアカデミー賞ノミネートの常連となった感のあるクリント・イーストウッド監督だが、当初はマカロニ・ウエスタンやアクション映画出身の、乱暴に言えばB級映画の俳優が撮った映画としてやや下に見られていたようだが、それが一気に面目を改めるきっかけとなったのが、アカデミー賞で9部門ノミネート、作品賞をはじめ4部門に輝いた本篇である。
ちょうど西部劇の制作本数が減っていた時期と重なっていた故に“最後の西部劇”と呼ばれていた――と思っていたが、観る限り、決してそれだけの理由ではない。本篇はかつての娯楽映画、特に西部劇において安易に描かれていた“決闘”や“人の死”に本来あるべき重みを見出し、それを観る者に痛感させるよう、慎重に丹念に描写を積み重ねている。結果として辿り着くのは、娯楽映画としての西部劇の価値観から距離を置く結論であり、その終幕はさながら西部劇にピリオドを打ったようにも映る。“最後の西部劇”という惹句が何処から出て来たものなのかは不勉強故に知らないが、そういう意味合いもあったのでは、と推測される。
いずれにせよ、これは西部劇によって育てられたヒーローであり、アンチ・ヒーローでもあったクリント・イーストウッドが監督として撮らねばならなかった、という意識をもって臨んだ作品であったに違いない。満を持して作りあげた本篇が高く評価されたことが、その後のイーストウッド監督の着実な歩みに繋がっているのだろう。
――と、想像を軸にしてクリント・イーストウッド監督という映画作家のキャリアにおける本篇の重要さを推測してみたが、仮にそんな知識がなかったとしても、また西部劇に一切愛着がなかったとしても、本篇には一見の価値があると思う。
幾分尺は長めだが、そこに無駄はない。じっくりと作られた間も、丁寧な描写の数々も、終盤の僅か一瞬の決闘に結びついて昇華するように組み立てられている。決して多くは語られない、主人公ウィリアムの過去を匂わせる友人たちとのやり取りや、僅かな仕草、台詞の洗練ぶりだけでも惚れ惚れするし、決して気軽な旅ではないのに、随所にユーモアを滲ませているのも貫禄を漂わせる。
ウィリアムの旧友ネッドや、彼らと最終的に対決することになるリトル・ビルの、それぞれを演じた名優達の重厚な演技は無論のこと、本篇に巧みな味付けをしているのは、ウィリアムを賞金稼ぎの旅に引きずり出した若者スコフィールド・キッドの存在だ。こちらも過去の行状について映像として描かれることはないが、明らかに自らを傑物と思わせたいあまり、血気盛んで大仰さを装った言動をしているのは明白である。そんな彼との向き合い方が、ウィリアムという男の心情の変化と、終盤で固める覚悟の硬さを強烈に感じさせる。ウィリアムとキッドとの関係性を、2008年にイーストウッドが最後の主演作と謳って監督した『グラン・トリノ』と対比させても興味深い。
西部劇ならではの、乾いた大地や寂れた街の荒涼たる美しさをきっちりと捉え、物語にはユーモアを交えながらも過酷さと優しさを描き出す。一切間然するところのない、紛う方なき傑作である。私同様に、ここ数年イーストウッド監督が撮ってきた優れた作品群に感銘を受けたような人は、観ておいて損はない――それどころか、必見の1本である、と断言したい。
2026/9/8追記
この上までは初見の際に書いた感想である。
2度目に鑑賞したのは飯田橋ギンレイホール、既に貴重となりつつあるフィルム映写機を備えていた劇場ならではの、フィルムを使用しての上映会で、その経験自体は貴重だったが、しかしやはりこの時点で20年以上を経たフィルムは痛みがあり、風情はあるが映像としての状態は良くなかった。
しかし、この部分を追加するきっかけとなった午前十時の映画祭16での上映は、デジタル素材を用いている。クリーンになりすぎている、というのはデジタル化の難点としてよく挙げられるが、フィルムよりも複製に強く、今後も鑑賞の機会が得られる、ということを考えれば、致し方のない変化だろう。
しかし、よりクリアに精密になった映像で鑑賞する西部劇はやはり鮮烈だ。特に本篇は、雄大な風景を遠景から捉える、とかこだわりに満ちたセットを用意する、といった映像面での工夫は乏しいが、それでも西部劇ならではの画面作りを、リアルにこだわって構築しているので、鮮明な映像で観られる意義は大きい。
個人的には今回の再鑑賞でいちばん印象深かったのは、人間描写の巧みさだ。
この作品に限らず、西部劇の登場人物は大口を叩きがちだ。早撃ちの名手だったり、何人も容赦なく殺していたり、凶悪な犯罪者を見事に捕らえていたり、方向性は様々だが、多かれ少なかれ、自分の過去を大きく見せようとする。
そんな中で、クリント・イーストウッド演じるウィルは、決して自分を大きく見せようとしない。我が子の前で、久しぶりの乗馬に苦心する姿を晒し、銃捌きの衰えを晒す。敵対する人間たちに包囲されても決して大口を叩いて抗ったりしない。
恐らく、劇中で語られる、荒くれ者だった当時のウィルは、まるで違った人物像だったのだろう。そしてそれを、3年前に亡くなった妻が変えた。決して己を大きく見せず、大地に根を下ろし、堅実に生きようとする真っ当な人物にした。たぶん、亡くなった妻は、もともとウィルにそういう一面があることを見抜き、導いたのではなかろうか。
そんな彼が、賞金稼ぎに赴いたのも、一家の窮状という背景ばかりではなく、虐げられた娼婦たちが求めた復讐だったから、という点が大きかったのだと思う。例によって、ウィルに伝わった時点で話は大きく過剰に盛られていたが、娼婦たちが、彼女の仲間を傷つけた者が正当に裁かれていないことに声を挙げた、という事実はある。中盤で彼女たちと接触し、苦境を知ったからこそ、なおも気乗りがしないままに、人狩りに臨んだ。
クライマックスで、ウィルが“禁”を破ったのも、そうしなければならない事情があり、最後にいちどだけ一線を越えるためだ。そこに至る描写、ドラマの蓄積があればこそ、このクライマックスにはカタルシスがあり、他の西部劇とは異なる情緒が生まれる。
限りなく西部劇にリスペクトを示しながら、人間ドラマとしての質が非常に高い。実は1980年代に映画化権を入手していた本篇を、自分が作品に相応しい年齢になるまで温存していた、というイーストウッドの心情はよく解るし、だからこそ嵌まるのも当然だと思う。やはり本篇は、アクション俳優の余技などではなく、イーストウッドが既に優れた監督であったことを立証した、彼のフィルモグラフィーにとって重要な1本なのだ。
関連作品:
『荒野のストレンジャー』/『ペイルライダー』/『アウトロー(1976)』/『グラン・トリノ』/『ブレードランナー ファイナル・カット〈4Kマスター版〉』
『ルーキー(1990)』/『フレンチ・コネクション』/『ショーシャンクの空に』/『ナバロンの要塞』/『ウォール街』/『ピンク・キャデラック』/『リディック』
『第三の男』/『シェーン』/『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト』/『タクシードライバー』/『地獄の黙示録 劇場公開版<デジタルリマスター>』
『荒野の用心棒』/『真昼の死闘』/『許されざる者(2013)』


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