『アングスト/不安』

シネマート新宿が入っているピル1階のエレベーター向かいのディスプレイに展示された『アングスト/不安』ポスター。
シネマート新宿が入っているピル1階のエレベーター向かいのディスプレイに展示された『アングスト/不安』ポスター。

原題:“Angst” / 監督:ジェラルド・カーグル / 撮影&編集:ズビグニェフ・リプチンスキ / 音楽:クラウス・シュルツ / 出演:アーウィン・レダー、シルヴィア・ラベンレイター / 配給:Unplugged
1983年オーストリア作品 / 上映時間:1時間37分 / 日本語字幕:金関いな / 字幕監修:江戸木純 / R15+
1988年1月25日ビデオソフト日本発売(邦題『鮮血と絶叫のメロディー/引き裂かれた夜』)
2020年7月3日HDリマスター版日本公開
公式サイト : http://angst2020.com/
シネマート新宿にて初見(2020/07/21)


[粗筋]
 K(アーウィン・レダー)には幼少の頃からサディストの傾向があった。盗みや動物虐待に留まらず、その暴力性は実の母親にも向けられ、16歳にして母を滅多刺しにする。母は一命を取り留め、Kはそれ以来、軽犯罪を重ねて繰り返し刑務所に送られる。
 やがてKは見ず知らずの70歳の女性を出会い頭に射殺し、8年にわたる禁固刑を受けた。本来、受刑者の更生を図るのが刑務所の目的だが、この間もKの嗜虐性は衰えることを知らず、彼は出所後に行う凶行を妄想し続けていた。
 刑期を前に、Kは職場を探すため一時出所を認められる。しかし、Kの頭にあるのは自らの欲望を充足させることだけだった。刑務所を出るなり、Kは獲物を物色し始める。
 そうして狙いをつけたのはタクシー運転手だった。しかし、手を出すより先に感づかれ、Kは這々の体で逃走する。そうして、闇雲に走り回った先で、Kは遂に、彼が頭に思い描いていた通りの場所を見つける――


シネマート新宿6階ロビーに展示された、『アングスト/不安』劇中シーンを体験できる浴槽(お手製)。
シネマート新宿6階ロビーに展示された、『アングスト/不安』劇中シーンを体験できる浴槽(お手製)。


[感想]
 本篇はオーストリアにて実際に起きた事件を元にしているという。劇中で描かれるとおり、見ず知らずの70歳の女性を射殺、8年間の収監ののち、就労先を探すための一時出所の直後、一軒家に侵入し、3人を痛めつけた上に惨殺した。モデルとなった犯人は本篇のポストプロダクションの最中にいちど脱走を企てたが失敗、その後の情報はないので、獄死していなければ未だに塀の中にいるはずだ。
 監督自身が出資し、この凄惨な事件を映像化した本篇は、だがあまりにショッキングな内容ゆえに酷評され、本国オーストリアでは1週間で打ち切り、他のヨーロッパ諸国では上映自体が禁止されたという。日本でも5年遅れでビデオソフトがリリースされたが、パンフレットの記述によれば弾不足の埋め草で、ろくに宣伝もかからず消えていったそうだ。監督は多額の損失を抱え、これ1作を最後に長篇映画は撮っていない。
 だが、鑑賞した一部の好事家からは熱狂的に支持された。自身の作品で頻繁にオマージュを捧げていたというギャスパー・ノエをはじめ、リスペクトを表明する映像作家も現れ、いつしか『セブン』などを上回る異常犯罪の怪作として語り伝えられる幻の作品となっていた。そういう経緯があればこそ、40年近く経過したいまになってリマスター版が劇場公開される、という珍しい展開に至ったわけだ。
 本国での公開時に嘔吐したひとや払戻を要求する観客がいた、といった具合に激しい拒否反応を招いた、という話から、かなりショッキングな内容を想像し、だいぶ身構えて鑑賞したのだが――率直に言って、そういう意味ではかなり期待外れだった、と言わざるを得ない。少なくとも犯行の内容には、私はショックを感じることはなかった。
 とはいえ、自分で言うのもなんだが、これは私がいささかイかれているからであって、真っ当な完成を持つひとならトラウマになっても不思議ではない、と思う。なにせ本篇の主人公の犯行はすべて、まともな動機というものがない。ただ純粋に、衝動に駆られたから犯行に及んでいる。
 プロローグ部分で、門扉に手をかけ開閉を確認するところから、本篇には異様な空気が充満している。無警戒にドアをあけた老婆に向かって「撃ちますよ」とひと言だけ警告して銃撃し、数時間後に現場へと舞い戻って逮捕される、という経緯も常軌を逸しているが、刑務所内で妄想を熟成させ、出所するなり再度、更に残虐な犯行に及ぶさまは、普通に観ればじゅうぶん衝撃的だろう。
 だが、個人的に“ヌルい”と思うのは、こうしたプロセスを、主人公がモノローグのかたちで随時説明してしまっている点だ。これからどんな計画を考えているのか、どういう意図でこの行動を選択したのか、というのを、回り道しながらもちゃんと説明してくれるので、犯行そのものの驚きや衝撃はだいぶ薄れてしまっている。仮に、犯行のあとに説明が加えられていたなら、もう少しインパクトは増したかも知れない。
 また、犯行そのものが全体に思慮に欠き、計画として掲げつつもほとんど破綻していることも、個人的には期待外れだった。被害者を心理面から追い込んでいく、という趣向はおろか、被害者の行動や反応を自分に都合のいいように想像しているので、いちいち計算外の事態が起きてしまう。結果、主人公の行動派ほとんど場当たり的で、行為の残虐さが衝撃として感じられないと、いっそ道化じみて見えてしまう。猟奇的表現に一定の耐性を持っているひとだと、本篇はむしろ物足りなく思えるのではなかろうか。
 しかし、常識的にものを考えているひと――良くも悪くも思考が常識を排除出来ないひとには、本篇における“衝動しかない殺戮”が相当に堪えるのも確かだろう。自らの行動の理由を語るモノローグは、その意図を割ってしまっているが故に衝撃を緩和してしまうが、しかしその理由が受け入れられないひとには更なる戦慄をもたらす。劇中で描かれる事件当時のオーストリアが、衝動のみの殺人を理解せず、適切に裁き得なかったが、同じような視点から逃れられないひとほど、本篇のもたらす恐怖は深い。
 本篇を、40年近く経過したいまでも新鮮で強烈な印象を残す作品にしているのは、その描写自体の凄惨さばかりでなく、独創的なカメラワークにも因るところが大きい。プロローグや壮絶な“追いかけっこ”のくだりでは、俳優にカメラを装着させる、という当時のカメラのサイズや性能からすると大胆極まる手法を用いている。完璧に固定は出来ず、演者の身体の揺れが一瞬遅れてカメラに伝わるため、その不規則な振動がまた観ている者の不安を煽らずにおかない。
 まるでドローンで撮影しているかのような、高い位置からの俯瞰による構図もインパクトが強い。予算や撮影規模から推測するに、クレーンを用いたわけでもないはずだが、独自の工夫でこのヴィジュアルを作り出してしまったことだけでも賞賛に値する。しかも、高い位置から捉えることで、主人公である犯人の動きをひと繋がりで確かめることが出来るので、至近距離から撮るのとは違う緊張感が画面に生まれている。
 そして、提供された音楽に合わせて行ったという編集のリズム感も秀逸だ。無軌道で衝動的な犯行にも関わらず、緻密に組み立てられた音楽とテンポを合わせることで、本篇の不気味さを更に強調している。
 観ていて何か発見や教訓を得られるわけではない。不慣れなひとには確実にトラウマを与えるだろう。だが、その無軌道ぶりを独創的なヴィジュアルによって映像に残した本篇は、語り継がれるに相応しい、異端児的な傑作であることもまた間違いない。繰り返すが、私はそれほど衝撃を受けなかった、とは書いたものの、そう捉えられないひとも少なくないはずなので、ご覧になる際はきちんと覚悟を決めていただきたい。


関連作品:
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